第1章 その24 リトルホークは求婚する
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ああ腹立たしい!
そもそも、魔導師協会本部の中庭では、おれの可愛い嫁ルナ(この国ではムーンチャイルドと呼ばれている)が、おれと『お付き合い』からやり直すため『ぴくにっくでえと』をしたいと望み、心をこめたお弁当を作ってきてくれたのだ。
付き添い(監視)としてついてきた実の父親コマラパや、護衛のルビー、サファイアたちを交え、楽しくランチをしていたのである。
ちょうど昼飯どきだったこともあり、いい匂いをかぎつけてふらふらやってきた、魔導師協会付属学院の生徒たちにもお裾分けしてやり、親睦を深めた。
イケメンな学生、ブラッドに、ムーンチャイルドを危険なことから守る『紳士同盟』に入ってくれと誘われた。
ここまでは、良しとする。
しかし、その後にやってきた、大きな図体をした貴族様、カンバーランド卿というヤツは、いただけなかった。
いい年こいた、熊みたいなおっさんのくせに、ムーンチャイルドを欲しいと言う。
館から出さないし何もさせない監禁状態で、おっさんの夜の相手だけすればいいなどと寝言をほざいた。
それをコマラパが徹底的に拒絶すると、今度は逆ギレ。
上から目線の俺様口調に豹変したカンバーランド卿。
コマラパに対して、愛娘ムーンチャイルドをエルレーン公国の権力者である自分に差し出せと豪語したのである。
バカか! バカだろ!
目の前が真っ赤になって、怒りで身体が熱くなって、がくがくして。
気がついたらおれは叫んでいた。
「このエロ親父が、ふざけんな。おまえにムーンチャイルドは、渡さない! おれが彼女に結婚を申し込む!」
おれが声をあげた後。あたりは、しんと静まりかえった。
ああ、みんな、引いてる……。
せっかくお近づきになったけどブラッドたち『紳士同盟』ともおさらばだな。おれだけ抜け駆けすると宣言しちまった。一抹の寂しさを感じたが、男には、やらなければならないことと、時が、あるのだ。
しかし、周囲の音が消えたように静かになったのは、ほんの一瞬だった。
「おお、なんて素晴らしい!」
「すげーぞリトルホーク!」
「あっぱれなバカだ!」
「そこまでの覚悟とは!」
「おれ、いや僕、いますっげー感動してるよ」
我らが『紳士同盟』諸君は、口々に感嘆の声をあげ、おれに賞賛の嵐を送ってきたのだった。
「きみは本当に素晴らしいよ、リトルホーク!」
中でも、誰より熱心におれを賞賛したのは、イケメン貴公子ブラッドだった。
「あれ? みんなもムーンチャイルドのことを狙ってたんじゃん? いいのかよ、おれが彼女に求婚しても」
「リトルホーク。きみはエルレーン公国の国民じゃない。しがらみもなく自由に羽ばたける。僕たちにはそれが眩しくて、憧れるんだ」
生まれもお育ちもいいお貴族様の仲間、確定だ。
そういえばブラッドはカンバーランド卿を、叔父さんだと言ってた。ということはブラッドの家もかなりの上級貴族で……?
まあいいか。
今、考えるべきは、細かいことはどうでもよくて。
おそらく生まれて初めて平民に喧嘩を売られたショックで震え、ぶつぶつと呪文みたいなことを呟いているカンバーランド卿のことでも、もちろん、なくて。
ルナのもとに、おれは、ゆっくりと近づいた。
間近に、彼女の顔がある。
日光を浴びれば容易く痛んでしまう白い肌。きっちりと結んで三つ編みにした、濡れたように艶やかな漆黒の髪。夜空のような深い黒に染まる瞳。
「ムーンチャイルド。おれの嫁になってくれ!」
視線が、絡み合った。
彼女はまっすぐに、おれを見た。
目元が、うるんだ。
薄い、小さなくちびるが、わずかに開いて。
こくりと、喉が鳴った。
けんめいに、答えてくれようとしているのだ。おれの、ぜんぜん礼儀や慣習を無視したなってない求婚に。
「おまえの、よめ……に」
言いかけて、あとの音が、出てこない、愛らしい、おれのルナ。
涙をためた目で、頷いた、最高の美少女。
コマラパは彼女を下に降ろした。
ルナは、はじめはゆっくりと足を踏み出した。
「おいで」
呼ぶと、嬉しそうに微笑んで、やがて小走りになり、ひろげた、おれの腕の中めがけて飛び込んできた。
「ルナ……! ルナ、ルナ……!」
おれは無我夢中で彼女を強く抱きしめた。
「……待ってたんだから!」
彼女は、泣きそうに、笑った。
「はなさないで。もう」
驚いたことに、ルナは、自分から唇を寄せてきた。
唇が触れ合った瞬間、少しだけ怯えたように、びくんとしたけど、おれが抱き寄せても、今度は逃げなかった。
(今なら、いける)
ふと、おれの中には、いけない衝動が頭をもたげてきていた。
しかし、これは誰にも気づかれてはいけない。
今ならば、嫁は抗わず、最後まで行けそうだ、なんて。
……最低だよな……我ながら。
やましい衝動を懸命に抑え、おれはルナの唇をむさぼった。
最後まで、なんて無理は、望まないが。
舌を入れるくらい、なら。
今の、ルナとだったら。
いけるんじゃ……ないかな~。
よし。
それを試そうとしたときだった。
「まったく、せっかちな男だな」
落ち着いた音程で語りかける、美声が、した。
聞き覚えのある声だ?
いやしかし! そんなはず……?
振り返ったおれの目に飛び込んできたのは。
ものすごい美人だった。
床まで届く、真っ直ぐで豊かな黒髪。淡い青色の瞳。まるで神々の造作になるかのように整った、美しい面差し。
その鋭い視線で、おれの心臓を鷲掴みにして……
「相変わらず騒がしい男だな。言葉遣いもなっていないし育ちのほども知れている。こんなやつを伴侶に選んで本当にいいのか、ムーンチャイルド」
冷ややかな眼差しをおれに向ける、魔導師協会の長《呪術師》が、佇んでいた。
その姿を目にしたルビーとサファイアは、早速、その傍らに駆けつける。
「呪術師さま!」
「お師匠さま~!」
ルビーたちが甘えるので、他の学生達は間近には寄れないが、それでも遠巻きにして、尊敬の念を強力にアピールする。
「お師匠さま!」「お師匠さま」「ボス~!」
「学長様。申し訳ございません、今回も、叔父が侵入してしまい、ご迷惑をおかけしました」
ひとり、真面目に頭を垂れているのはブラッドくんだ。
「そのことは気にしなくてもよい。君もこれまで、さんざん叔父上に迷惑をこうむっただろう。あぶり出せてよかったくらいだよ。この後の対処は、私に任せなさい」
「ありがとうございます!」
その一方で、おれはといえば。
東屋の片隅でいまだ立ち直れないでいるカンバーランド卿なみに衝撃を受け、立ちすくむのだった。
「な! 《呪術師》、なんで、あんたがここに……」
ありえないことに遭遇した。
なぜなら《呪術師》は、おれが今、抱きしめているルナと、肉体と魂を共有する、別の人格。多重人格の一つなのだから。
ルナと《呪術師》が、同時に並び立っているなんて、ありえないのだ。
「ああ……それはだな」
人の悪い笑みをたたえて、呪術師は非常に満足げだった。
「ちょっとした《呪術》だよ。もちろん。何しろ私は《呪術師》なのだからね」
それから彼は、大股で歩み寄ってきた。
と、おれの顔のそばで少しばかり身を屈めて、囁いた。
「精霊に誓いを立てた伴侶なら、それくらい、見分けがつかなくては」
《呪術師》が囁いた、その途端。
背筋が、凍った。