第1章 その28 別れた理由。おれの可愛い嫁を取り戻すには?
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「つまり『影武者』というのだとコマラパは言ってたけど、あなたわかる?」
「ああ。それは、わかる。身代わりを演じる者がいる、ってことか? でもどうして。それに、あんなにそっくりなんて。誰なんだ?」
「それは、あなたがまだ会ったことの無い者よ」
「……精霊の、誰かなのか?」
「まあ、そういうことね」
ラト・ナ・ルアは、そこは名言せず、言葉を濁した。
「人に与える情報は、よく考えなければならない。どこで、どう巡り巡って、誰の手に渡るかしれないのよ。それでも人間は、人と関わらないで生きることはできない。あなたと別れた後で、コマラパの後ろ盾になってくれそうな人物がいる、このエルレーン公国首都シ・イル・リリヤにやってきたのは、そういう理由よ」
「おれにとっては、せっかく婚姻の儀を結んだ嫁に、正式な嫁になってもらえる前に逃げられたということだったけど」
「……だって、しかたなかったんだもん」
ルナ(カルナック)は、うつむいたままで言った。
「投石戦争のあとで、おまえが急に迫ってくるから」
「えっ、それ? 逃げたのは、そのせいだったのか!?」
初めて知る事実だった!
ルナは、今は耳まで真っ赤になって、顔を伏せている。
「怖かったんだ。おまえ、銀竜様の加護で、おれを縛ったじゃないか。それで……拒めなくなってて、あのままだったら……おれは」
声が震えてる。
「ご、ごめん! あのときは……」
あっ、やばい。
思い出したら、おれまで、顔が赤くなってきた。
投石戦争、二つの班に分かれて、培ってきた投石や戦闘の技を競い合う競技、村の行事の中で。
戦いが終わり、それぞれの村、家族のもとに帰った、『戦士』たちは。
みんな、興奮が醒めやらず。戦いの余韻に浸っていた。
通常の生活に戻るには至っていなかった。
帰ったら、さっそく祝いの宴が待っていた。
誰もが、まず、奥さんのところに直行してたな~。
宴の席では、戦士たちは、うまいもの食って、嫁とイチャイチャするんだ、なんて、軽口をたたき合っていたものだった。
おれは……ルナを、腕に抱きたかった。抱きしめて、ルナが生きていて、本当に、おれの嫁なんだって確認したかった。それ以上のことをするつもりは、なかった。
……たぶん。あのときは、まだ。
だけど、ルナにしてみれば、戦いの後、帰還したおれに、いつもと違う何かを感じて、怯えたとしても無理からぬことだったのだ、と。
今なら、わかるのだが。
「投石戦争という、擬似的ではあれ、戦うという行為によって興奮状態になっていたことは容易に推測できるわね。人間という動物は、そんな状態で生殖への欲求が高まることは、私たち精霊も把握している」
ルナに謝ろうとしていたところへ、容赦の無いツッコミ、いや冷静きわまる分析をしてくれたのは精霊のラト・ナ・ルアだ。
人間では無い、客観的な立ち位置から観察されているのだと、あらためて認識する。
彼らが情に動かされるのは、精霊の養い子であり、この世界に愛されているカルナックのことに限るのだ。
「……ごめん。言い訳に聞こえるだろうけど、おれは、そんなつもりじゃなかった。ただ、ルナを抱きしめたかっただけなんだ」
「でも、こわかったんだからっ!」
「ルナ……ごめん。謝ってもだめだろうけど、ごめんな」
「……謝らないで。おれに、ひどいことするつもりじゃなかったんだろ? だったら、謝らないで。おれが、勝手に怯えただけなんだから」
「まあいいじゃない。我々にとって、あれは好機でもあったのよ。カルナックの姿を、この子が生存していることを、敵側に知られた可能性も懸念されたしね。行方をくらましておくにはいい時期だった。クイブロには気の毒だったけど。あたしたちには、カルナックを守ることが最優先なのは、理解してるでしょ?」
ルナは、おれとつないでいた手も離してしまった。
別れたときのことを思い出してしまったために、おれを怖がっているのか?
さっきまで、あんなになついて好意を示してくれていたのに。
おれは、また、ルナを失ってしまうのか?
しばらくの沈黙の後で、口を開いたのは、レフィス・トールだった。
「我々はカルナックを連れて『欠けた月』の村を去った。少しして、コマラパとカオリは、このエルレーン公国で、魔法使いを助け、育成したいと思っていたので、伝手を頼ってシ・イル・リリヤに向かうことにしたのですよ」
「そういえば、ここには、コマラパの弟子だった人がいるって聞いたことがある」
「エルレーン公子フィリクス」
レフィス・トールは、こともなげに言った。
「すげえ伝手だな」
つまりは、公国の継承者。
「レギオン王国や他の国では、虐げられないまでも苦労している『魔力』持ちの中には、コマラパやカオリと同じように『前世』の記憶を持っている者も、多いのです。フィリクス公子からの情報でした。だから、よけいに思い入れがあって、魔法使いを保護する施設を作ろうとしたのです。コマラパを迫害しようとしたレギオン王国の国教、『聖堂』への牽制もかねて」
「クイブロ……いいえ、リトルホーク。あなたも、前世を思い出したようね。以前は魔力の片鱗もないのに『加護』だけ多すぎるくらい持っていたけど。今のあなたには、魔力が巡っているのが、わかる」
ラト・ナ・ルアは、おれを値踏みするように見つめていた。
「たぶん、それだけじゃない。この『水』のおかげだよ。ずっと、こればかり飲んでいた。普通の食べ物は喉を通らなくなった」
おれは、五年前の婚姻の儀で精霊から贈られた、水晶をくりぬいて作られた水差しを懐から取り出して、見せた。
精霊の森、根源の泉につながっている、聖なる水が満ちている。
「それを、ちゃんと飲んでいたんですね」
レフィス・トールの声が、やわらいだ。
「あら、まだ持っていたの。人間にしては感心なこと」
ラト・ナ・ルアは、微笑んだ。
優しい顔で。
そしてルナも、ほっとしたように、微かに、笑った。
「クイブロ……リトルホーク。おれ、ほんとは待ってた。きっと、また、会えるって……思って」
おれから逃げ出したのは、ルナのほうじゃないかと思ったが、それは口にしなかった。責めていると思われたくない。
ルナを取り戻したいと渇望するのは、おれ、なんだ。
ルナが、震える手を伸ばして。
おれが、その手を取って。
やっと、また、触れ合えた。そのまま、抱き寄せようとした、
そのときだった。
「ほほう。この部屋の主である私の留守に、面白そうなことをやっているじゃないか」
冷ややかな声が響いた。
扉が開いた音も気配もしなかったが、入り口の、扉の内側には、長い黒髪に、水精石色の目をした長身の美女、いや、美青年が。
レニウス・レギオンと名乗っていた人物が、立っていた。
凍てつくような鋭い視線を、こちらへ向けて。
「やはり、年若い者は甘いな。レフィス・トール。ラト・ナ・ルア。人間などに、すぐにほだされる。カルナック、その者の手を離して、こちらへおいで」
圧倒的な、その存在感。
やばい。
傭兵部隊で培われた戦士の『勘』が、おれに告げる。
びんびんに警報が鳴り響く。
これが誰だか知らないが。
こいつ、すげえ、強い……!