第1章 その36 貴公子様に学院を案内してもらった。
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学院長室を出た後、今日から寮生になるおれ、リトルホークと、同室になるブラッドは、廊下を並んで歩いている。
今日から転校生、というより新入生。見るもの聞くもの初めてだらけ。
たぶん、おれの方が四歳くらい年上だし背が高い。
ブラッドの身長は、おれの肩くらい。
顎より少し下まである、黄金の絹のような柔らかい髪が、ほっそりとした色白の頬にかかる。瞳は金茶色。線の細い、華奢な美少年だ。
そして、ものすごく育ちがよさそう。
きのうきょう身につくものではない、生まれ付いての優雅な立ち居振る舞い。
貴族であることは間違いないが、どれくらいの地位なのかは知らない。この学院では、皆が平等なのだそうだ。
いたって真面目でピュアな感じのブラッドと、おれがルームメイトねえ。
ああ、なんか……。
なんか、ゴメン。
「ごめんなブラッド」
思わず謝ってしまった、おれに、ブラッドはきょとんとして、まっすぐに綺麗な金茶色の瞳を向けてきた。
「どうしてですか? リトルホークが謝ることは何もないでしょう? あ、でもムーンチャイルドは別ですよ。彼女を泣かせたら許しません」
急に真顔で言う。
ブラッドくんも、ぶれないな。良い意味で。
「それは絶対にしねえ! 安心してくれ。おれは、あの子を幸せにするんだ」
本気で答える。
ブラッドはもちろん知るはずもないが、おれは故郷で嫁と出会って五年の間、ずっと、そう誓って、願ってきたのだ。
「じゃあ問題ありませんね」
美少年の、満面の笑み。
「当然だ」
「がんばってくださいね。応援していますから」
語尾にハートマークがつきそうな勢いだ。
だいじょうぶかブラッド。昨日も思ったが。
「ありがとう。ところでブラッド、朝っぱらから、おれみたいな右も左もわからないヤツの案内なんて、大変だな。本当なら授業中じゃないか?」
リトルホークは僻地の村の生まれで、そもそも、村には学校というものがなかった。
だが、おれ……前世で21世紀の日本の高校生だった『沢口充』は受験に苦労した記憶があるので、授業のことが気になったのだ。
するとブラッドは爽やかに笑う。
「お気遣いありがとうございます。でも気になさらないでください。午前中は一般教養だし、ぼくは普通科の授業を免除されてるからヒマだったんです」
「免除?」
こんどは、おれがきょとんとする番だった。
「つい先日まで、うちの親に派遣されてきた家庭教師がいて、個別に教えられていたんです。あ~あ。みんなと学びたかったのにな。でも、そこは譲歩しないと、家に連れ戻されてしまうから……」
綺麗な顔から、笑みが消えた。
出会ったときにも感じたが、何やら家庭に事情がありそうだな。
「あ、悪い。聞いちゃいけなかったか」
「いえ。かまいません。ぼくの家はちょっとだけ面倒なところなんです。あ、でも、今は自由時間で、リトルホークの案内人ですから!」
にこっと笑って、おれを見上げた。
なついてくる子犬を思わせる、純粋な好意に満ちた目で。
……そんなきれいな目で見ないでくれ。
こっちが罪悪感に苛まれる。
悪いことなんてしていないけれど。
その後は、ブラッドの案内で校舎内を見て歩いた。
校舎、教室、授業風景。図書室、医務室みたいなもの。
実際に使われている教室は、それほど多くないようだ。
のぞいてみたが、ゆったりした制服を着ておとなしく机に向かって、懸命に勉強している姿は、おれの前世の記憶にある受験をひかえた高校生を思わせた。
男女混合クラスで生徒の年齢は、まちまち。大人みたいなのもいるし小さい子もいる。
「一学年にクラスは一つずつ。一期生は二十人。学院設立時の生徒です。ぼくは二期生で、三十人。その次の年度からは学年に四十人ほどです。現在は四期生までいます。普通学科だけの生徒も含めてなので、魔法学実践科の生徒は、その半数くらいですね」
「へえ。みんな魔法使いになるのかと思ってた」
「この学院は魔法の素質がなくても、学びたい者を無償で受け入れているのです。それに、共に学んでいるうちに、魔法使いの資質が触発されて、使えるようになることも多いんですよ。今は全寮制ですが、いずれは家から通う者もあるだろうと、学院長はおっしゃられています。まだ教師の数が不足しているので希望者を全て受け入れられないのですが」
平民も貴族も、ゆくゆくは外国人でも、分け隔て無く学べる学校を作りたいと準備していたフィリクス公子は、カルナックと実父コマラパに協力することが、理想の実現に結びつくと判断し、後援者になったのだとブラッドは教えてくれた。
「フィリクス公子様はエルレーン公国の跡継ぎとして名高く評判の良い方です。お父上の大公様もコマラパ師に教えを受けたことがあるそうで、全面的に賛同してくださって、学院の学び舎に使うようにと、別荘を寄贈してくださいました。ですから、歴史と伝統ある建物であるのはもちろんですが」
ブラッドは興奮ぎみに、しかしそれを抑えながら言葉を続ける。
「素晴らしいのは、この建物全体が、清浄で清々しい空気に包まれている場所、聖域であることです。信じがたい奇跡ですが、ここには複数の精霊様たちが常に滞在していらっしゃるのです」
「へーえ! そりゃすげえな!」
おれは素直に驚きをあらわした。
実際、ものすごいことなのだ。
ブラッドは、誇らしげに言った。
「お師匠さま、学院長は、人の身では考えられないほどに深く精霊の守護を得ておられる方なのです。コマラパ師と、お母上さまと共に、長らく精霊の森で暮らしていらっしゃったと伺いました」
「……すごいんだな。あの人は」
おれもそこらへんの事情をラト・ナ・ルアからも教えてもらってはいたが、こうしてあらためてブラッドから聞いてみると、ほんとに、すごい、としか言い表せない。
「ええ。すごい御方ですよ」
ブラッドは頬を上気させて、ため息をついた。
まるで学院長に、《呪術師》に、恋している乙女のような。
……あれ?
まさかの、《呪術師》を巡っても、おれとブラッドは恋のライバル!?
「そうだ、食堂にご一緒しませんか。もう半時ほどしたら、昼食に、生徒達が一度に押しかけますから、その前に、お茶でも?」
ブラッドのキラキラ笑顔が眩しい。




