第1章 その35 宝石の少女たち
35
「きみが彼女にふさわしい行いをするなら、ぼくと、ぼくら紳士同盟は。心から、きみとムーンチャイルドを祝福し、応援すると誓うよ」
今日からおれ、リトルホークとルームメイトになるブラッドは、真っ直ぐな目でおれを見て、そう言った。
なんて綺麗な、曇りの無い瞳をしているんだろう。この貴公子様は。
「期待に沿えるように頑張るよ」
おれには、そう答えるしかない。
自分でもハードル上げてると思うけど。
突然やってきてムーンチャイルドに求婚し承諾をもらった、おれに対する周囲の期待がどういうものか、その一端を知った。
なら、応えるしかない。
「ブラッド。リトルホーク。仲良くやってくれたまえ。では、案内は任せるよ」
学院代表にして学長、そして講師でもある《呪術師》レニウス・レギオンは、こう言って、おれとブラッドを送り出したのだった。
今夜からは寄宿舎に暮らすようになったのだ。
次に《呪術師》に出会えるのは、いったい、いつになることか。
心の中で、ため息をつく。
寂しい。
いや、こんなこと考えてる場合じゃないな。
それに。今さら学生になるのかという、憂鬱な気分が加わる。
「最初に、どこが見たい? 教室? 食堂? 売店?」
屈託無くブラッドは話しかけてくる。
まだおれのことなんて、よく知りもしないのに。信用しきってる。
そんなにも無防備な笑顔を向ける。
ほんとに、こんなところが、彼はおれの嫁ムーンチャイルドに似てるのである。
……それに、顔も態度も、ずいぶん可愛いしな。
なんとなく、弟みたいな気分になる。前世の記憶では、おれには弟が居た。よくなついてくれて、兄ちゃん兄ちゃんとついてまわって。
ブラッドはムーンチャイルドの見かけの年齢に近い、十四、五歳くらい。色白で、華奢な身体つきだ。学生なら授業とかでスポーツはしているんだろうが、この世界は生き延びるのが大変なのだ。実戦で戦闘をしたことはあるのかな?
たぶん、ないよなぁ。
貴族のようだし、将来は護衛とかがつくんだろうな。
十八歳のおれとは、けっこう身長差がある、できのいい弟みたいなブラッド。
同室になるんだ。もっと知り合いたい。
ゆっくり、話でもしようか。
※
「行ってしまったな」
二人の少年が辞した後、ふと寂しげに《呪術師》が呟いたのを、ルビーとサファイアは聞き逃さなかった。
「お師匠さま!」
「《呪術師》さま!」
それぞれに、心細そうな顔をしているのに、呪術師は、気づく。
呪術師は立ち上がり、部屋の一方に備えられた長椅子に腰を下ろして。
両手を広げて、呼ぶ。
「おいで、私の宝石たち」
すると二人の美少女は、弾かれたように駆け出す。
広げた腕に、飛び込んで、とろけるような笑顔になる。
「お師匠さまお師匠さま!!」
「寂しかったですわ」
「よしよし。すまなかったね。潜入捜査などさせてしまった。あんな悪人たちと行動を共にするなんて、いやだったろう」
呪術師は二人を両腕でまとめて抱き寄せ、優しく囁く。
「それはいいんです。あたしたちが志願したんです。それにあいつら、熟女好きだから、あたしたちに手を出そうとはしなかったの。むしろ『乳臭い小娘』ってバカにされてたわ。かえって好都合だったけど」
「ただ、わたしたち、しばらくの間お師匠さまに会えなかったから、勝手に寂しくなっていただけなんですわ」
もじもじとして、美少女二人は、ただ、呪術師に、顔や頭をすりつける。それはまるで、子猫が親猫にするような仕草だ。
「よしよし。がんばったきみたちのお願いを、なんでも聞いてあげる」
「じゃあ、じゃあ《呪術師》さま」
「頭を撫でてください」
「うん。きみたちは、とても、良い子だ」
二人を抱きしめて《呪術師》は、少女たちの頭を撫でる。
良い子だと、何度も言葉をかける。
それはまるで、彼女たちが得られなかった実の父、実の母のように。
温かく、優しく、無条件の愛情に満ちていた。
「きみたちを、この学院の生徒達を、私は愛している」
《呪術師》は、呪文のように、低く、囁く。
「ルビー。サファイア。私の宝石。きみたちは、とても大切な、この世に二つと無い存在なんだよ」
「うふふっ。まるで親猫ね」
いつの間にか現れた銀髪の少女。
精霊ラト・ナ・ルアは、学長の椅子にゆったりと座り、楽しげに笑った。
「あなたも、ずいぶん親らしくなったものね。レニ。育ての親ってとこかしら」
姉さま、と、《呪術師》は精霊の少女に微笑みかける。
「そうだよラト姉さま。私は、精霊の姉さま兄さまに助けられて、愛して、大切にしてもらったから、人間を愛することができるようになったんだ。それにコマラパにも」
そしてリトルホークにも、と思うけれど、ここでは口にしない。少女たちの心情を考えてのことである。
良き言葉、良き言霊を紡ぐ、《呪術師》。
「だから、私の大切な宝石、ルビー。サファイア。学生たち。きみたちが幸せになれるように、私は持てる力の全てを尽くす」
「そんなもったいないお言葉」
「あたしたちはお師匠さまをお助けできたら、それでいいのに」
二人は幸せそうに、レニウス・レギオンに頭をもたせかけた。
※
彼女たちが《呪術師》に出会ったのは4年前。
十二歳のときだ。
実の親には暴力しか与えられず、スリや置き引き、万引きほかの、子どもにできる犯罪を強要されていた。家出して飢えて震えていた。
そこに現れた黒髪の美青年が、手を差し伸べたとき。いよいよ死ぬのか、天使が現れたのかと二人は思った。
それこそが《呪術師》だったのだ。
彼は言う。
きみたちの古い名前は捨てなさい。ここで昔のきみたちは死ぬ。かわりに、この世で最も美しい宝石の名前をあげよう。
そして《呪術師》は、聞いたことの無い宝石の名前を、二人に授けた。
この世界、セレナンで最も貴いとされている硬玉石の類、ルビー(ソルフェードラ)と、サファイヤ(スーリヤ)を。
最初に学び舎に引き取られた、つまり保護された子どもは、彼女たちが、初めてだった。
「きみたちは歳は若いけれど、この学院のみんなの先輩なのだから。後輩には優しくしてあげるんだよ」
「はい、お師匠さま」
「《呪術師》さま!」
言外に《呪術師》は、リトルホークにあまり八つ当たりしないでほしいと思っているのだが、直接的には、彼女たちをたしなめることは、しない。
彼女たちを怒ることは、決して、しないと決めていた。
時には、厳しい仕事もしてもらうこともあるけれど。
叱らない。怒らない。否定しない。ただただ、可愛がることしかしない。
無条件に受け入れる者があることを、彼女たちや、同じような虐待を受けていた経験のある子供たちに実感してほしいと思っているのだった。




