第六十話 クジョウの復讐
「ナオトー、出かけるの? 牛乳、買ってきてくれない、低脂肪のヤツ」
上野恩賜公園地下。博物館動物園駅跡は現在『ホワイト』の新しい拠点となっていた。その拠点の一室で、大雑把に髪を束ねただけでスッピンのマダムがスマホをいじっている。
見た目は遊んでいるようだが、実際はネットを通じて前日の秋葉原テロに関する世間の動揺を確認していた。
クジョウは適当な相づちで応える。外出するためにスーツに着替えて、自分のスマホで地図を確認する。
ゴリゴリカレーの盗聴は既にクジョウ自身ではなく、部下の怪人に任せていた。その怪人から報告を受ける。
『クジョウさん。ゴリラの所に、ドクターの刺客が来ました。速攻で返り討ちにあいましたけど。これからゴリラはドクターに報復に行くみたいです』
録音されている盗聴データを再生させる。確かにローラさんはハセガワを誘拐しに来たドクターの刺客を返り討ちにしている。
そして『首をもぐ』というバカげた脅しでドクターの居場所を白状させた。クジョウが求めていたのは、その情報だった。
ドクターがメジャーレッドに匿われているのは知っていた。だが居場所までは分からない。そして居場所が分かったとしても、メジャーレッドとの同盟関係がクジョウの勝手な暴走を許さない。
だが、これで好機が訪れた。ローラさんの報復に紛れて、ドクターに借りを返す。すべてローラさんのせいに仕立て上げて、クジョウを改造した男を始末する。
そしてなにより止めなければいけない事がある。『ヒーローも怪人もいない世界』を夢見るクジョウは、『エンデミタス』の存在を認める訳にはいかない。
駅のホームは普段使われていない。だが、今は『ホワイト』の怪人たちの酒盛り会場になっている。
「アイツはいい奴だった……。本当にいい奴だったんだ、最後は警官を巻き込んで爆死だってな。いい終わり方ができたよな、アイツも……」
前日の秋葉原テロで死んだ怪人たちへの弔い。それぞれが酒を持ち寄ってのバカ騒ぎ。多くの場合、怪人の葬式なんてものは開かれない。遺体が残っている事も珍しい上に、遺族に連絡しても無視されてしまう。
だから仲間たちが集まる。しめやかな葬儀にはせず、酒を酌み交わし騒ぐだけ。それで仲間を送り出す。
そこに外出しようとしたクジョウが通りがかる。ほぼすべての怪人がクジョウに目を向ける。喜びとも悲しみとも言える、複雑な心情をのぞかせる目を向ける。
「クジョウさん。次の戦闘はいつですか?」
「今度は俺に行かせてください」
「なんでマダムと一緒の部屋で暮らしてんだよ、死ね!」
最高の結末を期待する怪人たちが、クジョウに熱い視線を送る。
「今は大人しくしていてくれ、次の作戦は自爆無しなんでな。あと、ナマコ。さすがに『死ね』はないだろ」
怪人たちのバカ笑い。薄暗い地下にある廃駅のホームで、彼らは家族のように暮らしていた。あるいは親しい友人のように訪ねてくる。そうやって『ホワイト』の怪人は身を寄せ合っている。
クジョウも笑う。ほんの少しだけ。口元を軽くつり上げて笑顔を作る。それ以上の事はしない。仲間だと思っているが、彼らに心を開けない。
今日もそうだった。これから行う自分の復讐について、誰にも言っていない。みんなクジョウが買い物にでも行くのだろうと思っている。
クジョウは静かに拠点から出ていった。いずれ全員殺さなければならない、そう思うとクジョウは少しだけ胸が痛んだ。
***
そしてクジョウは辿り着く。クジョウの人生を破壊した男の根城。台東区谷中にある、マンションに偽装された拠点。
そのマンションから少し離れた別の雑居ビルの屋上から、ドクターの拠点を見つめる。クジョウの到着はローラさんよりも少しだけ早かった。
屋上にも監視カメラ、それにごく普通のマンションにしては異様な大きさのアンテナが複数。
『念の為、アレを最初に潰しておくか……』
潜入と呼ぶには大雑把な計画。単純にローラさんが騒動を起こしている間に、屋上から乗り込むだけの計画。
だが勝算はあった。クジョウはローラさんの強さを知っている。並のヒーローを何人集めても、あのゴリラの前ではなんの役にも立たない。
あのゴリラが拠点をかく乱している間に、目的を果たす。それだけの事。問題は、あのゴリラが先にドクターを仕留めてしまわないか、その一点だった。
ドクターの拠点を観察している間に、甲高いスクーターの排気音が聞こえてきた。以前、ローラさんに貸し出したスクーターの音。
『まだアレに乗ってたのか……。アレにも発信器くらい仕掛けておくべきだったな』
そんな事を考えながら、クジョウは突入の準備を始めた。ビルの屋上から、道路一つ分隔てた隣のビルへと跳躍する。隣り合ったビルへと飛び移る。屋上からの突入のため、クジョウは拠点に隣接するビルまで到達した。拠点には少し距離がある平凡なマンション。ドクターの拠点とは違い、クジョウがいるマンションは普通のマンションだった。
拠点より二階分ほど高いマンションの屋上から、クジョウはドクターの根城を見下ろす。その時、ちょうどローラさんは拠点に乗り込むところだった。
拠点へと入っていくローラさん。クジョウはそれを視界の隅で捉えながら時計を見る。そして待った。
だがなにも起こらない。拠点の内部についてクジョウはなにも知らない。だが、普通に考えれば拠点にもドクターの部下くらいはいるはずだった。
ローラさんが乗り込んでいった直後に、なんらかの騒動が始まるものと思っていたクジョウは肩すかしを食らった気分でいた。
もう一度時計を確認した。ローラさんが乗り込んでから、まだ五分。だが、これ以上の様子見は不要と判断したクジョウは、そのままマンションから飛び降りて拠点の屋上へと降り立った。
***
屋上で監視カメラとアンテナを破壊、それから最上階のベランダへと降りた。そしてベランダのガラス戸を叩き割り内部へと突入。しかし拠点内に踏み込んで、クジョウはわずかに困惑する。
あまりにも簡単に進みすぎた。屋上には監視カメラとアンテナがあっただけ。最上階のベランダからの侵入も楽だった。防弾ガラスの類ではなく、ごく普通のガラス戸。
内部に侵入したものの、物音一つない。ローラさんが一階から突入しているはずだが、警報すら鳴っていない。
そして拠点内部の最初の部屋は、ごくありふれた寝室。地味なベッドとテレビ、それにクローゼット。ぱっと見は本当に普通のマンションの一室にしか見えない。
『ゴリラともども一杯食わされたか……。だとしたらマヌケな話だな』
クジョウは寝室を出て、辺りを見回す。ごく普通のマンションにしては無駄に広い空間がそこにあった。
寝室を出た先はリビング。そのリビングが異様に広い。最上階のすべてがドクターの私室になっていた。その中心はドラマにでも出てくるような、無茶な間取りのリビング。
『なるほど……、下手な豪邸よりも住み心地が良さそうだな……』
クジョウは辺りを見回す。そして階下に降りる手段を探した。その途中で物音に気付く。クジョウは侵入した寝室とは別の部屋。そこからなにかの物音とささやくような声が聞こえてきた。
「全員五階に集めろ……、侵入者だと言ってるだろ……。とにかくすぐに人を集めるんだ……」
小さなささやき声には悲鳴にも似た焦りがあった。それを聞いたクジョウの口角が上がる。無造作に声の聞こえた部屋へと近付いて、そのままドアを開け放つ。そのドアの奥には、受話器を片手に怯えた表情を浮かべるドクター・ディアマンテがいた。
「やあ、ドクター。久しぶりだな」
受話器からドクターの部下の声が聞こえる。
『ですからドクター、今は人がいません。研究員しか残っていないんですよ。『ホワイト』に怪人の応援でも要請しますか?』
間の抜けた部下の提案をクジョウは鼻で笑う。ドクターはヒステリックに叫んだ。
「バカかキサマは! その『ホワイト』が攻めてきたんだ! すぐにビリオンを呼べ!」
『えっ!? しかし、ビリオンはゴリラと交戦中で……』
一階にビリオンがいる事を知らなかったクジョウは、そこで若干の焦りが生まれた。ローラさんは強い。だがビリオンもヒーローの中では飛び抜けた実力を持つ。
ドクターの胸ぐらを掴み、そして強引に立たせる。そのまま顔面を数回殴りつけた。
「なあ、ドクター。アンタの宝物を見せて欲しい。それからアンタの処遇を考えるよ」
「た……、宝物? あ、ああ……『エンデミタス』の事か……。そうか、お前もアレには興味があるのか」
ドクターの表情が歪んでいく。恐怖から笑顔に変わっていく様は、酷く醜かった。
「そうだな。お前は『ホワイト』のボスに成り上がった。それで今度は『エンデミタス』まで手に入れようと考えたのか……。ふふん。失敗作の分際で……」
クジョウはもう一度殴った。ドクターが思い違いをしている事には触れなかった。ただその『宝物』の在処まで案内しろとだけ命じる。
ドクターは怯えながらも期待していた。『エンデミタス』を完成させる事ができるのは自分だけ。それならクジョウも自分を殺そうとはしないはず。
上手くクジョウに取り入れば、メジャーレッドと『ホワイト』の両方を手駒にできる。そうドクターは思い込んだ。
ドクターは落とした受話器を拾い上げ、部下に命じる。
「警報を切れ。ああ、五階の侵入者は問題ない……。これから下に行く」
クジョウは辺りを見回す。音がしないだけで、どうやら警報自体は存在していたようだ。だが侵入者に対応するための人員はいない。
再びクジョウの口角がつり上がる。ビリオンの他は大したヤツなどいない。ドクターの部下は言っていた、『研究員しかいない』と。
殴られた顔を押さえながら、ドクターはヨロヨロと歩く。エレベータを使い、拠点の三階へ。そこがドクターの研究室。
エレベータから出てすぐの場所に机が並べられ、そこでは二人の研究員がモニターを見つめていた。
エレベータ前から少し離れたところにガラス張りの隔離室。中には防護服を着た研究員が三人。
「ふふふ……、少し狭いがな、大したもんだろ? 以前の『アルルカン』の拠点とは比べものにならんだろ?」
かつてドクターが属しクジョウを改造した秘密結社『アルルカン』。クジョウもその内情についてはまったく知らない。クジョウはただ拉致されて改造されただけ。
『以前の拠点とは比べものにならんだろ?』という言葉の中には、ドクターのクジョウに対する無理解が垣間見えた。
かつてのクジョウの立場など記憶にない。元よりドクターは『失敗作』の細かい素性など覚えるつもりもない。
だが浮かれたドクターは部下に隔離室から『宝物』を持ってこさせる。まるでそれを誇るように。
それは密封された容器に満たされた緑色の液体。
「これが『エンデミタス』だ。正確には半分は培養液だがね。コイツはまだ未完成だが、もうすぐだ。もうすぐコイツは完成する」
誇らしげにドクターは語る。現在の『エンデミタス』は、感染力が弱い。空気中では数時間で死滅する。そして人間以外の生き物には感染しない。
「その点は既に改善の見込みができている。ああ、メジャーレッドが優秀な研究員をさらってきたからな」
ドクターは不快な笑みを浮かべる。
「怪人にも感染しない。まあ、それは大した問題じゃない。怪人を『エンデミタス』にする意味もないしな」
クジョウも笑みを浮かべる。
「それを聞いて安心したよ」
クジョウはドクターの手から『エンデミタス』の容器を奪う。銃弾にも似たアクリル製の容器。軽く握りこみ容器に亀裂を入れる。
「おっ、お前、なにをっ!」
ドクターのあごを押さえ、強引に口を開けさせる。そのままひび割れた容器をドクターの口にねじ込んで、その上から殴りつけた。
殴られ、そのまま倒れ込んだドクターの口から緑色の液体と血が飛び散った。驚愕に目を見開く研究員たち。そしてそれから遅れること数秒後、口元の血とウィルスの培養液を拭ったドクターは、手についた赤と緑の液体を目にして絶望する。
「……な、なにを、お……、お前一体なに……を……。きぃ、貴様ぁああっ! バカかお前は! 自分がなにをしたのか……」
絶望からの絶叫。それを見つめるクジョウは何でもない事のように言った。
「冗談だよ。ドクター」
「…………お前は、一体なにを言ってるんだ……」
ドクターは既に『エンデミタス』に感染している。彼の身体には変化が起こり始めている。
「だから冗談だと言っている。アンタを怪人にするつもりなんてない」
「あ、頭がおかしいのか、お前は!」
クジョウはドクターの頭を両手で挟むように押さえつけた。そして笑顔のまま言い放つ。
「怪人になる前に、殺してやる」
クジョウの手に力がこもる。思いっきりドクターの頭部をひねり、そのまま首の骨をねじるように砕く。
クジョウに頭を抑えられたまま、首つり死体のようにぶら下がるドクター。口から溢れる泡状の血を眺めながら、クジョウはつぶやく。
「じゃあな、ドクター」
そして手を放す。ドクターは壊れた人形のように崩れ落ちた。
***
研究員はすべて殺した。研究の成果もすべて破棄した。そのつもりだった。研究施設に火を放ち、適当な爆発物で機材も破壊した。
その途中で拠点全体を焼却する自爆装置を見つける。起動させるボタンを封じているケースを無理矢理壊し、そしてなんでもない事のように自爆装置を起動させる。
マヌケな合成音声のアナウンスが響く。それを確認してからクジョウはまた屋上から拠点を脱出した。
これで『エンデミタス』は闇に葬られた。そう確信していた。
クジョウは拠点から離れたビルの上で、いまだに拠点前で騒いでいるローラさんたちを目にした。
なぜかビリオンも一緒になってハセガワと騒いでいる。その姿はどこか楽しそうにも見えた。
『なにやってんだ、アイツら……』
ゴリラと幼女と暗殺者。その妙な組み合わせに呆れてしまう。ローラさんが瀕死のナナフシに凄んでいる。その隣ではビリオンがハセガワの頬をつまんで引っ張っている。泣きながらそれに抵抗するハセガワ。それを見て、一体なにが起きたのかといぶかしむ。
クジョウは知らなかった。ナナフシはそのコスチュームの中に一枚のメモリーカードを隠し持っている。
『エンデミタス』のすべてが記録されたメモリーカードを。




