第一話 ローラさんはゴリラ
ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン。
一頭のゴリラが電車に揺られている。ごく普通の作業着姿で、当たり前のように座ってる。誰もが奇異の目で見た。それも二度三度。
ゴリラは居心地悪そうに身体をつぼめる。そんな事をしても無駄にデカい身体はどうしようもないが。
ゴリラの名前は『ローラさん』、もちろん本名ではない。本名は誰も知らない。果たして本人も覚えているのかどうか。
正確にはマジゴリラではなく、半分は人間である。彼は改造手術を受けた怪人だった。怪人『ニシローランドゴリラ男』、それが彼の正体。
「今日もキツかったなぁ」
ローラさんはつぶやく。現在は肉体労働に従事する一般人。少なくとも本人はそのつもりだった。
キツいとぼやいているが、もちろん肉体的な疲労など無い。ローラさんのぼやきは主に現在の暮らしぶりそのものを指している。
十代で悪の秘密結社に入り、青春を戦闘員として過ごす。『イッー!』の発音は結社一だと褒められたのが自慢だった。
その後、改造手術を受けた直後に結社は崩壊。それからいくつもの結社を渡り歩く。三十代で彼は独立して秘密結社『ゴリゴリ団』を設立した。
そのゴリゴリ団も今は存在しない。
そして現在。電車に揺られているローラさんの前に、一人の老婆がやって来た。プルプルと震えながら、空いている席を探してる。
「あっ、お婆さん。どうぞ座ってください」
平然と席を譲るゴリラに乗客は安堵した。『ああ、ゴリラじゃなくて、ゴリラっぽい人か……』、誰かがそうつぶやいた。
そして電車のドアの脇にある手すりに捕まりながら、また電車に揺られるローラさん。ため息をつきながら彼は思った。
「俺……、悪の怪人に向いてないのかな……」
ローラさんは既に五十代。どう考えても気付くのが遅かった。もっとも彼はもう悪の怪人ではない。つい半年前の事、資金難が続いていたゴリゴリ団はついに破綻した。
給与の未払いが続いていた戦闘員によって、ローラさんは訴えられた。そしてすべてを失ったローラさんは、今日も未払いを清算するためにした借金に追われて汗を流す。
***
東京の片隅。六畳一間、風呂無しの安アパートでゴリラがくつろいでいる。テレビを見ながら、近所のスーパーで買ってきた安酒を飲む。
なにも考えずに、ただ飲む。そして明日の仕事に備えて、早めに寝る。ただそれだけの時間。思わずため息をつく。そして自分自身に笑ってしまう。
「なんかため息ばっかりだなあ」
独り言をつぶやきながら、その視線はテレビではなく戸棚の写真立てへ。そこには古い写真が飾られている。十年以上前の、ローラさんが独立したばかりの頃の写真。
一緒に並んで写っているのは女幹部の『ヨシダさん』。そして当時面倒を見ていた戦隊ヒーローの『薬物戦隊アヘンジャー』の面々。
「アイツら、ちゃんと更生できたのかなあ」
アヘンジャーは、法的にアウトの薬物を使って身体能力を高めていたヒーローだった。当然、全員逮捕されている。
独立したばかりのゴリゴリ団と敵対していたはずだったが、あまりにも未熟なヒーローたちだったため、ローラさんは彼らを一人前のヒーローにするためにわずかな手助けをしていた。
今、ローラさんが見つめている写真はその当時の記録。恐らくはローラさんにとって、最も充実していた頃の思い出だった。
『コン、コン。コン、コン』
思い出にひたるローラさんの邪魔をしたのは、立て付けの悪いドアから響くノックの音。思わず眉をひそめて時計を見る。時刻は夜九時。世間ではどうか知らないが、ローラさんにとっては就寝の直前の時刻。こんな時間の来客はローラさんにとっても初めてだった。
「すいません。ニシローランドゴリラ男さんのお宅ですか?」
部屋の外から誰かの声がする。それは男性の声。ローラさんを『ニシローランドゴリラ男』と呼ぶ時点で、その人物がローラさんの素性を知っている事は明白だった。
「誰だよ、こんな時間に……」
声に聞き覚えは無い。もちろんローラさんを知っている人物が、彼を『ニシローランドゴリラ男』とひたすら長い名前で呼ぶ事も無い。
「はい、どちら様ですか?」
ドアを開けずに対応する。ローラさん自身が誰よりも不審な存在だが、そのローラさんも素性の分からない相手には多少の警戒もする。知らずにローラさんの眉間にしわが寄る。
「夜分遅くにすいません。わたくし、『東京都ヒーロー支援機構』の者です」
ドアの前に立つ男はまだ自分の名前を名乗らない。ただし男が所属する組織の名称は、ローラさんの眉間のしわを更に深いものにした。
東京都ヒーロー支援機構。どこぞのライダーが設立したというヒーローを援助する組織。最近は主にご当地ヒーローの育成に力を入れている。
もちろんそんな組織が訪ねてくる理由など、ローラさんには見当もつかない。しかし壁も薄い安アパートで、延々とドアの前で騒がれてもたまらない。そう考えて、ローラさんは渋々ドアを開ける。
そこに立っていた男は二十代に見える青年。身長は高いが、かなり痩せている。そしてどこか陰気な目をしていた。
今風の茶色に染めた髪と、それに不釣り合いな青白い顔。全体的に陰気な風体。そんな男がどこか無理のある作り笑いを浮かべていた。
男の名前は『クジョウ』。結論から言えば、この物語のラスボスとなる男。
正義のヒーローになれなかった男と、悪の怪人に向いていなかった男。彼らは東京の片隅で、互いの苦悩をぶつけ合う。ただしそれは少し先の話。
「それで、こんな遅くになんの用ですか?」
「いえ、ニシローランドゴリラ男さんは普段お仕事でいらっしゃらないもので、こんな時間の訪問となってしまいました」
さりげなく遅い訪問の原因をローラさんのせいにするクジョウ。
「だからなんの用?」
軽くイラついてタメ口になるローラさん。普段は温厚だが、かなり短気な性格だった。
「少しお邪魔してもよろしいですか。実はニシローランドゴリラ男さんに折り入ってお話が……」
クジョウはローラさんのイラだちにも構わずマイペースで話し始める。結局はローラさんが折れた。
「ああ、ちょっと。そこじゃ外にまる聞こえだから。中、入って」
六畳一間の安アパート。もちろん来客自体ほとんどない。それもあって部屋には布団も敷きっぱなしだった。
どこか情けない思いを胸に感じながら、せっせと布団を片付けるローラさん。その時、クジョウは油断の無い目で部屋を観察していた。
布団を部屋のすみに片付けるローラさんを小さく鼻で笑うクジョウ。それには気付かず小さなテーブルにほとんど使った事のない来客用の湯飲みを置くローラさん。
「この辺りの人ら、俺が昔怪人やってたの知らんからあんま騒がんでくれるか。それで、なんの用なん?」
「半年前にゴリゴリ団は破綻。現在は肉体労働のバイトを掛け持ちする日々ですね。なんでも戦闘員への給与の支払いのために借金をしたとか」
「ああ、よく知ってるね。わざわざ訪ねてくるくらいだから、一応は調べてきた訳ね。そんなら知ってるよね、もう怪人やってないのよ。まあ、ゴリラのままだけどさ」
「返済はできそうですか?」
直球の質問。クジョウは用件よりも先にローラさんの苦境について指摘した。それは自分が圧倒的に優位に立っているという事を誇示する狙いがあった。
ローラさんはかつての戦闘員たちから訴訟を起こされた。もちろん即座に和解は成立した、いかがわしい業者から金を借りて戦闘員たちの求める金額を支払ったから。
それから半年。三つのバイトを掛け持ちする日々だったが、借金の利息を支払うのが精一杯の状態だった。
ローラさんは苦虫を噛み潰したような顔でクジョウを睨む。だけどそれ以上の事はできない。当のクジョウは、うっすらと嫌らしい笑みを浮かべながら本題を切り出した。
「ニシローランドゴリラ男さん。ゴリゴリ団の活動を再開しませんか? 必要ならこちらで援助もさせていただきます」
予想外の申し出。クジョウの言葉に一瞬言葉を失うローラさんだったが、少しの間をおいてから彼に疑問をぶつける。
「いや、君なに言ってんの? ヒーロー支援機構の人だよね?」
「ええ、そうです。ですが貴方もご存じではないですか? 現在の『悪役不足』について」
説明しよう。現在、この国にはヒーローが溢れかえっている。なんの力もなくヒーローっぽい格好をしているだけの素人から、時折話題になるご当地ヒーロー。そしてメディアからも注目を集める。メジャーヒーローまで。
そのヒーローの総数に対して、現在その敵が不足している。それも深刻なレベルで。ヒーローの飽和状態はヒーロー同士の抗争を生み、また犯罪に走るヒーローも現れた。
それらを援助している東京都ヒーロー支援機構にとっても、悪役不足は頭の痛い問題となっていた。
「それで、ソイツらに倒されるためにゴリゴリ団を再開しろって言ってんの?」
クジョウはわざとらしく驚いてみせる。まるでローラさんが勘違いをしているとでも言いたいように。
「ニシローランドゴリラ男さん。貴方は少し勘違いをしていますね。この街で十五年にわたってゴリゴリ団を運営してきた貴方を、誰が倒せるんです? 私たちの分類では貴方はA級の怪人です。メジャーヒーローを相手にしても簡単には倒されないでしょう」
事実、たとえ悪役不足と言っても勝ち目の無い戦いに挑むヒーローは少ない。ローラさん率いるゴリゴリ団は、ここ数年ヒーローに挑まれる事も無かった。
その理由はローラさん自身の強さ。ローラさんは強い。バカみたいに強い。襲いかかってきた戦隊ヒーローをビンタ一発で再起不能にしてしまった事もあった。
特に必殺技など持っていない。武器すら持たない。巨大化したり、超能力を使う事もない。主な攻撃手段はビンタ、多くのヒーローたちから『ゴリラビンタ』と呼ばれたその単純な物理攻撃だけで戦う。
そして頑丈。アホみたいに頑丈。戦隊ヒーローがなけなしの資金で完成させた巨大ロボの攻撃に対して、『え? それで終わり? これからなんか合体とかしないの?』と尋ねて戦意喪失に追い込んだ事もあった。
そして速い。普通に速い。一部の特殊能力を持つヒーローの様に、光の速度で動くとか、目に見えないなんて事はない。超常現象を思わせるような速度ではなく、一応は目で追えるレベルで速い。具体的には一〇〇メートルを五秒で走りきる。約二〇〇キロの巨体がその速度で動くさまは、多くのヒーローを震え上がらせた。
結論から言えばローラさんは、ヒーローや怪人同士の戦いにおいて無敵だった。ただ彼の最大の欠点は、『野心が無い』と言う事。若い頃から悪の秘密結社に身を置いていたローラさんは、それ以外の生き方を知らない。ただ彼自身には世界をどうこうとか、人類に対してどうたらという信念はまったくない。
だから自分からはなにもしない。ローラさんがやって来た事と言えば、彼の前に現れた新興勢力をヒーローよりも先に片付けてしまったり、ヒーロー同士の抗争を両者とも叩き潰して収束させたり。ゴリゴリ団の活動は結果として『地元の平和を守る』ことに終始していた。
ゴリゴリ団はあくまで『悪の秘密結社』、他の勢力を潰しても、あるいはヒーロー同士の戦いを収めても彼らが称賛される事はない。
それでも組織を維持するためには資金がいる。その資金が底をついたためにゴリゴリ団は消滅した。
「君は俺になにをさせたいの? ヒーローを援助する君らが、なんで俺の活動を再開させたいのよ?」
クジョウは薄暗い光をたたえた陰気な目でローラさんを見つめている。その真意は分からない、敵意とも侮蔑ともとれる視線。少なくともそこに好意は見えない。それでも口元を歪ませて、笑顔に見せかけたものを表しながら言った。
「私たちには強い敵が必要なのです」
ローラさんはまだ知らなかった。クジョウの言葉が東京都ヒーロー支援機構の総意ではない事を。この申し出がクジョウ個人の独断によるものである事を。
「まずは資金を提供します。それから見習いのヒーローを怪人として派遣させてください」
「ちょ、ちょっと待って。まだやるって決めた訳じゃ……」
「そうですね、とりあえず怪人『幼女男』を明日にでも連れてきましょう」
「おい、待てって。明日もバイトが……、『ようじょおとこ』? ゴメン、先にそれ説明してもらっていいかな、怪人『幼女男』?」
「はい、見た目は幼女、中身はオッサンです」
「ソイツ、なにができんの?」
「なにかできたら見習いは卒業してたでしょうね」
ローラさんは頭を抱えた。なにか途方もなくくだらない騒動に巻き込まれつつあるのを、彼は本能で察知していた。




