第九話 気が付いたら団結してました
「そんじゃどっちの出口から確かめる? こっち?」
ローラさんは自分が立つ西側出口を指差す。そして二人の返事も待たずに不用心なゴリラは扉のドアノブに手をかける。
「ん? あれ!? これ、意外と軽いな」
ローラさんの前にそびえる扉は、見た目重厚な鋼鉄製に見えた。それだけに扉を開けるのもかなりの力が必要だと思い込んでいた。
しかし、ローラさんがドアノブに触れた途端、なにかのセンサーが反応したのか、扉の内部から『カチャッ、キンッ!』と解錠される音が響き、そのまま扉はゆっくりと開き始めた。
内部から、外側へとゆっくり開いていく鋼鉄製の扉。ヨシダさんとハセガワもローラさんの元に駆け寄った。
「凄いですね、これ。普通の扉に見えますけど、結構凄い技術とか使ってそうです」
「って言うか、普通の通路っすね。どうします、先にアッチも開けてみるっすか?」
ハセガワは扉の外に続く通路の先を指差す。そこはなだらかな坂道が延々と続いていた。点在する豆電球がコンクリートで舗装された通路を照らしているが、その果ては見えない。
確かに通路の先を確認する前に、もう一つの出口も確認しておくべきかも知れない。ローラさんもヨシダさんもそう思った。
「ああ、コッチの出口は先が見えねえな。結構歩く事になりそうだし……。そうだな、先にアッチも開けてみるか」
三人は『西側出口』の扉を開けっ放しにして、そのまま『東側出口』へと向かった。同じように鋼鉄製の扉。やはりドアノブの形状まで一緒。だが、既に誰も考えていない。この地下室の悪臭がどこから来ていたのか。
「ほんじゃ、開けるか。コッチもこうやって軽く握るだけで……」
『西側出口』と同様に、やはり『東側出口』の扉も簡単に開いた。ただドアノブを握るだけで解錠された音が響く、そしてゆっくりと自動的に開き始める鋼鉄製の扉。
「あぇええっ!」
ローラさんの奇声。
「おう、しっと!」
ヨシダさんが再びトリップ。
「おぇえええええええっ!」
ハセガワが再び嘔吐。
「なにこれ、閉まらん。なんだこれ、勝手に開いてく。ちょっと待って、これ閉まらん!」
自動的に開いていく鋼鉄製の扉。ゆっくりと開いていく扉の先にはガチの下水道。濃密な臭気が再び三人を襲う。
***
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
ヨシダさんがひざまずいたまま、うなだれている。まるで土下座でもするように。ローラさんは扉の横で座り込んでいる。
ハセガワは自分の吐瀉物に対して、死んだような目でファブ○ーズを繰り返し噴射していた。
「ああ、この臭いってコッチから来てた訳ね。じゃあ、コッチの扉は封印な。ガムテープかなんか買ってこよう」
「生ぬるいっす。扉の隙間にボンド流し込むっす」
「そんな事したら、いざって時に……」
「すいません、ローラさん。私もハセガワ君に賛成です」
鋼鉄製の扉はいったん開ききるまで閉める事ができなかった。見たくもない下水道の光景をタップリと堪能した後、ようやく扉を閉めた。だが三人のダメージは大きい。
「なんかもう動きたくねえな……」
「同感です。いったん上に戻りますか?」
「と言うか、下水道の隣にある隠れ家って最低っすね。下水の臭いがマジでヤバいっす」
地下深くの下水道。その内部にひっそりとある隠れ家。シチュエーションだけ見れば最高かも知れない。どこか格好いい。ローラさんとヨシダさんはそんな事も少しは考えていた。だが、ガチの下水道が放つ悪臭の前に、彼らは少しばかり夢を砕かれた気分だった。
三人は消臭ビーズと吐瀉物が撒き散らされた地下室から、どう動くかを考えた。結果として、『西側出口』の先に進んでみるという結論に達した。
「とりあえず出口の先だけ見とこう。それからまたドンキー行って、追加の消臭ビーズとガムテープ、それとボンド買ってきて。完全に扉を封じたら多少はマシになるだろ」
「そうですね。ただ本当にここって隠し通路だけ見たいですね。水道とかトイレもない」
「下水道に出て、そのままやれって意味じゃないっすか?」
「もうちょっと秘密基地っぽいの期待してたんだけどな……」
三人はとぼとぼと『西側出口』の外へと歩き出した。『西側出口』から出てすぐに通路は左に曲がっている。そこから先はずっとなだらかな坂道。点在する豆電球のお陰で足下に不安はないが、それ以外の不安は多少残っている。
「この先も下水道だったりして……」
「ローラさん、冗談でもやめてください」
コンクリートで固められたトンネル。その坂道には点在する豆電球以外に目にとまる物はない。それだけに三人は距離感も狂い、長い旅をしている気分にすらなっていた。
愚痴をこぼしながら坂道を歩く。嫌な臭いがない事だけが救いだった。そのままただひたすら歩き続ける。そしてようやく坂道の上に小さな扉が見えてきた。やはりありがちな金属製の扉。飾りも窓もない。うすい緑色の扉に三人は安堵した。
「ふう、やっとついたな。これは普通の扉だな。ああ、鍵も妙なヤツじゃなくて普通のヤツだ」
ごく普通の扉。ドアノブの上にはサムターンと呼ばれる内側から施錠するためのつまみ。ローラさんはゴツい指先で器用にサムターンを回す。
そして相変わらず不用心なゴリラはごく普通に扉を開けた。ゴリラのせいで後ろの二人には外の景色が見えない。
「ローラさん、どうしたんですか? もうちょっと先に進んでもらえますか」
「あ? ああ、ゴメン、ゴメン。いや、なんか普通の駐車場みたいなんだよな」
ローラさんはそのまま外に出て行った。その後をヨシダさんとハセガワが追う。そして辺りを見回した。確かにどこかの地下駐車場という感じだった。
たった今、三人が出てきた扉のすぐ近くには『従業員用駐車スペース』の看板。そこには数台の車が駐められそうだったが、今は一台も駐まっていない。
ヨシダさんは注意深く辺りを見回していたが、不用心なゴリラはドスドスとどこかへ歩いて行ってしまう。
「ちょっと! どこ行くんすか、そこのゴリラ!」
「え? だって、ここがどこかも分からんし……」
「分かんねえんだから、不用意に動くなって言ってんすよ」
「こんな人気のないところで、そんな警戒してもな……」
確かに辺りには人気もない。平日の昼間だと言うのに、出入りする車もない。それだけに不用心なゴリラでなくとも油断してしまいそうな雰囲気はあった。
ローラさんはそのままドスドスと歩いて行く。辺りは閑散として、人の気配もない。かなり広い駐車場に見えたが、車の出入りもない。ただし出口そばの『従業員用駐車スペース』とは違い、駐車場のスペースは半数近くが埋まっている状態だった。
辺りは蛍光灯で照らされているが、それ以外にも光が二つ見える。一つは『非常口』の緑色の光。そしてもう一つは、車が上がっていくためのスロープから見える太陽光。
「そんなに深くはないとこだな。まあ、散々坂上がってきたくらいだし。とりあえず表出てみよっか?」
「いやいや、人に見られたら面倒っすよ。まだニュースとかにはなってないけど、神社の一件はさすがに噂になってるはずっす」
ゴリゴリ団の破綻から先日までは、ごく普通にローラさんも表を出歩いていた。そしてバイトまでやっていた。一体どこでどんなバイトをしていたのかは知らないが。
しかし、先日の一件で既にローラさんは『悪の怪人』と認識されている可能性がある。ヨシダさんとハセガワはその事を心配しているのだが、ローラさんは気にしていない。
「まあ、今までもなんとかなったしな、大丈夫、大丈夫」
「あのゴリラ、なんとかなんないんすか?」
「おかしいですね……。前は外に出るのあまり好きじゃなかったんですけど」
以前のゴリゴリ団では、首領のローラさんは実質引きこもりの状態だった。それでもある程度は『悪の秘密結社』として噂にもなっていたので、襲ってくるヒーローもいた。
ヨシダさんはその当時の事しか知らない。破綻した後、半年ばかり距離を置いている時間があったが、その間にローラさんがなにをしていたのかは彼女も知らない。
もっともローラさんはごく普通にバイトをして暮らしていただけなのだが、その日々がローラさんの意識に多少の変化を与えていた。
「おい、ゴリラ! ちょっと待つっす。誰かに見られたら面倒っすよ、ゴリラなんだから。自分がゴリラだって事、分かってんすか?」
悪の秘密結社。それ自体は違法ではない。少なくとも憲法において『結社の自由』というものは保証されている。
それだけに犯罪の証拠を残さなければ、どんな結社でも国家権力を敵に回す事はない。そんな法を盾に取った結社の前に立ちはだかるのがヒーローたちである。
つまり、ある意味でヒーローたちも悪の秘密結社同様に『法の外側』に立つ存在でもある。ただし治外法権になっている訳ではない。彼らも場合によっては逮捕され、法の裁きを受ける。
かつてのゴリゴリ団は半年前に破綻している。その時点でゴリゴリ団は『秘密結社』ではなくなった。戦闘員から訴訟を起こされた悪の秘密結社は世間の笑いものになった。
その直後の経営破綻は事実上ゴリゴリ団を消滅させた。秘密ではなくなった結社は跡形もなく消え去った。そしてローラさんは一人になる。
十年以上犯罪行為をしてこなかったローラさんは、法の裁きは免れた。確認できた以前の犯罪はすべて時効になっていた。
俗に言う『野良怪人』。改造手術は違法だが、あくまで裁かれるのは手術を施した医師であって、手術を受けた側を裁く法は今のところ無い。
そのため警察が動く事はないが、ヒーローの的にはなってしまう。ヒーローが怪人を襲撃しても、それを警察は黙認している。もっともヒーローが返り討ちにあったところで、やはり警察は動かない。
『民間人に迷惑をかけなければいい。できればどっか遠くでやれ』
それが警察の本音。
「おい、ゴリラ! 聞いてんすか! そこのゴリラ・ゴリラ・ゴリラ! なにボケッとしてんすか、バナナやるから戻ってくるっす!」
野良怪人として過ごした半年の間にローラさんは初めて人間の社会に紛れる努力をした。その努力は実ったとは言い難い。所詮はゴリラだから。
幼い頃は人間だった。ただしその当時の記憶を彼が語る事はない。今は所詮ゴリラだから。
それでもローラさんは時々思っていた。自分の選んだ道が間違っていたと。悪の秘密結社に入る事もなく、平穏に生きていたらどんな人生を歩んでいただろうかと。
ゴリゴリ団の再始動に迷いはない。自分のため、そしてヨシダさんのため。更にハセガワのため。それでも彼は想像してしまう。
怪人『ニシローランドゴリラ男』にならなかった自分を。
そんなローラさんの気持ちを、幼女が妙に陽気なリズムで踏みにじる。
「ゴリラ、ゴリラ、ゴリゴリラ! はいっ! ゴリラ、ゴリラ、ゴリゴリラ! ほいっ! ゴーリ、ゴリゴリ、ゴリゴリラ! へいっ!」
あえてゴリラを連呼するハセガワ。そんなハセガワを温かい目で見守るヨシダさん。ドスドスと前を進んでいたローラさんは振り返って怒鳴る。
「お前、ふざけんなよ! 俺のどこがゴリラなんだよ!」
まだ知り合って間もない二人だが、すっかり意気投合しているように見える。ツッコみを入れるローラさんも軽くボケている。
「ゴリラ以外の部分が見当たらねっす」
ハセガワが容赦なくツッコむ。
結局は二人揃って歩き出している。ゴリラと銀髪の幼女。どう考えても目立つ二人が地下駐車場を歩く。その後を保護者兼飼育係のヨシダさんがついていく。
車用のスロープを上がり、外の景色が見える場所までやって来た三人は、自分たちがいる場所を理解した。
「ここ、ドンキーじゃないですか?」
そこには既に常連客となっていたディスカウントショップが見えていた。正確にはドンキーもテナントとして入っている複合商業施設。ドンキーの上の階にはパチンコ屋や映画館も入っているはずだった。
「そんじゃ買い物でもしてから帰るか?」
「いや、ゴリラはさっさと一人で帰るっす。自分とヨシダさんで買い物は済ませてくるっすから」
「お前、なんかスゲえ調子にのってんな」
「なに言ってんすか、自分はゴリゴリ団のマスコットキャラっすよ」
「マジで!? じゃあゴリゴリ団の構成員をちょっとまとめてみようか。えっと、まず首領な、それと女幹部、それにマスコットキャラか…………。お前バカじゃねえの?」
「なんすか、それ!? いいじゃないっすか、首領に女幹部、それにマスコットキャラ…………。これで一体なにをやれって言うんすか!」
「俺が知りてえよ!」
くだらない話が延々と続く。ヨシダさんも苦笑い。これからなにをするのか、それを決めるのにさっきも揉めていたばかりなのに。しかしハセガワはそれまでの意見をひるがえす。
「これからの事は全部ヨシダさんに任せるっす。自分はそれについて行くっすから」
「え!? でもさっきは『とりあえず街で暴れろ』って提案してましたよね」
「はい、でも少し考えを改めたっす。なんか真面目に考えるのがちょっとバカバカしくなってきたって感じっすね」
まだゴリゴリ団はなにもしていない。強いて言えば地下室の掃除をしたくらい。それでもたった一日でハセガワの世界は変わった。
『起きたら幼女』のイベントからすっかり変わり果てた生活が、更にくだらない方向へと疾走し始めた。
夜通しゴリラと語り合い、そして下水道の隣にある地下室を女幹部と掃除した。たったそれだけの事で、ハセガワはゴリゴリ団を自分の居場所だと考えるようになっていた。
少しばかり調子に乗り始めているが、それでも自分の立場をわきまえて、引くべきところは引いておこうと考え始めていた。
クジョウの企みや自分の人生を変えたドクターを追うよりも、ゴリゴリ団を再興させる事を最優先に考えるようになっていた。
「聞かせて欲しいっす。その『シビルウォー・プラン』ってヤツを」




