第五十八話 幼女、完全復活
ローラさんとビリオンの戦いは続く。速度で上回るビリオンは、ローラさんを翻弄する。だが、ビリオンも決して余裕でない。
何度殴りつけようと、一撃で戦況をくつがえしかねないゴリラ。現にたった一発のゴリラビンタで、ビリオンは意識を失いそうになっていた。
ドクター・ディアマンテの拠点。一階エントランス奥。植物園に擬態しているような空間で、ローラさんとビリオンの戦いは続いている。
それを苛立ちながら見守るナナフシ。その足下に倒れ、子供のように泣きじゃくるハセガワ。
ハセガワは泣いていた。しかし、ハセガワ自身もなぜ泣いているのか分からない。それは感情の暴走。涙の訳は決して悲しみや苦しみだけではない。そこには怒りすら含まれる。
ハセガワの目に、死闘を演じているゴリラが映る。何度も殴られるゴリラ。そのゴリラがハセガワに視線を送る。
ハセガワと目が合うと、ゴリラは笑顔を見せる。何度も殴られながら。
ハセガワには分かっている。ローラさんがどうしてエレベータ前から動かないのか。それはナナフシによってハセガワが連れ去られるのを防ぐため。
言いかえれば、ハセガワさえいなければローラさんは自由に戦える。そして自由に戦えるのなら、ローラさんは決して負けない。ハセガワはそう信じている。
自分のために不利な戦いを強いられるローラさん。その姿を見つめていると、涙が止まらない。
そしてハセガワの心は砕かれていく。
***
それは一年前から始まった。ハセガワが目を覚ますと幼女になっていた、そんなバカみたいな話。
バカバカしい笑い話。突然幼女になった三十男が主人公のコメディ。そんな物語は始まらなかった。
始まったのは混乱と恐怖。そして周囲の哀れみの目。
『どうしてこんな目にあわないといけないんだ。俺はこれからどうなるんだ』
ハセガワは何度もそう自問した。もちろん答えなんかある訳がない。警察の捜査、そしてハセガワへの検査を繰り返し、幼女に変わってしまった理由は分かった。
だが、話はそこで終わった。解決策はなく、そしていつ死が訪れるかも分からない。
そこでハセガワの心が折れた。それが最初の一回目。自身の変化に耐えきれず、心が折れた。
最初こそ、ハセガワに起きた異常な現象は奇異の目で見られた。時には笑い話にもされた。だが、周囲の人間はハセガワに同情した。
友人も、職場の同僚も、そして両親も。だが、同情した者たちはみんな、ハセガワへの接し方に悩んだ。
そして気付いたらハセガワは一人だった。同情してくれる者は多かった。理解を示してくれる者もいた。だが、誰一人ハセガワと同じ境遇を経験した者はいない。
ハセガワは孤独だった。そして二度目、周囲の視線に耐えきれず孤独におちいり、そしてまた心が折れた。
ハセガワの心は何度も折れた。もう本来の自分なんてモノは無かった。千切れた心を繋ぎ合わせて生きている、見た目は幼女の三十男。
適当に幼女のフリをした。そうやって自分を守っていた。自分を見失ったままのハセガワは、幼女のフリをしてなんとか自分を維持していた。
そしてローラさんと出会う。元は人間だったのに、自分から望んでゴリラ男になった変人。頭の悪い、粗暴なゴリラ。
たまにちょっと格好つけたがる、愉快なゴリラ。
ローラさんと過ごした日々は楽しかった。
例えるなら、知らない街の夕暮れ時。ハセガワは一人迷子になっていた。道が分からないと言うよりは、自分が分からない。
『早くお家に帰りたい』
泣きべそかきながら街を歩く。知っている人なんて誰もいない。助けてくれる人もいない。そんな夕暮れの中、なぜか道ばたにゴリラが座ってる。
『ハセガワ。笑えよ』
バカなゴリラが無茶を言う。そんなゴリラもなぜか笑顔。笑ってる場合じゃないのに。
***
ハセガワはローラさんを見つめる。涙でにじんだ目で、ローラさんを見つめた。ビリオンに殴られたローラさんの口元から、一筋の血が流れていた。
ローラさんはちらりとハセガワに視線を移す。そしてハセガワと目が合った途端、苦しそうな顔を『心配すんな』と言わんばかりにニヤリと歪ませる。
知らない街の夕暮れ時。そんなハセガワの心象風景。ハセガワの前には無茶振りゴリラ。ニヤニヤと笑いながら、ハセガワに手を差し伸べる。
『ずっと俺がついててやるから』
ハセガワも手を伸ばし、笑顔のゴリラと手をつないだ。
そして『彼女』は復活する。
自分の中の、バラバラに千切れた心を拾い集める。思い出す、自分が一番強かった時を。あのゴリラと過ごした日々、あの時が一番強かった。
秋葉原でまた心が砕かれた。迷いの中で、本来の自分なんて見つからない。だからハセガワは、最初の自分を演じていた。幼女になる前の自分を演じていた。
たった今、それをやめた。もう一度、心をかき集めよう。
ローラさんは手を差し伸べてくれた。
ヨシダさんは、マダム・クリマーから自分を守ってくれた。
ゴトウダは強化スーツをくれた。
ミドリ君は……、アイツはいいや。
もう一度、あの頃に戻ろう。今度は負けない。負ける訳がない。
ハセガワの涙は止まった。そして彼女の反撃が始まる。
『状況を分析しよう』
ドクター・ディアマンテの拠点。一階エントランス奥。この場にいるのは四人。ローラさんとビリオンは戦闘中。ナナフシはハセガワの腹部を踏みつけている。
『ささやかな抵抗をしよう』
ハセガワは身体をよじり、ナナフシの足から逃れる。ナナフシは舌打ちをしながら、ハセガワの顔面を蹴っ飛ばした。もう一度倒れたハセガワをナナフシが追う。タイル張りの床を転がって、ナナフシの手から逃れた。
『餌を撒こう』
もう一度、ハセガワは立ち上がる。そして前髪をしばっていたヘアゴムを引き抜く。震えながらそれを目の前にかざす。ヘアゴムについている二つのターコイズブルーの玉を、一つだけ指でつまむ。
「これが……アタシの変身アイテム。油断したね、バカフシ。さあ、変身するよ!」
ハセガワはヘアゴムを前に突き出した。それだけではなにも起こらない。
ナナフシはもう一度ハセガワの顔面に蹴りを入れる。ハセガワは蹴飛ばされる瞬間に、ヘアゴムをナナフシの足下に放り投げた。
『演じよう』
ナナフシは勝ち誇ったようにヘアゴムを拾い上げる。ターコイズブルーの玉を指でつまんで、ハセガワに見せつけるように振って見せた。
「変身アイテム? これがそうか。ははっ、コイツがあのムカつく強化スーツになる訳か……。まあ、ガキには過ぎた玩具だな」
ナナフシはヘアゴムを手のひらでもてあそんだ。ハセガワは目に涙を浮かべながら、手をばたつかせて叫ぶ。
「返せよお、アタシのだよ。返せよお」
舌っ足らずの口調でハセガワは変身アイテムに手を伸ばす。だが、一歩も前には進まない。ナナフシとの間に十分な距離をとる。
ハセガワの態度に戦闘中のローラさんも表情が強張る。そのローラさんの顔面に、またビリオンの拳がめり込む。
ナナフシは手のひらの上で、ハセガワのヘアゴムを転がした。そして高笑いしながら、そのヘアゴムを握りしめた。
『食いついた』
次の瞬間。その場の空気が凍りついた。誰もがハセガワに注目していた。泣きべそをかきながら、ヘアゴムに手を伸ばしていたハセガワの表情の変化に、誰もが言葉を失った。
ナナフシはもちろん、戦闘中のローラさんも、そしてビリオンすら絶句する。あり得ないモノを見て、誰もがそこから目を離せなくなった。
ハセガワはドヤ顔だった。あり得ないほどのドヤ顔。ハセガワ史上、最高のドヤ顔がそこにあった。
「お前の負けっす! 変身! ゴリターコイズブルー!」
ハセガワが叫ぶ。その言葉は変身アイテムを起動させるキーワード。音声認識しか搭載していない変身アイテムは、所持している人間が誰であろうと変身プロセスを開始する。
「おい! お前、なにしやがった!? ちょっと待て! え……」
ナナフシの握りしめたヘアゴムが、ターコイズブルーの光を放つ。その光の粒子がナナフシを包む。
本来なら変身プロセスは二秒で終わる。だが、その二秒を経過しても、光の粒子はナナフシを包むだけ。
ハセガワの背筋に冷たいものが走った。ハセガワは、賭けが失敗に終わった事を想像して膝から崩れ落ちそうになる。
だが、ハセガワは賭けに勝った。
『ゴキンッ!』
変身が始まった。ナナフシの肩に、ターコイズブルーの肩当てがめり込む。幼女サイズの強化スーツが、強引に装着されていた。そして骨を砕く音が響き渡る。
『グチャッ!』
そのまま腕もターコイズブルーのヨロイが食い込んでいく。
『パキン、カラン』
ボロボロの強化スーツの一部が音を立てて割れていく。最初から割れていたヘルメットは、そのまま床に落ちる。
「止めろっ、コイツを止めろぉおおおおおっ!」
ナナフシの身体をターコイズブルーの光が包む。そして全身のあらゆる場所で光の粒子がヨロイへと替わっていく。
身体に食い込んでナナフシの身体を破壊するパーツもあれば、砕けてそのまま落ちていくパーツもある。
足首のパーツがナナフシの足を食いちぎる。崩れ落ちたナナフシは、荒れ狂うターコイズブルーの光に喰われながら、のたうち回る。
『ゴキッ、グチャ、ボキ、ゴキン、メキィ』
思わずハセガワも呻き声を上げる。
「ヤバい、これはやり過ぎっす……」
全身の骨を砕かれたナナフシが断末魔の叫びをあげる。ターコイズブルーの光は、すべてヨロイへと変化した。ナナフシの身体のアチコチに、ボロボロだった幼女サイズの強化スーツのパーツが食い込んでいる。
身体に食い込んでいるのは全体の半分くらい。残り半分は砕けて飛び散っていた。
ナナフシは文字通り『虫の息』だった。
とりあえずナナフシは生きていた。『死んでなければオッケー』、そう判断したハセガワは、全力で勝ち名乗りを上げる。
両手で拳を握り、それを高々と突き上げる。そして力の限り叫んだ。
「幼女舐めんなぁあああああああああああああああっ!」
自称『無敵艦隊』、ゴリターコイズブルー完全復活の瞬間だった。
それから数秒が経過してから、ようやくローラさんは事態をのみ込んだ。そしてバカ笑いしながら手を叩く。
「お前、やるなあ。マジで凄いぞ、それ!」
ハセガワはドヤ顔で応じる。ローラさんは相変わらずニヤニヤと笑う。
「いや、これはマズいな。これじゃ俺立場無いよ。守ってやるとか言ったくせに……。じゃあ、あれだな。俺も本気出して、格好いいとこ見せなきゃダメだな」
笑顔のローラさんがビリオンに凄む。別に手をぬいていた訳ではない、最初からローラさんも本気だった。
それでもローラさんのテンションは急上昇していた。もっと力が出せる気になっていた。
頭を大きく振ってゴキゴキと首の関節を鳴らす。右手の拳を左手で包み、指の関節を鳴らす。
そして満面の笑みで、ビリオンを睨みつけた。
そのビリオンは瀕死のナナフシを見て、呆然としていた。そしてローラさんより少し遅れて事態をのみ込んだ。ローラさんに背を向けて、ハセガワに血走った目を向ける。
「なんだ、そりゃ!? クソガキがなんで勝てる!? ナナフシのバカだって改造人間だぞ! なんで勝てるんだよ!?」
ハセガワはドヤ顔のまま、荒ぶる鷹のポーズを決める。そして言い切った。
「知らなかったんすか? 幼女は無敵っす!」
「そんな訳ねえだろっ!」
ハセガワに気をとられたビリオンは、ローラさんに背を向けたままだった。そのビリオンにゆっくりと近付き、ビリオンのこめかみに全力のゴリラビンタを叩き込んだ。
ローラさんの豪腕に弾き飛ばされるビリオン。タイル張りの床に何度も身体を打ちつけながら転がっていく。
だが、それでもビリオンは立ち上がった。意識はもうろうとしている、足もふらついている。それでもビリオンは立ち上がる。
「ふざけるな……。なんだ、お前ら。一体、お前らなんなんだっ!」
二人は全力の悪ふざけで応じる。
「ゴリラです!」
「幼女っす!」
「二人あわせてゴリレンジャーです!」
握った拳を振るわせながら、ビリオンはまた呆然としていた。理解の埒外にいるバカ二人。ビリオンはそんな二人に、どう立ち向かったらいいのかまったく分からなかった。




