第五話 オランウータンの苛立ち、そして再始動
クジョウ・ナオトは苛立っていた。彼は平静を装う事になれていた。その小芝居で飾り立てた『冷静な自分』が剥ぎ取られそうなくらいに苛立っていた。
『ああ、これがニシローランドゴリラ男。期待通りの怪人。だが、それでも苛立って仕方が無い。なんだ、これは? この差はなんだ? 俺とヤツの違いはなんだ?』
改造人間という存在。人為的に異なる生き物の特性を植え付けられたり、あるいは高度なテクノロジーそのものを搭載した人間。
遺伝子、薬物、電子機器、様々な異物を身体にねじ込んだ不条理そのもの。それは時折社会問題にもなっている。とうの昔に治療目的以外の人体改造は違法になっている。
だが、彼らは生まれ続ける。どこかのマッドサイエンティストによって、あるいは偶然の産物として。理由は様々だが、改造人間はどこからともなく現れる。
それが引き起こす問題については省略する。今、クジョウを苛立たせている事を理解するには、改造人間の分類と特性を知る必要がある。
改造人間は大きく二つに分類されている。『固定型』と『可変型』。
固定型は人間と異なる姿になるまで身体を変異させた形態。人体の限界を無視できるため、高出力のパワーを得られる。場合によっては巨大化といった特殊能力すら得られる。
ただし固定型には大きな問題がある。それは知能の減退。そして理性の欠如。肉体の変異に応じて、精神も病んでいく。
これに対して可変型は、変身能力を持つ改造人間。要するに普段は人間の姿を保持できる。肉体の変異が少ないため、精神に対する影響も少ない。ほとんどの場合、人間だった頃の知能や理性を維持できる。ただし能力的には、人体の限界を無視できない。そのため、単純な強さで言えば、固定型に後れをとる。
ここで一部の者の間でささやかれている『二人の奇跡』について説明しよう。一人目の奇跡は『伝説のライダー』。可変型としては初の成功例。そして可変型にも関わらず固定型に対抗出来る能力を持っていた。
彼の成功例から、多くの可変型怪人が生まれたが、その多くは彼と並ぶ水準には達していない。いまだに初の成功例にして、最高の成功例と言われている。
そしてもう一人の奇跡が、『ニシローランドゴリラ男』。固定型にも関わらず、精神にまったく影響が見られない異端。固定型特有の高出力を持ち、その姿もベースとなった動物そのものに変異しているが、それにも関わらず人間としての知能や理性を保っている。知る人ぞ知る、固定型における究極の成功例。それがローラさん。
『二人の奇跡』以降、数多くの改造人間が生まれているが、依然彼らはその中で最高の、そして究極の成功例であり続けている。
『これが奇跡か……』
クジョウのつぶやき。クジョウは『改造人間』として純粋に憧れにも似た気持ちを持った。そしてそれ以上に嫉妬した。
『どうして俺は……、失敗したんだ』
クジョウ・ナオト。白怪人『オランウータン男』。彼は可変型の改造人間。彼は可変型にも関わらず、その長所を持たなかった。
彼は変身できる。ただしオランウータン男に変身した時、クジョウの知能は著しく減衰する。変身しなければ普通の人間。変身すればオランウータン並の力が得られる、そして知能はオランウータン並に堕ちる。
明らかな失敗例。変身しても固定型には勝てない、にも関わらず固定型と同じ欠点を持ってしまっている。固定型と可変型の両方の欠点を持ってしまった改造人間。
彼は廃棄処分という形で所属していた組織から命を狙われた、そしてヒーローに助けを求めた。今は東京都ヒーロー支援機構の職員として働いている。
彼が所属していた組織は壊滅した。彼に手術を施した医師も一度は逮捕された。医師は悪びれもせず、クジョウについてこう供述した。
『アレは失敗作だ。俺のせいじゃない、アレの資質の問題だよ。要するに才能が無かった。超越した存在になる才能がな』
医師はいくつかの手術で素晴らしい成果を成し遂げた、奇跡とまではいかなかったが。その『成果』は医師が勾留された留置所を襲撃し、医師はまた闇へと消えた。
クジョウ・ナオト。彼は見つめている。固定型としての究極の成功例を。その力を目の当たりにした。
神社の境内に点在する倒されたヒーローたち。その大部分はなんの力も持たない素人ヒーローだった。だがほんの数人だけ、彼らと同じ改造人間もいた。
しかし究極の成功例は素人と改造人間の区別もなく殴り倒した。それらになんの違いも無いかのように、成功例の力を誇示して見せた。
『利用してやる……。コイツを……』
クジョウの決意は揺るがない。彼はヒーローが跋扈する世界に鉄槌を下そうとしていた。
彼らを引き連れて神社の境内から離れた。同行していたハセガワは神社の外で待たせてある。ハセガワは戦闘においてはまったく役に立たない。だがクジョウにはハセガワが必要だった。あの医師をおびき寄せるための餌として。
***
「さて、辛気くさい話はやめておきましょう。自分もゴリラさんのお手伝いをさせていただく上で、身の上話くらいはしておかないといけませんしね」
ハセガワはかしこまった口調から、わずかに砕けた態度に変わる。そしてどこか無理のある笑顔を浮かべた。彼はこれから自分の身に起きた事を説明しようとしている。
自分と行動を共にする事になるローラさんにすべてを打ち明けようとしていた。
「身の上話ってそれこそ辛気くさい……。ああ、そう言えば君、中身はオッサンって聞いたけど、それホントなの?」
「はい、ハセガワ・ヤスオと言います。本当なら三十二才になります」
それほど歳が離れていなかったヨシダさんの表情が曇る。空気を読んだローラさんは、それ以降『オッサン』を禁句にした。
「ま……、まあ、三十ならまだ若いよね。うん、そう思うよね。クジョウも」
「え? いや、三十過ぎたらオッサンですよ」
「はははっ、まあ、オッサンですよ。オッサン。腰も痛いし、頭もうすくなってきましたしね」
「まだ……、まだ二年ありますから……。まだ二十代ですから……」
「いや、今時三十って言ったら若いよ。ねえ、ミドリ君。あれ、ミドリ君? あっ、アイツ逃げやがった!」
「ニシローランドゴリラ男さんが逃がしてやれって言ったんですよ。彼ならさっき帰りました」
「いや、挨拶くらいしてから帰るだろ、普通は! アイツ今度会ったらビンタしたろ」
「あと二年で腰……、頭もうすくなって……」
「ヨシダさん、帰ってきて。大丈夫だから、まだ若いから」
ローラさん、ヨシダさん、そしてハセガワとクジョウ。四人が他愛もない話をしていたら、神社の周囲に数台の自動車が止まった。ごく普通の乗用車もあるが、その中には公道を走るには少々派手すぎる車も見えた。
「あれ、応援のヒーローだな。とりあえず面倒だし、逃げるか……」
ローラさんの言葉に全員がうなずいてその場を後にした。身の上話が年齢の話にすり替わったままだった事に、少しだけハセガワは不満だった。
***
「では改めて、カレーショップ『ゴリゴリカレー』にようこそ!」
ハセガワが戯けた口調で閉店しているカレー屋を示す。四人がやって来たのはローラさんの地元から少し離れた場所にある競艇場。その近くにある電灯の消えているカレーショップの前。
カレーショップの看板はゴリラの絵が描かれ、ゴリラの絵の下には真っ赤なフォントで『ゴリゴリカレー』と表記されていた。
「これは訴えられるな……」
「ローラさん、これ明らかにアウトですよね」
「アウトだな……。て言うかよ、ゴリゴリ団の拠点がゴリゴリカレーってそのままじゃんかよ! もうちょっとなんか無かったの?」
クジョウはローラさんのツッコミを無視した。そしてポケットから鍵を取り出して、カレーショップのドアにかかった鍵を開けた。それからようやくこの店についての説明を始めた。
「『東ヒー』では実績のあるヒーローに拠点を提供しているんです。これはその一つ。ただ使用するはずだったヒーローがちょっと問題を起こしましてね……。まあ、提供するはずだった拠点が空いてるって訳です。
店名に関しては偶然でしょう。以前からこの名前で開店する予定だったそうですから。まあ偶然とは言え面白いじゃないですか。ゴリゴリ団のゴリゴリカレーって」
「訴えられなかったら面白いわな。でも多分これ訴えられるぞ。せめて名前は変えよう」
ヨシダさんとハセガワも同意した。クジョウは誰に訴えられるのか分からないと言いたげな顔をしていた。それとなくハセガワが尋ねた所、パクリ元の有名なカレーショップの存在をクジョウは知らないらしい。そのやりとりを眺めながら、呆れたようにため息をつくローラさん。そのため息の後、強引に空気を変えようと少しわざとらしく豪快に言った。
「正義のヒーローが使うはずだった拠点が、悪の秘密結社になる訳か。まあ、使えるモンは使っておかないとな。ぶっちゃけ金もないし。やろうや、ここで。また最初から」
ローラさん、ヨシダさん、そして新たに仲間となったハセガワ。お互いに顔を見合わせて、これからの事に思いをはせる。
「あれ!? 俺たち三人だけ? それでどうやって秘密結社とかやってくの?」
「と言うか、このカレーショップどうするんですか? ハセガワ……君? さん? あの……、調理師免許とか持ってます?」
「と言うか、自分の見た目が幼女な事について、まだ触れていないんですけど。どうでもいいんすか? 自分ってそんな扱いなんすか?」
そんな三人に対して、何事もなかったかのようにクジョウが言い放つ。
「では、頑張ってください」
その言葉に呆然とする三人を置いてクジョウは帰っていった。
***
ゴリゴリカレー店内。最寄りのディスカウントショップ『ドンキー・ポーク』で買ってきたロウソクを灯りに三人は総菜パンを食べていた。
「なあ、電気すら通ってないってどういう事なの? これでなにをしろと?」
「脂っこいですね、このパン。ああ、歯ブラシも買ってくればよかった……」
「どうせ近くだし、あの店二四時間だし、また行きましょう。自分も飲み物欲しいです。水道も止まってるし」
三人は愚痴をこぼしながらモソモソと総菜パンを食べた。悪の秘密結社ゴリゴリ団はこの夜、再始動した。しかし三人の心中には不安しかなかった。
「今日からここで寝るしかないんだよな……」
「え!? ゴリラさん、ここに住むんですか?」
「いや、俺の家はもう帰れないんじゃないかな。できたら荷物くらい取りに帰りたいけど……」
神社の境内で二十人のヒーローを倒した事で、既にローラさんは都内で最も警戒される怪人となっていた。当然彼の素性については徹底的に調べ上げられていた。
彼のアパートはもちろんバイト先に至るまで、警察とヒーローは協力してローラさんを追いかけていた。
「ヨシダさんはどうすんの? 俺と一緒にいたって言っても、まだヨシダさんのトコまでは警察も来ないと思うけど」
「え? 前と一緒でいいんじゃないですか? この拠点に通勤しますよ。ハセガワ……さんはどこにお住まいなんですか?」
「あっ、ハセガワでいいっす。ヨシダさんの方が先輩ですし。自分もここに住むつもりなんですよ。自分、家無しなもんで」
営業していないカレーショップでゴリラと幼女が同棲生活。ヨシダさんはその光景を想像して目眩がした。
さすがに犯罪的過ぎる。そんな思いがよぎった。そして恐る恐る言ってしまう。
「わ……、私も一緒に住みましょうか……。ほら、二人だけではアレですし」
「アレ? アレってなに?」
「まあ、上司になる人にこんな事言っちゃアレですけど、ゴリラと同居とかあり得ないっす。マジキツいっすね」
「お前、ゴリラ舐めんなよ! ビンタすんぞ、コラ!」
ゴリラと幼女の同棲。犯罪的と言うか、猟奇的と言うか。むしろ絵面だけならファンタジー。しかし中身は両方オッサン。
「あれ? もしかしてなんの心配もいらない? すいません。やっぱり帰ります」
「え? うん、まあ、なんでもいいけど……。送っていきたいけど、俺もそうそう外出できなくなりそうだし、気をつけて帰ってね。できるだけ明るいとこ通ってね」
「あっ、自分、もう一回ドンキー行ってきますわ。寝るのに毛布くらいは買ってこないと」
「俺の分も頼むわ」
「毛布要るんですか? メッチャ暑苦しそうな毛皮持ってんのに」
「いいから行ってこいや!」
幼女を使いっ走りにしているゴリラ。ヨシダさんは二人のやりとりを死んだような目で見つめた。
「この組織……、前より酷くなってる……」
ゴリゴリ団再始動の夜。ヨシダさんは人知れず覚悟を決めた。
「私が頑張らないと!」




