第七十七話 朝がやってきた、戦いの朝が
朝が来た。ゴリゴリカレーの二階。寝室でゴリラが寝ている。電話のベルが鳴り、寝ぼけたゴリラが面倒くさそうに身体を起こした。
「誰だよ、こんな時間に……」
ボンヤリとカーテンの隙間から差し込んでくる日差しを眺める。そんな事をしている間に電話のベルは鳴り止んだ。そして今度はスマホが鳴り響く。
息を深く吐いてから、スマホを手に取る。発信者の名前は『ビルダーレッド』。
「はいよ。おはようさん。お前、ちゃんと寝たか?」
「…………もしかして本当に寝てたのか? 凄いな、正直俺も仮眠くらいはとろうとしたが、ほとんど眠れなかったよ」
壁に掛けられた時計を見る。時刻は六時ちょうど。
「で、状況は?」
「問題が起きた。戦闘に入る前に公園を封鎖したかったが、先に向こうが動き始めた」
「早えな。クジョウも結構、朝早いんだな。陰気そうな顔してんのに……」
顔と起床時間にはなんの因果関係も無い。どこまで本気か分からないローラさんの言葉に、レッドは眉をひそめながら話を続ける。
「相手がクジョウかどうかは不明だ。いや、現時点で確認できた事はなに一つ無い。これは推測に過ぎないが…………、動き出したのはドクター・ディアマンテの亡霊だ」
ローラさんにも予想外だったレッドの言葉。
「なにが起きた?」
「悪いが上野に直行してくれ。現地にはもうデカいヤツも来てるらしい」
「デカいヤツってミドリ君か? いい加減名前覚えてやれよ」
そういうローラさんもミドリ君の本名は覚えていない。
「現地に到着しているヒーローと特殊部隊が、公園の封鎖を始めている。まだ許可は下りていないが、緊急事態として対処した。俺たちもこれから現地に向かうつもりだ」
それだけ言うと、レッドは電話を切った。ローラさんは少し考えてから、とりあえずテレビをつけた。朝の情報番組では、早速上野動物園で起きた騒動を取り上げている。
上野動物園の一部の動物が、突然怪物のように変化して暴れ始めた。端的に言えば、そういう事だった。
現在、警察の対怪人特殊部隊と、『東ヒー』所属のヒーローによって上野恩賜公園全体の封鎖を進めている。だが、動物園で起きた出来事に対して公園全体を封鎖する事に疑問の声も上がっていた。
そして上野恩賜公園の封鎖にともない、その外周の道路も一部通行止めにしているため、地域住民や商業施設からの苦情も殺到しているという事だった。
テレビを見ながら、ローラさんはつぶやく。
「ドクター・ディアマンテって誰だっけ……。なんかここまで出かかってんだよな」
そう言いながらローラさんは自分の尻を掻いた。ドスドスと歩いてハセガワの部屋へ。ノックをしても反応が無い。一声かけてからドアを開けてみたが、ハセガワはいなかった。
スマホでハセガワに電話をしてみる。電話に出たのはヨシダさん。離れた場所からハセガワの叫び声が聞こえる。
『あっ、ローラさんですか? テレビ見ましたか? なんか、いよいよ始まっちゃいましたよ。こっちはもう少しで準備ができますから』
「ゴメン、今なにしてんの? あと、ハセガワはなにを叫んでんの?」
『だから、四次元ポケットもつけろって言ってんすよ!』
『時間が無いのよ! もう始まってんじゃない! さっさと準備して、上野に行くわよ!』
ハセガワの叫びとゴトウダの怒号。二人の大騒ぎの理由を、ヨシダさんが申し訳なさそうに説明する。
『実は、ゴリセンの改良は昨日の夜中の時点で終わってたんです。ただハセガワ君が、新しい強化スーツを作れって言い出して……』
ヨシダさんの話にハセガワが割り込んできた。
『ローラさん、聞いてくださいっす。レッドさんが『東ヒー』の金で新しい強化スーツを作っていいよって言ってくれたんすよ。それなのに、このクソオカマが……』
そこにゴトウダも割り込む。電話の向こうから、二人に押し潰されそうになっているヨシダさんの小さな呻き声が聞こえた。
『ああ、ローラさん。もうこの子ったらワガママばっかりなのよ。やれ色が気に入らないとか、形が前のと違うとか。挙げ句の果てには四次元ポケットも付けろとか言い出して』
『どうせ金は『東ヒー』持ちっす。ここは最高のヤツを作っておくに限るっすよ』
ローラさんは呆れながらも電話の向こうにツッコみを入れる。
「あのさ、俺が言うのもなんだけど、お前らいい加減にしろよ」
***
ローラさんは紺色の作業着に着替え、そしてスクーターに乗って上野を目指す。ヨシダさん、ハセガワ、ゴトウダの三人とは、現地で合流する事になった。
ビルダーレッドの言う通り、既にミドリ君は上野に到着していた。先日から東京拘置所の警備に当たっていたが、夜中になって警備の大部分を上野に向かわせるという指示が出た。ミドリ君にはそれに従わなければいけない理由はないが、とりあえず他のヒーローと行動していれば安全だと考えた。
だが、安全だと思っていた上野へと到着してから、わずか一時間で問題が起きた。
ローラさんは出発する前にミドリ君にも電話をしておいた。
『ローラさん。早く来てください。コッチはもう大変なんですよ。象が歩いてるんです。象です、象』
「ミドリ君、いったん落ち着こう。象は歩くよ。普通に歩く。だから落ち着こう」
恐らくは象が檻を破って表を歩いている、ミドリ君はそう言いたいのだろう。ローラさんはそう考えた。だが、ローラさんのそんな予想は外れていた。
ミドリ君の視線の先には『二足歩行で歩く象』がいた。『アルファ』によって変異した『怪象』とでも呼ぶべき生物。
自重によって足は歪み、前足を突き出したような前傾姿勢をしながらも、しっかりと二本の足で立っている。
前傾姿勢のため、背中は大きく丸まっているが、それでも二階建てのビルくらいはありそうな図体をしていた。
今はまだ上野動物園の敷地から出てこない怪象を見つめ、ミドリ君はすっかりヘタレていた。
***
渋谷区『東ヒー』本部。
「問題が起きる前に封鎖したかったが、やはり政府は問題が起きてからでないと動かなかったな……」
初代はどこか不機嫌そうに言った。レッドがローラさんと電話している間、ずっとモニターを凝視している。
それは技術開発部が手に入れた、上野動物園の監視カメラの映像。映し出されているのは、恐ろしく現実離れした光景。
上野動物園の動物の半数以上が倒れて動かなかった。だが、動いている少数の動物は、ほぼ例外なく姿を不気味な怪物へと変異させていた。
技術開発部の主任が初代に自分の見解を告げる。
「これは『エンデミタス』ではなさそうです。昨日、預かったデータによれば『エンデミタス』は人間以外の生物には感染しないように設計されています。そうですね、このデータが正しいのなら、あれは『エンデミタス』ではなく、もっと旧式のウィルスでしょうね」
「ワクチンは作れそうか?」
「手元の資料だけでは難しいです。できれば変異している動物を一体でも手に入れてもらえれば……。それでも作れるのは『感染を防ぐワクチン』だけです。感染してしまったら、もう打つ手はありません」
初代は天を仰ぐ。そして普段のほがらかな笑顔も作れず、悲痛な顔でつぶやいた。
「まったく厄介なものを作ってくれたな……」
監視カメラの映像には、二足歩行する象の他に、まるでヨロイを身にまとったように肌を硬質化させたゴリラや、頭部だけハゲ上がったパンダが器用にタバコを吸っている姿が映っていた。
レッドは電話を終え、初代の元へとやってきた。出発の準備が整った事を伝えるつもりだったが、監視カメラの映像に映った姿を見て言葉を失ってしまう。
「レッド……。ヤツがいたぞ」
初代に言われるまでもなく、レッドはその姿が誰なのか判断できていた。できていたからこそ、言葉を失った。
映像に映ったのは、異形の怪物。妙に光沢のあるピンク色の肌、不自然なほど細く長い手足。手足が増えている訳ではないが、その姿はなぜかクモを連想させた。
そのクモを連想させる異形の怪物は、レッドがよく知っている物を身につけていた。レッドと同じモデルの強化スーツ。明らかに不要だと判断できるほど、無駄に飾りをぶら下げた強化スーツ。
それが体躯の変化に耐えられず、ボロボロの状態になっていた。人工筋肉は裂け、ズタズタの強化スーツはもう機能を維持しているようには見えなかった。
その姿を見て、レッドは小さくつぶやいた。
「メジャーレッド…………」
『アルファ』によって変異した、怪人メジャーレッドがそこにいた。メジャーレッドはハゲたパンダに襲いかかる。
だが、返り討ちにあっていた。その後も繰り返し倒されては立ち上がり向かっていく。
「一体ヤツはどうしたんだ……」
初代の言葉に、レッドは答える。拳を強く握りしめながら。
「行きましょう。すべて、今日で終わらせましょう」
初代が小さく笑う。
「そうだな。このまま覗き見していてもらちが明かない」
『本部』のソファーに投げ出されていた革ジャンを手に取る。袖を通しながら、覚悟を決める。そして変身ベルトを手にした初代は、そのベルトを見つめながら苦悶に満ちた表情を浮かべる。
「いつまで、私はあの組織の力に頼らなければいけないんだ……」
「初代さん。どうしたんですか?」
「いや、なんでもない。行こうか」
ほがらかな笑顔でベルトを身につける。そして初代は力強い足取りで『本部』の出口を目指す。
同じように力強い足取りに加え、全身に力をみなぎらせたビルダーレッドがそれに続いた。
***
上野恩賜公園。上野動物園表門。ミドリ君は相変わらずヘタレだった。今日もヘタレている。
彼は二足歩行する象を見つめていた。無意識にそれが最大の脅威だと判断していた。現時点で、上野恩賜公園には二重の包囲網ができている。
まず上野恩賜公園全体。その包囲網は対怪人特殊部隊と集められた警官によって構成されている。
その内部にはヒーローが中心となり、上野動物園からの脱走を防ぐ包囲網がある。そこにミドリ君もいた。
ミドリ君は祈っていた。
『どうか、あの象がコッチに来ませんように』
ヘタレが祈りを捧げた途端、事態が急変した。フラフラと園内を歩き回るだけだった怪象の元に、ボロボロの強化スーツを身につけたピンク色の肌をした異形が現れた。
散々ハゲパンダにボコられた後、どこかに行ってしまったハゲパンダの代わりに、異形と化したメジャーレッドが選んだのは、身を屈めても六メートルはある怪象。
『いやいや、刺激しないで。誰だか知らないけど、やめて……』
怪人メジャーレッドが叫ぶ。
「上野動物園! 僕はお前たちを許さない! 正義の鉄槌を受けろ!」
メジャーレッドは怪象に襲いかかる。妙に長い手で殴りかかる。怪象の灰色の身体にメジャーレッドの拳が食い込んだ時、その衝撃は太鼓のような鈍く低い音を響かせた。
音だけ聞けば、かなりの破壊力があるはずの拳。だが怪象にはまるでダメージが無い。
器用に長い鼻を振り回し、そしてメジャーレッドをなぎ払った。メジャーレッドは吹き飛ばされ、後に残った怪象は戦いを挑まれて興奮状態だった。だが、もう目の前に敵がいない。
『ちょっと、どこの誰だか知らないけど、余計な事すんなよぉ』
ミドリ君が心の中で絶叫する。明らかに怪象は興奮状態だった。そして、周囲を見渡して、遠く離れたミドリ君たち、つまりヒーローたちに狙いを定めた。
『アルファ』によって変異した象。体長七メートル。体重六トン。並のヒーローには止められない。
上野動物園の中から、表門へと突き進んでくる怪象。その重量と勢いの前では、表門の入場ゲートとその屋根も、まるで紙くずのように粉砕されていく。
ヒーローたちに緊張が走る。目の前で起きている破壊活動。それが終われば、怪象は動物園の外に放たれる。
「あんなデケえの、どうしたらいいんだよ。誰が止められるんだよっ!」
誰かの悲鳴。それを聞きながらミドリ君は服を脱ぐ。
「武器を用意しろ! とにかく一斉に攻撃だ!」
誰かが現場を仕切ろうとしている。だが、誰も言う事を聞かない。入場ゲートが破壊されていく。ゲートを支えていた天井が落ちる。
ほんの一瞬だけ、怪象が天井に潰される事を期待した。その場にいた、誰もがそんな期待をしていた。
その期待が絶望をより深くする。落ちた天井が、もう一度隆起する。まるで時間がさかのぼっていくように、落ちた天井がそのまま浮かびあがっていく。
そして天井だった塊の下に、象の出来損ないのような怪象が見えてきた。落ちた天井を無造作に受け止め、そして今は立ち上がるために持ち上げている。
そして怪象は歩く。動物園の外へと。
スタンガンの音が響く。弾けるような放電音。それが何度も響く。そしてパンツ一丁の男は走り出す。体長四メートルまで大きくなった、ミドリ君が怪象に向かっていった。
戦いが嫌いだった男。誰よりも臆病なくせにヒーローに憧れていた男。今日も戦いから逃げようとしていた。できればなにも起こらないで欲しいと、心から願っていた。
だが、騒乱は始まった。人間の力ではどうしようもない巨体が、興奮状態のまま動物園の外へと進む。
ミドリ君には分かっていた。
『止められるのは自分だけ』
だから向かっていった。怖くて仕方がないのに、怪象へと向かっていた。
誰よりも臆病なミドリ君。その彼がこの戦いの先陣を切った。




