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ローラさんは今日もゴリラです  作者: 吠神やじり
終章 ローラさんは今日もゴリラです
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第九十話 小さな奇跡

 博物館動物園駅では、ローラさんとクジョウの戦いが続く。ローラさんの体当たりで、クジョウは柱に叩きつけられた。

 交通事故を思わせる衝撃が、駅構内を支える太いコンクリートの柱を襲う。柱とローラさんに挟まれたクジョウは、苦悶の表情を浮かべる。そして柱にも亀裂が入る。

 コンクリートの柱に貼り付けるように、ローラさんは絶え間なく攻撃を続けた。クジョウの身体が軋み、柱の亀裂も大きくなる。

 わずかな隙をついて、クジョウはローラさんに頭突きを打ち込む。駅構内に鈍い音が響き渡り、ローラさんの動きも止まる。


 再び闇が疾走する。ローラさんが動きを止めた瞬間に、クジョウはその場から離れて距離をとった。

 そして何度も繰り返した攻撃。『ゴリラ・バスター』による加速からの、直線的な掌底打ちをもう一度繰り出した。


 ローラさんの眼前に闇が迫る。漆黒の闇が。


 その闇から繰り出される掌底は、恐るべき速度と破壊力を持っていた。その攻撃は、戦闘開始の時点で見せた最初の一撃と同様に、食らえばローラさんですらダウンさせる事ができた。

 だが、その攻撃は既に何度も繰り返してきた。ローラさんとクジョウの大きな違い。それは怪人としての経験の差。何度も繰り返された攻撃を、いつまでも食らい続けるローラさんではなかった。


 恐るべき掌底に対して、ローラさんは一歩前に踏み出す。そして頭部をわずかに傾けただけでその攻撃を避ける。

 疾走した勢いを止められないクジョウに対して、すれ違いざまの膝蹴りを叩き込む。

 クジョウは呻き声を上げながら、疾走する勢いのまま壁に衝突する。ローラさんも片足ではクジョウの勢いを止める事ができずに弾かれる。


 クジョウが壁に手をつきながら、再び立ち上がる。その腹部に異変が起きていた。ローラさんの膝蹴りを食らった強化スーツが、わずかに破損している。液体が凝固して形作られた人工筋肉が、その形を維持できず元の液体に戻る。

 クジョウの腹部から、黒い液体がしたたり落ちる。目を見開きながら、その破損箇所を触れる。クジョウの手には、ベットリとした黒く重い液体がこびり付いていた。


「強えな……。俺じゃ勝てないか……」


 クジョウのつぶやきにローラさんが応える。


「つまんねえ事言うなよ。まだ、力を出し切った訳じゃねえだろ」


 ローラさんの言葉に、『ホワイト』の怪人たちが顔色を失う。


「化け物かよ、あのゴリラ……」


「マダム、俺たちも加勢した方が……」


「やめときな。ヘタに突っ込んでいったら死ぬよ」


 その場の全員が理解していた。ローラさんと渡り合えるのは、クジョウ一人だけ。ヘタに首を突っ込んだら、クジョウの邪魔になる恐れすらある。

 仮にクジョウと協力して戦う事ができたとしても、恐らく『ホワイト』の怪人の中で、ローラさんの攻撃に耐えられる者はいない。


 ここまでの戦いで、ローラさんとクジョウはお互いの能力差を理解していた。一撃の破壊力ではほぼ互角。スピードではクジョウが上をいくが、耐久力ではローラさんが勝る。

 だが決定的な違いは、戦闘経験だった。クジョウが生まれた時には既に怪人だったローラさん。二人の戦闘経験には差がありすぎた。

 確かにローラさんは強すぎるために、追い詰められた経験があまりない。基本的に戦闘経験が豊富だと言っても、格下とばかり戦っていた。

 だが、それでもその数が違いすぎた。そのローラさんに対して、クジョウの攻撃はあまりにも単調だった。


 ローラさんはツバを吐くように、口の中に溜まった血を吐き出す。小さく口角を上げ、クジョウを見下すように見つめる。

 ゴリラのドヤ顔に、オランウータンが吠える。


「ああ、まだ終わってねえっ!」


     ***


 ローラさんとクジョウの戦闘は続く。二人はなんのために戦うのか。その理由を、クジョウは既に見失っている。

 最初はローラさんに対する呪いと憧れだった。それがクジョウにローラさんとの決着を求めさせた。

 だが、今となってはローラさんを呪う事もなくなった。そして憧れもない。『憧れ』のような、距離のある感情ではなく、もっと身近な感情。友人や、肉親に対する親愛の情。

 では、今のクジョウが渾身の掌底打ちを放つ理由はなにか。


 それは『失敗作』の意地。『完成された改造人間』に挑む事で、自分自身に証明したい。たとえ『失敗作』でも、卑屈になるつもりなんてない。怯えて生きるつもりもない。


 クジョウ・ナオトは怪人である。


 もう、それを否定するつもりはない。恐れる事なく、オランウータンは吠える。最強のヒーローを相手に、クジョウ・ナオトは命を賭ける。

 命を賭けて、自分の人生に価値がある事を証明したい。自分自身すら否定してきた自分の人生の価値を、もう一度確かめたい。


 ローラさんの戦う理由。それは最初から一貫していた。これまでの人生で、ローラさんは何度もクジョウのような男を見てきた。

 すべてを否定する者。その末路まで、ローラさんは何度も見てきた。それは常に悲劇だった。

 すべてを否定する者は、誰も彼も巻き込んで死んでいく。たった一人で、ひっそりと死んでいったりはしない。いつだってその怨念が世界を喰い尽くす事を願って死んでいく。


 ローラさんはこれまで何度もそんな者たちと戦ってきた。それはローラさんなりの罪ほろぼし。

 たった一人で小さな奇跡を背負ってしまった事の罪ほろぼし。


 改造人間の宿命とも言える、肉体と精神の崩壊。ローラさんにはそれがない。早い者なら改造手術後、すぐに崩壊が始まる。だが、ローラさんは既に改造手術を受けてから四十年近く経過している。

 まだ若い頃のローラさんは、その奇跡を無邪気に喜んでいた。自分は特別なんだと、誇らしく思っていた。

 だが、月日は彼に現実を突きつける。奇跡のために、彼は『怪人』の仲間にはなれなかった。

 彼にも親しい者はいた。だが、すぐに死んでいく。彼を慕う者もいた。だが、すぐに死んでいく。

 時には恨みの言葉を投げかけられる事もあった。『どうしてお前だけ』、怨嗟の眼差しと共に、何度もそんな言葉を投げかけられた。

 だが、ローラさんと親しい者や、彼を慕う者はもっと残酷だった。


『ありがとう』


 死んでいく者。あるいは狂っていく者。そんな者たちから投げかけられる感謝の言葉。それがローラさんの胸に突き刺さる。

 いっそ恨んで欲しかった。口汚く罵って欲しかった。常に自分だけが助かっている。奇跡と、バカげた耐久力と、そして幸運によって。


 仲間たちが去っていく中で、ローラさんは怪人の存在意義を見失う。怪人とはなにか。それは世界に不要な存在なんじゃないか。

 だが、ローラさんは自分を否定できなかった。ただ苦悩するだけで、自分を無価値だとは認めなかった。


 いまだに迷う事がある。怪人にならなかった自分。あるいは奇跡が起こらなかった自分。それはどんな人生になったんだろう。

 だが、迷うだけだった。結論には辿り着かない。あえて、考える事を止めてしまう。仮定の話をしても意味がないと。

 ローラさんは怪人で、奇跡は起きてしまった。だから、仮定の話を長々と続けたりしない。

 思い出したくもない過去だってある。辛かった事など数え切れない。それでもローラさんは笑う。自分に挑んできたヒーローたちのように。

 笑って前に進む。苦悩して、間違えて、傷ついて、またやり直す。笑いながら言ってのける。


『後悔なんて、死んだ後でゆっくりやればいいんだよ』


 そんなローラさんの戦い。奇跡が起こらなかった怪人が、ローラさんと同じように怪人の存在意義を見失った時、彼はいつだって戦ってきた。

 すべてを否定する者は、誰も彼も巻き込んで死んでいく。ローラさんは、それを止めるために奔走した。これまで何度も。

 そしてまた現れた。今度の否定する者は、クジョウ・ナオトという男。これまでと同じように、すべてを否定する者。


 ローラさんは渾身の力を込めて、クジョウにゴリラビンタを放つ。


 何度も失敗した。救えた事なんて一度も無い。否定する者は、いつだってローラさんを呪って死んでいった。


 クジョウは渾身の力を込めて、ローラさんに掌底打ちを放つ。


 クジョウの目に生気が宿る。強く、激しい生気が。すべてを否定する者が、世界も自分も肯定し始めた。

 戦う以外に取り柄のないローラさん。そのローラさんにとって、怪人を救う事は難題だった。小さな奇跡と強靱な肉体は、怪人を救うどころか常に恨みを買っていた。

 それでもローラさんは戦い続けた。小さな奇跡を宿してしまったローラさんは、その奇跡に責任を感じていた。その奇跡の意味を知りたかった。

 その奇跡がもっと多くの怪人を救っていたのなら。何度もそう考えた。だけど、仮定の話をしても意味が無い。


 クジョウの腹部に前蹴りを放つ。クジョウの身体がくの字に折れ曲がり、辺りに液状化した強化スーツを撒き散らす。

 クジョウが笑ってる。口から血を吐きながら笑っている。


 奇跡によって、生き続ける事を許されたゴリラ。寿命をまっとうできる、唯一の改造人間。

 死と狂気に怯え、すべてを否定する事を選んだ者たちに、ローラさんの言葉は届かない。だけど止めずにいられない。

 あえて眼前に立ちはだかり、死力を尽くした戦いを通じて、彼らに伝えたい。


『この世界も捨てたモンじゃないぜ』


 ただそれだけの言葉。小さな奇跡を宿すローラさんが言えば、ただのイヤミになりかねない言葉。

 それでも死力を尽くした戦いの中で、否定する者が胸を熱くする事を期待する。否定できない魂が目を覚ます事を期待する。


 そして、今。ローラさんの願いが叶った。


 ローラさんが掌底打ちを放つ。まるでクジョウのように。掌底はクジョウの胸を激しく叩く。波打つように『ゴリラ・バスター』が歪んでいく。衝撃で千切れていく。

 スーツの大部分が液状化してしたたり落ちる。それでもクジョウは倒れない。『ゴリラ・バスター』の性能は大幅に減退しているが、それでもクジョウは笑って身構える。


 クジョウが雷鳴のように吠える。そしてローラさんに襲いかかる。漆黒の強化スーツは、液状化しながらクジョウから離れていく。クジョウはそれに構わずローラさんに掌底を放つ。

 だが、強化スーツの力は失われ、そこから得られた苦痛もなくなった。そしてクジョウの理性はうすれていく。

 弱い掌底がローラさんの胸を叩く。その目が懇願する。


『さっさとやれよ。ヒーロー』


 ローラさんは笑みを浮かべる。そして大きく腕を振りかぶり、全力のゴリラビンタでクジョウにトドメを刺した。

 コンクリートの床に叩きつけられたクジョウは、そのまま動かなくなった。そして雨が降り出した。


 地下にある博物館動物園駅の構内に、雨のように水滴が落ちる。ローラさんは天井を見上げる。コンクリートの天井を、蜘蛛の巣を思わせる細かい亀裂が覆っていた。その亀裂から、水滴が落ちる。


「あっ、これヤバいパターンだ……」


 ローラさんがつぶやく。ローラさんとクジョウの戦い。そして彼らは知らないが、駅の上ではミドリ君とガネーシャの再戦が始まっていた。

 コンクリートの壁や柱に亀裂が走る。甲高い音を立てて、駅構内のあらゆる場所に亀裂が走る。

 その場の全員が呆然と天井を見つめた。その亀裂が大きくなっていき、亀裂に水が流れ込む事で更に崩壊が早まっていく。


「この水、どっから来てんだよ……」


 ローラさんのつぶやきに、『スタン・ハリセン』を抱えたヨシダさんが応える。


「近くに大噴水もありますし、水道管くらいは通ってるんじゃないですかね」


 納得したローラさんは、ヨシダさんを抱きかかえる。そして『ホワイト』の怪人たちに振り返り、怒鳴りつけた。


「おいっ! お前らも、さっさと逃げろ!」


 その言葉の直後、博物館動物園駅の崩壊が始まった。柱が折れ、天井が落ちてくる。壁が崩れ、床が歪んで割れていく。

 そして地下にある駅のど真ん中に、天井を崩壊させながら象が落ちてきた。


 バカデカい管楽器のような咆哮を上げて、ガネーシャが駅で暴れ始める。天井は崩落し、頭上には青空が見えた。


「ミドリ君のアホ。コイツ仕留めてねえじゃん。まあ、こっから出た方が早いか……」


 ヨシダさんを抱えたまま、ローラさんは跳ぶ。瓦礫の山を踏み越えて、ガネーシャの身体も踏み台にして、ローラさんは駅から地上へと脱出した。地下の駅からマダムの声が聞こえる。


「お前たち! 死んでもナオトを逃がすよっ! 気合い入れなっ!」


 怪人たちの咆哮が聞こえる。だが、それは地下からだけではなかった。上野恩賜公園を包囲する警官もその咆哮を聞いた。そして彼らは見た。

 上野恩賜公園の外。公園を包囲する警官の背後から、怪人の集団が現れた。


 公園を包囲する警官は二四〇〇。対して、突如現れた怪人の群れは、およそ二〇〇程度。

 広大な公園から怪人を逃がさないようにするための包囲。だが、最初から警官たちは包囲に失敗していた。

 『ホワイト』の戦力はすべて駅構内にいる。だが、『ホワイト』の所属ではないすべて怪人がこの戦いを他人事だと思っていた訳ではない。

 誰に呼ばれた訳でもないのに、怪人たちは上野に集結していた。その勢力が一斉に蜂起する。

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