第1章 その43 ルーナリシア公女殿下はお年頃
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どうも。
リトルホークだ。
現在のおれの状況について手短に説明しよう。
反省室として閉じ込められていた檻が消滅して、床に投げ出された、おれ。
その直前まで抱きしめていたはずの可愛い嫁ルナ(ムーンチャイルド)は、学院長《呪術師》に取り戻されてしまった。
そして《呪術師》は、囁いた。
『手遅れだ』
と。
『もう少し早くおまえが来ていれば、我々も危険な賭はしなかったかもしれない』
いったい何をするつもりだ。
勢い込んでおれは問いかけようとした。
しかしそのとき、大食堂の入り口あたりで騒ぎが持ち上がり、お付きの侍女らしき者たちの静止を振り切って、走ってきた人物がいた。
十六、七歳と思われる、高貴な美しい少女だった。
波打つ黄金の髪と、群青色の中に金色が混じる不思議な瞳。
精霊たちとはまた違う意味で人間離れした、このうえなく美しい容貌には、高慢ともとれる、庶民ではありえない気品と、野性の獣にも似たしなやかさと力強さが同居しているのだった。
リネン色の肌は、エルレーン公国の貴族には珍しく、健康的に日焼けしている。
丈の長いドレスのスカート部分にはたっぷりとひだが寄せられていて、最高級品だろう純白の絹地が贅沢に使われている。
急いで走ってくるためにドレスの裾を持ち上げているので、形の良いふくらはぎまでがのぞいている。純白の繻子の靴に縫い取られている宝石が、キラキラ輝いていた。
相当な権力と財力を誇る家庭、たぶん大貴族の子女であることは疑う余地もなかった。
「《呪術師》さま! もう、みなさまお揃いですの?」
「これは、ルーナ姫」
驚いたことには、《呪術師》が、彼女を出迎えるために、腕に抱えていたムーンチャイルドを床に降ろして、自らは頭を垂れたのだ。
「まあ《呪術師》さま! そのような他人行儀は、およしになって」
こぼれんばかりの華やかな笑みを浮かべて、黄金の姫君が……それ以外に表現のしようがなかった……足取りも軽く、駆け寄ってきた。
「わたくしの、漆黒の魔法使いさま! このルーナリシアに、ご用をお申し付けくださいませんの? あなたさまのためならば、なんでもいたしますのに」
うっとりと《呪術師》を見上げる。
まるで恋する乙女の表情だ。
彼女の名前である、月晶石とは、地球でいえばダイヤモンド。真月の女神イル・リリヤの美しさと神聖さになぞらえられる宝石である。
王侯貴族の子女にしか、名付けに用いることを許されていない。
ちなみに誰が許すかというと、王様とか国教である『聖堂』最高司祭だ。このエルレーン公国では『聖堂』の権威は及んでいないから、大公だけが許可するってことで。
あれ?
……じゃあ、少なくとも大公にお目通りが叶うほどの名家?
もしくは、大公家?
「そのような大事は、軽々しく口にのぼらせてはなりませんよ、ルーナ姫」
優しい微笑みを浮かべて、《呪術師》は、彼女を姫と呼び、唇に人差し指を立てて、注意を促すしぐさをした。
「なんでもするなどと、今後は決して用いてはいけない。この私に対する以外には」
「もちろんですわ。あなたさまですから、申し上げましたの」
「可愛らしいことをおっしゃいますね」
「まあ。わたくしの魔法使いさま。なんでもお見通しですのね」
なんだこれ。
甘ったるい雰囲気が周囲にダダ漏れ?
ハートマークが飛び交いそうだ。
あの、凍り付くように冷たい表情をしていた《呪術師》が、優しげに笑っている!?
黄金の髪をした高貴なお姫さまと?
「リトルホーク!しゃんと立ちなさいよ。せっかく学院長がムーンチャイルドの懇願を聞き入れて放免してくれたんだから。ほらっ!」
信じがたい光景に固まっていたおれの背中をどやしつけたのは、他でもない、精霊の姉、ラト・ナ・ルアだった。
「あの、ラト姉? おれ目がどうかしてる? あの《呪術師》と、お姫さまが、なんかイチャイチャしてるみたいに見えるんだけど」
おれの混乱した問いかけに、ラト・ナ・ルアは、わざとらしく大きなため息をついて、答えた。
「バカなのリトルホーク。そこらの酔っ払い親父みたいなイヤらしい喩えしかできないの。もちろん《呪術師》とルーナ姫は親しい仲だわ。あたしはそんなに……まあ気にくわないけど」
腕組みをして顔をしかめる。
精霊とも思えない、ものすごく人間くさい表情だ。
「わたしとラト・ナ・ルアは、《呪術師》を幼い頃から育てて可愛がってきたのですから。複雑な心境なのは、否めません」
こう言ったのは、ラトの兄、精霊レフィス・トールだ。
「でも、その。あのお姫さまと親しいのは《呪術師》なんだよな?」
大きな声では言えない。
今この場にいる《呪術師》は、第一世代の精霊のトップであるグラウケーが代役をつとめている『影武者』なのだ。
グラウケー本人は、どう思って、ルーナ姫と親しげに振る舞っているんだろう?
「ムーンチャイルド。だいじょうぶか?」
しばらく姫とたわいのない会話をした後、《呪術師》は、傍らで、ぼんやりとしていたムーンチャイルドを気遣った。
「あっ、うん、だいじょうぶ」
かぶりを振る、ムーンチャイルド。
「どうしたの、わたしの月の子。可愛い妹。何かあったの?」
ルーナ姫は心配そうにムーンチャイルドのそばに寄り、腕に抱きしめた。
「困った叔父さまのことなら、わたくしが、きつく言い聞かせておきましたわ。もうじき貴族法廷でも裁かれます。心配はいらないのよ」
ルーナ姫は、ムーンチャイルドが、先日、館に迎えたいなどと無理難題を申しつけてきたカンバーランド卿のことで気持ちがふさいでいると思っているらしい。
何度も、大丈夫よ、と励ましている。
ムーンチャイルドは、おれの『反省室』だった檻が消えたとき一緒に床に落ちたから。《呪術師》がすぐに抱き止めたとはいえ、ショックだったろうな。
ああ、すぐにも側に行ってやりたい!
「バカね。また煩悩が漏れてるわよ。自重して。少しおとなしくしていなさい」
動こうとしたのをラト姉に右肩をつかまれ制止された。
「今はそれがムーンチャイルドのためでもありますよ」
レフィス兄が、さりげなくおれの左肩を押さえた。
「大丈夫か」
「怪我はありませんか?」
まずモル君が、そしてブラッドが、やってきてくれた。
「ああ、あなたたちは寄宿舎で今日からリトルホークの同室になるのだったわね」
ラト・ナ・ルアは、にっこりと笑った。
思いっきり営業スマイルだ。
「は、ははははい! モルです。いやモルガン・エスト・クロフォードです!」
モル君は精霊の美少女に接するのに慣れていないな。
身体がこわばってるし顔が真っ赤だ。
対するブラッドは、落ち着いている。
「ぼくは、その……」
言いかけたのをやんわりととどめ、ラト姉は更に最上級の営業スマイル。
「いいのよ。もちろんあなたのことは知っているわ。ブラッドくん。あたしたちがこの都に来てまもなく訪問した先の家にいたこと、よく覚えているから。ムーンチャイルドの、都での最初のお友達」
やさしい手で、ブラッドの頬を撫でた。
美少年の表情が、恍惚とする。
あれ? やばくないか? 恋に落ちた?
精霊たちは、どんだけ、人間たちを虜にしようというのか。
「ムーンチャイルド。ルーナ姫にも、あれを」
「はい。用意はできてるよ」
《呪術師》の指示で、精霊の水を満たしたグラスを、ルーナ姫に差し出す。
それは、ほかの生徒達に与えられたものとは明らかに違っていた。
濃い銀色のもやに包まれた『特別な精霊の水』が、いっぱいに満たされている。
姫は、にっこり笑って。
当然のように、ためらいも見せずに杯に口をつけた。
「急に飲み干してはだめだよ」
「はい。わかってるわ。ありがとうムーンチャイルド」
姫はムーンチャイルドに優しい。
尖った剣先のように険しさのある美貌もあいまって、最初は姫を、高慢なところもあるのかと思ったが、全くそうではないとわかった。
「おい、あれ。いつも《呪術師》さまが飲んでるのと同じやつだ。おれたちにさっき配られたのとは、込められた魔力のレベルが違うぞ」
モルガンの表情が引き締まった。
「それはそうだよ、モル。だってルーナは特別だもの」
ブラッドが、モルガンを軽くいなした。
彼女は特別?
ブラッド、いまルーナって。「姫」って尊称をつけなかったな?
「リトルホーク。我が妹ムーンチャイルドに求婚した、命知らずのおまえには、伝えておこう」
ムーンチャイルドとルーナ姫をともなってやってきた《呪術師》。
なんか悪い予感がする。
姫からは見えない角度で、くすり、と、笑って。おもむろに、おれに告げた。
「こちらはエルレーン大公の息女。公女ルーナリシア殿下にして、公太子フィリクス殿下の正当なる妹君。ルーナ姫、これは、ムーンチャイルドに求婚している無謀な若者。北方ガルガンド氏族長スノッリの養子、リトルホークだ」
紹介された姫さまは、屈託のない笑みを浮かべた。
意外と親しみやすい笑顔だ。
「初めまして。ルーナリシアですわ。どうぞルーナとお呼びになってくださいまし。学院のみなさまにもそう申し上げておりますのに、なぜか誰も呼び捨てにしてくださらないのですけど」
そりゃあ、そうだろうよ!
心の中でおれは盛大なるツッコミを入れた。
うすうす、そうかなって思ってた。
本当に、このエルレーン公国の公女さまだって!
いくら本人がそう言ったからって正直に呼び捨てしたら、お付きの人たちが黙ってないに決まってるだろ!
しかし、それに続く《呪術師》の宣言は、まさに驚くべきものだった。
「そして、ルーナ姫は。この私、レニウス・バルケス・レギオンの、大公閣下もお認めになられた婚約者だ」
……はい~!?
『魔眼の王』にもグーリア帝国のルーナリシア皇女という人が出ていますが、別人です。
別ルートで進行しているため、今作におけるグーリア帝国では、特別な名前である「ルーナリシア」という名前は、グーリアでは名付けることができない仕様になっています。
ルーナリシアはムーンチャイルドのことが大好き設定。




