第1章 その15 呪術師と嫁と闇の魔女
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カルナックが立ち去って、独りになったおれ、リトルホークは。
することもないので、クッション、ていうか寝床に、ごろんと横になった。
「おっと。そういえば喉がかわいたな」
カルナックに持ってきてもらった荷物、たいして中身が入ってなさそうな、使い込んだ丈夫な布袋を掴んで、口をあけて中を探った。
飲み水が入った瓶と、コップを取り出して、ついでに小さなトレイも出して、目の前に並べた。
天井から差している光は、人工の灯りか、魔法の力か。
瓶を取って光にかざす。
透明な水晶の結晶をくりぬいてつくられた、口の細い、手のひらにおさまるほどの大きさの瓶。その底からは、非常に細かな泡が、密やかに沸き上がっている。
グラスのほうも同じく水晶でできている。
カルナックとの婚姻の儀式のときに精霊様から贈られた、大事なものだ。
この瓶の中は、精霊の森にある《根源の泉》に繋がっていて、ここからいくらたくさん水を注ぎ出しても、中身が減ることはない。
そして、特別な水だ。
水であって、水というだけではない。エネルギーの塊である、という喩えが、しっくりくるかな?
おれとカルナックは、この水さえ飲んでいれば、他に食べたり飲んだりする必要はないし、というより、むしろ、普通の食品を飲み食いはできない。
カルナックは、精霊に保護され、精霊の森で育ったから。
おれは、精霊の養い子であり愛し子であるカルナックと、十三歳のときに婚姻の契約を結んだからだ。そのためには、人間の身体でありながら精霊に近づかなくてはならない。……婚姻の条件の一つである。
この特別な水を、水晶のグラスに注いで、飲み干した。
すると、周囲の空間が、微かに光る、銀色の微粒子に満たされている、その流れが、見えるようになる。しばらくすると、それは消えるのだが。
通常の人の目には見えない、この微粒子は、世界に満ちているエネルギーなのだ。
これが集まれば《精霊火》と呼ばれる、ときどき見受けられる青白い光の球体になる。
※
ここで、おれの嫁ルナ……カルナックについて説明しておく。
おれと結婚してカルナック・プーマということになった、この人は。
もとは、レニウス・レギオンという名だった。
さっきも自ら言っていたが、レギオン王国国教の『聖堂』の最高権力者だったガルデル・バルケス・ロカ・レギオン大教王の、末の息子。
だが、血のつながりは無い。
ガルデルに見初められレギオン王国にあった『魔女の共同体』から攫われてきた女性、白き魔女フランカの連れ子だったのだ。
幼い息子をガルデルに差し出すのを拒んだフランカは殺されて、代わりに灰色の魔女グリスという女性に育てられていたレニウス・レギオンは、自らは望まないのに、ガルデルの寵愛を一身に受けていた。
しかし、あるときガルデルは、魔が差した。
肉親全てを殺して『闇の神』に捧げ、不老不死を願った。
そのときレニウス・レギオンは殺され、捨てられたのだ。
だが、捨てられていたレニウスを精霊たちが見つけ、保護した。
精霊の森にかくまわれ、守り育てられたレニウス・レギオンは、以前の名前を捨てて新たな名前を「カルナック」と、自分で決めた。《世界の大いなる意思》と呼ばれる、この世界そのものに愛された『精霊の養い子』『精霊の愛し子』である。
それはどういうことか?
いったん殺されて捨てられたレニウス・レギオンは、傷と出血多量で死んだ。
死んだはずの身体に、精霊たちは《世界》のエネルギーである《精霊火》を入れて、蘇らせた。
精霊の森で匿われていた間、カルナックの時間は止まっていた。
子どものままで。
クーナ族の、《森の賢者》である「深緑のコマラパ」が、精霊にさらわれた子どもがいると、間違った情報によって、助け出そうと使命感に燃えて精霊の森を訪れたことから、カルナックの時間は、ふたたび流れ出したのだ。
そして。
精霊の養い親である、カルナックの義理の姉ラト・ナ・ルアは、教えてくれた。
カルナックは、男性であり同時に女性である、両性体として生まれた。
おれの前世の記憶でいう「両性具有」なのだろう。
この世界、セレナンでは、性が三つある。多くの場合、両性体は未分化で生まれ、成長するにつれて、選んでいく。男性になるか、女性になるかを。
だが、カルナックの場合は、事情が違う。
同じ魂の中に、多重人格として三人分の意識が同居している。
そして、カルナックの言葉を借りれば、「すでに人間ではない」ために。
「この身体の中身は、ほとんどが《精霊火》なのだ。本来は私のような未分化の《両性体》は、いったん性別をどちらかに決めたら、すぐに変わったりはしない。だが、この身体は、物質であって、物質ではないようなもの。身体の主導権を握る意識が替わることで身体の組成も変わる」
そう、言っていた。
だから、こうなる。
カルナック(レニウス・レギオン)は、成人男性。
ルナは、現在は十四歳、別れたときのままの、少女。
もう一つの意識、現在は眠っている、魔女カオリは、若い女性。
そして、おれは。
三人とも、心の底から愛している。
「どうなるんだろうな、おれ」
水を飲んで、また寝転がる。
裁判というやつが始まるまでは、ここにいることになるのだろう。