第1章 その16 おれにだけ無防備すぎる可愛い嫁
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おれ、リトルホークは、隔離された部屋で、眠った。
窓の無い部屋だし、食事も運ばれてきたりしない。誰も訪れるわけもなく、時間の経過を知るすべもない。
「これって軟禁じゃん……」
つぶやいて、床に転がったおれは。
荷物に入れていた本を読んでみたりしていた。暇だが、ガルガンドの傭兵達の間で流行っていたカードゲームや占い石もあったが、手をつける気になれなかった。
そうこうしているうちに、いつの間にか眠ってしまったらしい。
……味噌汁のいい匂いがしている。
「充! 早く起きて、朝ご飯食べないと」
おふくろの声だ。
「にーちゃん、はやくおきて。ちこくしちゃうよ」
弟の、優の声だ。
今朝は親父の仕事が早出で、オレが幼稚園に連れてく当番だったっけ……いじめっ子がいたら言うんだぞ。充にーちゃんが、ガツンと、やっつけてやるからな。
「充! 早く、ごはん食べなさいよ。あたしはもう出るから」
サヤ姉ちゃんだ。
会社に入って、いろいろ苦労があるってよくぼやいてる。
「起きて、ごはんを……ちゃんと食べるんだよ、みつる……」
懐かしい声が、遠くなっていく。
※
あれ?
味噌汁の匂いがしている。
そんなわけない。
ここには誰も近づけないって、カルナックが言ってた。
それに第一、味噌汁なんてものが、おれが転生したこの異世界セレナンに存在するわけがないのだ。
百パーセントあり得ない。
そう思いながら、目をあけた。
すると、そこには。
あるはずのないモノが。
ほかほかと湯気の立つ味噌汁が、漆器の椀に入っていたのだった。
それに目玉焼きと白いごはん、納豆!?
「なんだこりゃあ!」
おれは驚きのあまり大声をあげてしまった。
「うふふふっ。驚いた?」
可愛い声がして、おれは目を瞬いた。
目の前に、料理をのせたトレイ。
その向こう側にちょこんと座っているのは。
「ルナ!」
再会したとたんに、おれが強引に迫ったせいで、慌てて逃げ出したのは、つい昨日のことではなかったか。
もっとも、逃げるといっても、銀竜様にもらった加護「魅了」で縛っていたから、もう一つの人格である「呪術師」ことレニウス・レギオンに意識の主導権を渡すことで、おれのかけた縛めから抜け出したという反則技である。
「寝言でいってたもん。お母さんの味噌汁が食べたいなって」
「え。恥ずかしいな。だから、作ってくれたのか?」
「うん」
「ありがとう。いただくよ」
おれは、味噌汁の入った朱塗りの椀を、手に取った。
いいにおいだ。一口、すする。
「うまい!」
「えへへ。よかったぁ。銀竜様の加護のおかげで、できたんだよ」
にこにこと上機嫌に笑うルナは、ものすごく嬉しそうだ。
おれと、嫁のルナことカルナックは、普通の食べ物や飲み物を摂取することはできない。取り入れられないし消化吸収もできず、もし無理に食べなければならない状況に陥ったとしたら、後で、吐き出さなければならない。
ただ、例外がある。
この場にルナが用意してくれた食事のように、おれか、ルナたちか、銀竜様が、世界に満ちているエネルギーを変換して造り上げたものならば、食せる。
それは銀竜様からもらった沢山の加護の一つ「料理名人」のスキルによるものだ。自分の記憶にある料理、その味、それには自分以外の人間の記憶も含まれる。
「ふふっ。リトルホークの考えていることは、すごく読み取りやすいから、これを再現して造るのは感嘆だった。でも、この料理、変わってるね。ローサ母さんの手料理の中にはなかったよ?」
「ああ。ブルッホから聞いてないか? おれには、前世の記憶がある」
「前世?」
きょとんとして可愛く首を傾げる、ルナ。
「っていうと。ときどき聞くよ。この世界じゃないところで生きていたっていう記憶がある人のこと。リトルホークもなの? この料理は、前世っていうところの?」
「おれが、それを思い出したのは、おまえに逃げられた後だったんだ。だから、まだ、言ってなかった」
もぐもぐと忙しく料理をほおばりながら、答える、おれ。
「そういえば、コマラパも、そんなこと言ってた。おれは、前世も、コマラパの子どもだったって。お母さん、フランカも。前世でも、お母さんだったんだよって。セレナンは、縁のある人間同士を、また同じように生まれ変わらせるってことを、よくやるんだって。……それってどういうことか、おれには、わかんないけど」
それは実験なんだ。
前世の記憶を取り戻したとき、おれの心に語りかけてきた存在があったことを、思い出す。姿は見せなかったけど、あれ、きっと世界そのものだ。
『人間は、面白い。我は、人間のために、世界を用意してやったのだ。儚い人生を謳歌するが良いぞ。その喜怒哀楽を、感情を、魂の輝きを、清濁あわせ、我は観察したい。それが、我の欲求だ。そのために人間を住まわせている……生きよ、愛せよ、悲しみ、怒り、喜べ。人よ……』
世界の言うことは荘厳で、厳粛で、なんだか大規模すぎて、つまりどういう意味なのか、おれにもよくわからなかったけど。
「とにかく食べて。おれ、おまえの食べるとこ見るの、すき。たのしそう。うれしそう。だいすき」
「大好き?」
ルナの一言が、仕草が、まなざしが、おれを撃ち抜いて、困るんだけど!
おれは味を堪能しながら、食事をたいらげた。
ルナが生成した、この食事は、実は高レベルのエネルギーそのものである。
だから、ものすごく元気がわいてきている、おれなのである。
「うまかった! ごちそうさん」
「そう。よかったぁ」
嬉しそうに、空になった食器をまとめていくルナ。
次の瞬間には、食器はきれいさっぱり消滅していた。それもまた、エネルギーを食器の形にまとめただけのものなのだ。
「ところで、わかってるか、ルナ」
「ん?」
相変わらず無防備すぎる愛らしい嫁を、おれはすばやく引き寄せて、しっかりと抱きすくめた。
「どうしたの?」
状況を全然理解していないルナ。
「また、おれに会いにくるなんて。しかもエネルギーを与えて、元気にするなんて。危険だと思わなかったのか?」
「え? なにが?」
やっぱり、おれの嫁はダメな子だ。
おれと別れて、ちゃんと社会でやっていけてたのか、はなはだ不安でならない。
きっと、保護者のコマラパが、もしくは呪術師が、守ってくれてたんだろう。
「こういうことだよ」
言うと同時に、おれは嫁の両手首をつかんで、動きを封じて。
可愛い唇に、口を寄せていく。
「うええええええ!? なんで? ごはんあげただけなのに、なんでー?」
戸惑い、もがくけど、無理だよ、ルナ。
「だから、なんでそんなに無防備なのかな?」
押さえつけて、キスをした。
もちろん、唇が軽く触れ合うだけで解放するつもりなんて、なかった。