第2章
第2章
外見ばかりが華やかで美しい人々。
内面がどうだろうと、神と違って人の心が読めないリオンには知る術はなかった。
今日は多くのモデル達が集まって有名雑誌の撮影会。
ケビーはそこへ元から決まっていたグリノフという男性モデルを排し、リオンを潜り込ませた。所謂、初仕事というやつだ。
「今日はよろしくね。リオ」
リオンは芸名としてリオと名乗る事になっている。
「よろしくお願いします。えっと…」
「あ、ごめんなさい。名乗るのが先だったわね。ケビー社長から貴方の面倒を見るように頼まれているミリィよ」
「こちらこそ存じ上げなくてすみません。お世話になります」
勝気な眼差し、艶を放つブロンド、不敵な笑みを浮かべる唇に減り張りの効いたボディー。ここに居るどのモデルよりも際立って麗しいミリィとリオンは握手を交わした。
「今回の撮影は私との絡みよ。大丈夫、私がリオをリードしてあげる。貴方も今日からトップモデルよ」
この日の撮影はミリィの宣言通り、彼女の導きのおかげで素人にしては何の苦も無く終わった。
「お疲れ様。とても良かったわよ。リオ」
「いえ、ミリィのおかげです」
「これからも暫くは私と一緒に雑誌モデルやフッションショーの仕事だから、頑張りましょうね」
「はい。お願いします」
終わった後、二人で歩きながら会話を交わしエントランスを出た。
「汚い手を使って人の仕事を奪っておいて随分楽しそうだなぁ、おい」
待ち構えるようにして居た、今回の撮影で排されたグリノフがリオへと因縁をつける。
それなりに名の通ったモデルとしての姿はどこへやら、髪はボサボサ、髭は疎らに生えっぱなしで、酷く酒臭かった。
「言いがかりは止して、グリノフ。運と実力の世界よ。今回外されたのは売れてきた事に調子付いて、女遊びが過ぎて自分磨きを怠ったアンタのせい。ケビー社長の判断は正しいわ」
「なんだと、このクソ女っ」
「あら、外見が堕ちたと思ったら、中身もだいぶ汚らしくなったものね。隠していただけで、それは元からかしら。会社から私達の迎えの車が来たわよリオ。行きましょ」
「好き勝手言いやがって…くそっ…リオっ覚えてろよっ、上に行くチャンスを奪ったお前を絶対に許さねぇからなっ」
グリノフは車に乗り込む背へと言葉を投げつける。
「どうして負け犬の吐くセリフって、いつも似ているのかしら。不思議じゃない?リオ」
心底呆れて言うミリィに、リオはなんて返して良いか解らず、苦笑するに留めた。
この後、ミリィと共に幾つか仕事をこなし、ブライトと共に住むホテルへ帰ったのは深夜を過ぎた頃だった。
「ただいま帰りました」
「ああ、お疲れ。で、どうだったんだ?初仕事は」
貰った仕度金で古くてぼろいモーテルを出て、そこそこのホテルを取った。
スイートなどではないが、埃っぽさやカビ臭さが無い分とても快適だった。
床だって軋まない。
「なんとか上手くいきました。ミリィさんって方が色々と助けてくれましたので」
プライドは良かったなと相槌を打ち、冷蔵庫を開け、
「水と酒ならある。腹が減ったならルームサービスでも呼んで食べると良い」
「僕、お酒は飲みません。チョコレートはありますか?」
「いや…無いな」
ブライトは出会った初日に何か飲むかと聞いてホットチョコレートとリオンが言ったのを思い出す。
「そうですか。では、食事は仕事前に軽く済ませたので、今日はもうシャワーを浴びて寝ます」
リオンは羽を落とされてからご飯を食べ、眠るようになった。
汗が出て、頭も痒くなるから毎日シャワーだって浴びる。
今なら風邪も引くんじゃないだろうか。
「そうか。体調管理には気を付けろ。仕事に穴を開けると色々な人に迷惑がかかるからな」
何よりリオンにはもっと稼いで貰う算段だ。
リオンが稼いだ金の管理はブライトがする。
リオンは別段、疑いも不満も無く了承した。ブライトがどう使おうと文句も言わない。ブライトの金の鶏状態だ。
「はい。わかりました」
リオンは言葉通り、シャワーを浴びるとすぐにベッドに入り眠りに着いた。
堕天使になったのが不思議なくらい真面目な男だ。
天使が堕天使になるには諸説あるが、神の怒りをかったり、もっとこう、不良少年みたいなイメージがブライトにはあったが、リオンはどちらかといえば好青年という感じで、誠実で、ともすれば羽を斬り落としたブライトを恨んでも可笑しくは無いのに、ブライトを許し、素直に従う。
「こいつはどうして堕天使になったんだ?」
フッと口から放たれた謎は、冷蔵庫から取り出されグラスに注がれた、高級な物を飲み慣れたブライトからすれば安物のワインの赤に溶けていった。
翌日からもリオンの仕事は順調に増え、半年も経たない内にブライトの元へ帰れる日がめっきり減った。
だが、仕事と比例してブライトの手元のリオンが稼ぐ財産は鰻登りに増加し、今では上等ホテルのスィートルームに居を構えている。
お酒だってブライトがお金持ちだった頃とほとんど変わらない値段の物を飲める。
時折、金と自身の魅力にものをいわせた女遊びもブライトはこっそり楽しんでいる。
心配ごとといえば、たまぁに帰って来るリオンが日を追うごとに生気を無くしていくことぐらいだ。
元堕天使に生気があるだの無いだの可笑しな話だが、堕天使であった頃よりも儚げで消えてしまいそうなのだ。
「どうした?何かあったのか?」
と、ブライトが聞けば
「いいえ、少し疲れているだけです」
の一点張り。
確かに疲れるだろう。天使や堕天使の仕事は聖書や童話の中でしか知らないが、人の中で人に揉まれ、ましてや近頃は眠る暇も無い位のオーバーワーク気味だ。
仕事中はまともな食事すらしてないんじゃ無いか。
これでは生まれながらの人間ですら倒れてしまう。
「今、ホットチョコレートを入れてやるから、そこのソファーで少し横になってろよ」
ブライトはあの日からチョコレートと牛乳を切らさないように気を配っている。以前のブライトならば他者の為に何かを自らするなんて考えられない事だという自覚がある。金の為だと理由付けているが、なんだか腑に落ちていない。
「少し休暇を取ったらどうだ?」
ホットチョコレートを渡し、提案する。
いくらリオンには沢山稼いで貰わなければ困ると思っても、倒れられては元も子もない。
万が一にも働けなくなれば莫大な違約金を払わなければならないからだ。
「向こう一年は予定がびっしりなので休暇は…本当に大丈夫です。仕事はとても楽しいので」
そう、リオンにとって仕事は心底楽しいものだった。
例え寝食を削っても、元は堕天使。人より丈夫だから何も問題は無い。
だったら何故、仕事上はオーラ全開だが、私生活では生気が無い幽霊みたいな存在感に近付いたのか。
実は仕事場でリオンは陰湿な虐めにあっていた。
モデルとして着る服が破かれていたり、根も葉も無い悪い噂を広められたり、果ては靴に画鋲なんていう古典的なものまで。
周りは気にするなというが人と、愉快に思い嘲る人がいて、悪意に晒されるのは凄く疲れるものだ。
犯人なんてわからない。ミリィや周囲の人達はグリノフが仕事を取られた腹いせにやってるのじゃないかと騒いでいる。
証拠の無い人間を疑いたくは無い。
「大丈夫よ。元気を出して。私やケビー社長がリオのことを守ってあげるわ」
「ありがとう、ミリィ」
ミリィとリオンはしばらく一緒に仕事をしていたおかげで、お似合いのカップルだなんて噂を立てられるくらい、親密な仲になっていた。
面倒見の良い姉御肌なミリィと、どこか頼りなげで支えてあげたくなる弟気質のリオン。
二人は仕事上のベストパートナーだった。
リオンに休暇を取れと言った次の日、ブライトはケビーに会いに来ていた。
通された部屋は以前来た時よりも豪奢な室内になっている。
リオンがあんなに顔色を悪くして稼ぐおかげだと思うと、強い憤りを感じる。
「おや、久しぶりだね。給料の値上げをしろとでも良いに来たのかな?」
甘いマスクに嫌味たっぷりの笑みでケビーは言う。
「いいや、そうじゃ無い。リオンに休暇をやって欲しいと頼みに来たんだ。ずっと、働き通しで昨日会ったら大分顔色が悪かったから」
「珍しいね、社員を酷使して何度も訴えられて優秀な弁護士を雇って無かったことにしてきた元ワンマン社長が他人を休ませたいだなんて」
嘲笑う口調。
「頼む。ケビー」
ここ数年、誰にも頭を下げた事が無かったが、これでもかってほど深く下げ、懇願した。
「これは本当に珍しい、もしかしたら明日は我が社も倒産するかもね。あのブライトが頭を下げるなんて。けど、そこまで言うなら良いよ。ただし、今度のファッションショーが終わってからだがね」
ケビーの態度に腹が立ったが、なんとか休みの約束を取り付けられてブライトは安堵する。
ゆっくり休ませてから何処か遊びに連れて行ってやろうと思い描いてワクワクするほどに。