第五十五話 笑えよ!
台東区谷中。ドクター・ディアマンテの拠点。不穏な空気をまとうマンションの最上階、憮然とした表情のドクターがナナフシに詰問する。
「それでお前は大物気取りでここにいるという訳か? 私の命令も聞かず、下っ端の雑魚を使いっ走りにして高みの見物か?」
ドクターは苛立っている事を隠しもしない。その苛立ちを、容赦なくナナフシにぶつける。ナナフシの行動に問題がある訳では無い。ただ単に自分の命令を聞かなかった事に苛立っているだけ。
「いいか、虫けら。お前のような失敗作の改造人間に、私は仕事を与えてやっているんだ。私のような『デザイナー』が、お前のような役立たずを使ってやってるんだ」
芝居がかった口調。『デザイナー』という言葉をことさら強調する。ドクターは自らをそう称している。人間を作り替える、あるいは怪人を創り出すデザイナー。
しかし自分をまるで才気あふれる人間のようにうたっている割には、彼が手がけた改造人間のほとんどは欠陥を抱えていた。たとえばクジョウのように。
それでもドクターは多様な改造手術の手法を熟知していた。そして現在、彼が研究を進めているのが次世代型怪人、通称『エンデミタス』
ウィルスによって肉体を変異させるエンデミタスは、特殊な設備や高度な技術を必要としない。ただウィルスを散布するだけ。それだけで広範囲の人間を怪人に創り変える事ができる。
「お前にこの意義が分かるか? すべての人間を等しく怪人にしてしまうエンデミタス。これは革命なんだよ。誰もが怪人になる。誰もがだ。
この私の手で設計されたウィルスによって、人類が変異する。私のデザインのままに、世界が変わる。
いいか? たとえば国家が怪人の討伐を開始したとしよう。これまでの怪人相手なら、それも可能だろう。極端な話、殺し尽くせばいい。銃でも大砲でも何でも使ってな。
だがエンデミタスは違う。ある日、隣人が怪人へと変わる。それを殺せるか? たとえば警察署にウィルスを散布してやろう。次の日には警官が怪人になっている。さあ、誰が殺す? 誰にも止められないんだよ、エンデミタスは。
すべてを殺し尽くす必要がある。もしも国家が怪人を根絶やしにしようとするならば! なにもかも殺す必要がある! 誰一人の例外もなく、国家は国民のすべてを殺さなければいけない! つまり、打つ手は無い。あらゆる国家は、エンデミタスに怯えるしかないんだ!」
『また始まった……』
ナナフシは声には出さず、ただしかめっ面をした。このドクターのくだらない演説を、ナナフシは何度も聞かされている。
演説はこの後、自身がいかに素晴らしい人間かを訴え、そして自画自賛のうちに幕を閉じる。
それを何度も聞かされているナナフシは、目の前の老人に呆れかえっていた。目を閉じて激しい身振り手振りをまじえながら、何度も繰り返された演説を続けるドクターに冷徹な視線を浴びせていた。
『この拠点も、お前が使っている機材も、そして手足に使っている助手たちも、全部メジャーレッドが手配したモノだろうが……。お前になにができる。ただ顕微鏡をのぞき込んで、訳の分からない薬品をこねくり回しているだけだろうが』
決して口には出さない。ナナフシはドクターへの罵倒を心の中に封じておく。
彼のボスであるメジャーレッドは、エンデミタスに期待している。際限なく創り出せる怪人は、作り物のヒーローであるメジャーマンにとって最高の敵だった。
くだらない演説は終わり、ドクターは再びナナフシへと向き直る。
「ナナフシ! 失敗は許されない! いいか、あの娘の因子が必要なんだ。あの試作品のTSウィルスに適応した、あの娘の因子が!」
現在のエンデミタスは、まだ怪人としては使い物にならない。身体を変異させる事には成功しているが、すべて三日以内に発狂し、二週間程度で衰弱死している。
エンデミタスの研究中に創られたTSウィルス。その影響を受けながら、なんの延命処置も受けず一年以上生き延びているハセガワ。
その因子を手に入れれば、エンデミタスは完成する。
ナナフシは最上階のドクターの部屋を出た。結局のところ、ドクターは大した事を言っていない。要するに『ハセガワを連れてこい』、その一言で済む話だった。そのためにわざわざ最上階の自室へとナナフシを呼び出した。
ナナフシはそのまま階下の研究室へと入っていく。ドクター不在の中、一人でエンデミタス・ウィルスを顕微鏡で見つめている男に声をかけた。
「これまでの成果は?」
ドクターの助手を務める男は、メジャーレッドが見つけてきた学者くずれ。ドクターを尊敬しているように演じさせているが、実際にはナナフシを通じてメジャーレッドに研究の進捗状況を報告させている。
男は無言で小さなメモリーカードを差し出す。そしてまた研究に戻った。ナナフシも無言のまま、そのメモリーカードをポケットに入れて研究室を出て行った。
***
ゴリゴリカレーの二階。ハセガワの部屋のドアが開き、そして中からスルメを持ったハセガワが出てくる。
「これ、食べますか?」
ハセガワが部屋に隠し持っていたスルメを受け取るローラさん。そのままハセガワを手招きしながらリビングへ。
「まあ、お前もこっち来いよ。あっ、でも食い物これしか無いのか……。どうする、たまには二人で買い物に行くか?」
普段と変わらないローラさんの態度に、ハセガワはため息を一つ。ハセガワも分かっている。ローラさんはいつもこんな感じ。それはよく分かっている。
そんなローラさんに向かって、ハセガワはポツリポツリと話し始めた。
「ローラさん。ちょっと愚痴聞いてもらっていいですか?」
「いいよ」
そう答えながら、即座にスルメを口に放りこむローラさん。スルメを噛む音がやたらとうるさい。
「俺ね、怖いんですよ。なんか、こう……。怖くて仕方が無いんです、なにもかも全部」
相変わらずスルメを噛み続けるローラさん。余計な事は言わず、ハセガワに真剣な眼差しを向ける。
「前にも話しましたよね。俺がTSウィルスの漏洩でこんな身体になったって。それで俺以外の被害者はみんな死にかけてるって。
俺ね、今でも怖いんですよ。自分もそうなるんじゃないかって。今日いきなり倒れて、そのまま死んじゃうんじゃないかって」
ローラさんはスルメを呑み込んでから、一言つぶやいた。
「それだけじゃないんだろ?」
ハセガワは力なくうなずいてから話を続けた。
「まあ、それ以前の話ですよね。こんな身体になった事、それも怖いんですよ。ローラさんなら多少は分かってくれると思うんですけど、身体がね、違うんですよ、まったく。
自分の知ってる身体の感覚とまるで違う。それが凄く怖いんです。以前なら持てた物が持てない。手を伸ばせば届いたはずの距離が酷く遠い。たったそれだけの違いが、自分の身体の変化をハッキリと自覚させる。その度に軽くパニックになりそうになるんです。
みんな分かってくれないんです。口を揃えてこう言うんですよ、『その内慣れるよ』って。
慣れる訳ねえよ。オッサンが幼女ですよ。どうやって慣れるよ? 今でも寝ぼけてると便所で立ち小便しそうになるんですよ。その度に思うんだ、『アレ!? チ○コどこ行った?』って」
「ゴメン。それちょっと面白い」
「はははっ、そうですよね。笑えますよ。でもね、こんな話を人に聞かせるじゃないですか、みんなドン引きですよ。笑ってんのかどうかも分かんないくらい微妙に口元歪ませてね。
気ぃ使ってくれてるのは分かるんですよ。でもそれが痛い。それに心配してくれてんのかも知れないけど、ソイツらは絶対俺の事理解できないって分かってる。
結局ね、俺の事なんて誰も理解してくれない。自分の身体が変わった事がまだ受け入れられなくて凄く怖いのに、みんな愛想笑い浮かべながら言うんですよ、『その内慣れるよ』って。
ああ、たまに違うセリフも聞きますね。『その内治療法が見つかるよ』とかね。いい加減な事ばかり」
「見つかりそうもねえのか?」
「何人かの医者に診てもらってます。答えはみんな一致してましたね。『元に戻る事は不可能』だって。
よく分からないですけどね、遺伝子レベルで変化してて元の情報が残ってないって。だから元に戻る事は不可能だって。
俺は一生元には戻れない。それに多分、一生この身体に慣れる事も無いです。まあ、その一生もいつまで続くのかって話ですけどね……」
ハセガワは力なく笑う。ローラさんは沈黙してしまう。自分が抱える恐怖を打ち明けてくれた事で、ハセガワも少しは気が晴れると思っていた。
だが、ハセガワの表情はまるで冴えない。まだハセガワはローラさんに話していない事がある。
「変わったのは身体だけじゃないんですよ。俺の心も変わってきてるんです。毎日鏡くらい見るじゃないですか。そこに映ってるのは俺じゃないんです。銀色の髪をした女の子。ハセガワ・ヤスオじゃない、別の誰か。
そんなの毎日見ていたら気が狂いそうになりますよ。自分でも気が付いてました。多分俺は自分を守るために、無理に心をねじ曲げてるって。
自分の心を守るために、俺は幼女になりきろうとしてるって」
ローラさんは今までのハセガワの言動を思い出す。そして眉をひそめた。
「お前のイメージしてる幼女ってなんかおかしくないか?」
「おかしいですね。なんか自分でも訳分かんなくなってますから。でも今まではよかったんです。結構楽しかったですし。
でも無理があったんでしょうね。また自分を見失い始めてますから。いや、自分を思い出しちゃったのかな……。
昨日のテロで何人も死にましたよね、その前の拘置所でも。俺は今、ヒーローをやってますけど、あんな事に巻き込まれるなんて思わなかった。悪と戦ってるって言っても、やっぱり少し舐めてました。
それも恐怖の一つなんです。また事件に巻き込まれて、今度こそ死ぬかも知れない。そんな事も、考え始めたら止まらないんです」
ハセガワの目に涙が浮かぶ。それを拭いながら、ハセガワは話を続けた。
「もうね、いっそ楽になりたいって本気で考えそうですよ。俺の身体が変わり果てて、今度は心が変わり始めて、その上いつ身体が衰弱し始めるかも分からないし、いつ殺されるかも分からない。
今だってションベン漏らしそうですよ。まともに自分を支えてくれるものが、なにも無いんです。自分自身すら、怖くて仕方が無い……」
ハセガワはうつむいて、小さな声でつぶやく。
「ローラさん……、助けてください……。もう俺、限界です……」
ローラさんは深く息を吐き出して、そのまま大きく身を乗り出す。ハセガワのすぐ鼻先まで顔を近づけて、満面の笑みで言った。
「ハセガワ。笑えよ。ヒーローなら笑ってろ」
顔を上げたハセガワは、顔をクシャクシャにしながら泣いている。
「アンタ、何にも分かってねえよ。笑える訳ねえだろ、なんで笑えるんだよ」
「ヒーローならふざけてろ。悪ふざけしてていいんだよ。真面目にバカやってるくらいでちょうどいいんだよ」
「できねえよ。どうしてそんな事できんだよ。助けてくれって言ってんだろ」
「ああ、俺が助けてやる。言っただろ、ずっと俺がついててやるって。だからお前は笑ってろ! 俺と一緒に悪ふざけしてろ!」
「……なんの意味があるんだよ……。悪ふざけしてるだけでなにが変わるんだよ……」
「そんな事知らん。だけどな、俺が今まで戦ったヒーローはな、みんなそうだったんだよ。みんなキツい時ほど笑ってた。そんな連中ほど強かった。
俺はまだヒーローとしちゃ見習いだよ。お前と大して違わない。だから俺もそんな連中を真似するしかないんだよ。
あのな、キツい時ほど笑え。ヤバい時でもくだらない事言ってろ。そんな連中の方が強いんだよ。
そりゃ必死に戦うヒーローは格好いいよ。でもお前な、そんなヤツに守られて安心できるか? 『あれ……この人マジで死んじゃうかも』なんてヤツに守られても困るだろ?」
「…………なんか……言ってる事が分かるような……分からないような……」
「ヒーローだったら笑えよ! そんで後の事は俺に任せろ!」
「メチャクチャじゃないですか…………。結局どう助けてくれるんですか……」
「分からん。一緒に考えてくれ」
「………………………………お前、バカだろ? 前から思ってたけど脳までゴリラだろ? ビンタだけで何でも解決できると思うなよ!」
「ゴリセンだってあるぜ!」
「最近使ってねえよ! 埃被ってるよ! 俺の身体が衰弱始まったらどうすんだ!?」
「医者に相談しよう!」
「テロに巻き込まれたらどうすんだ!?」
「それは俺に任せろ! マジで俺に任せろ!」
「このまま生きてたら生理とか始まるぜ。超怖えよ、どうすりゃいいんだよ!?」
「それはヨシダさんに相談だな!」
「お前、暴力以外に取り柄ねえのかよ!?」
「無いな!」
「うわぁ、どうしよう、このクソゴリラ……」
ニヤニヤ笑うローラさん。ローラさん自身が言っているように、ヒーローだから笑ってる。ツッコみまくりのハセガワも、泣きながら笑ってる。
ボサボサの頭を掻きむしりながら、ハセガワは大声で笑い始めた。
「もうなんでもいいや。しっかり助けろよ、クソゴリラ!」
「おうっ! 任せとけ!」
ローラさんは自分の胸を思いっきり叩いた。ズドンという低い音が、妙に頼もしく響く。
問題はなにも解決していない。それでもハセガワは思った。ローラさんと出会えてよかったと。




