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第1章

第1章


まず、結果について記そう。

ブライトの会社は見事に倒産した。もちろん、電話があった当日にでは無く、努力虚しく数日後に、だ。


現実にはありえないようなことが起こり、株は大暴落し、大きな取り引きも契約も全て水の泡となって消え、まるで亀裂が入りそこから一気に崩れた感じだ。


まさしく天罰と言うに相応しい。


優秀な社員は受け皿を見付けたが、他の社員は路頭に迷っているだろう。


そして現在、ブライトは安くてボロいモーテルにリオンと居た。


屋敷も手放し、使用人にも暇を出し、手元に残った僅かばかりの金でしばらく生活しなければいけない。


両親を早くに亡くしている為、唯一の家族である妻と息子とは、離婚の話し合いに後日会うつもりだ。明日には旅行先から飛行機でこちらに向かうと言っていた。


別れは妻から切り出された。


「恩恵とやらを奪えて満足か?俺に不幸が?だったら大成功だよ。大打撃だっ。生まれて初めて寝込んでしまいそうなくらいになっ」


ベッドに座り、両手で頭を抱えてリオンに憤りを打つけるブライトへと、


「今からでも遅くはありません、悔い改めて慈悲の心を持ちませんか?」


優しく諭すように言葉をかけるリオン。


「何が遅く無いだっ!?何もかも失ったんだぞっ!!血の汗を流しながらあそこまでデカくした会社も、祖父の代から続いた金持ちっていう設定も、自慢の家も土地もだっ。挙句に金が無くなった途端、妻は離婚したいと言い出す始末。あの強欲女がっ!息子はあまり家に居ない俺には懐いて無いから当然、妻に着くだろう。遅く無いだ?もうとっくに手遅れなんだよっ!!」


「ですが…」


「もういい、もう話しかけるなっ。俺は寝るっ」


こんな慣れない粗悪なベッドでは寝付けやしないが、それでも堕天使と面を合わせているよりマシだと湿気臭いシーツを頭から引っ被った。




案の定一睡も出来なかったが、昼から近くのレストランで妻と息子と落ち合うことになっている。


気が重いが息子にダラシないところを見せられない。

せめてシャワーを浴び、髭を剃り、買ってあったシャツに着替えなければ。

窓へと視線を移すと、リオンは窓の前に椅子を持ち、座って外を眺めていた。堕天使だから寝る必要など無いのだろう。堕天使なのに、その姿はやはり神々しくて、ブライトはしばし見入ってしまった。

制裁を下すのは身勝手な神とやらの仕業だと相場は決まっている。リオンは告げに来たと言っていた。ブライトには、昨日のはただの八つ当たりだとわかっている。

だからといって自尊心が天より高い男は謝れず、挨拶すら出来ずにシャワー室へと向かった。


そうして身支度を整え、コーヒーを飲みながらテレビでも見ようとつけた。


ニュース番組でも見ようと。どこもどうせブライト会社倒産話だろうが、下世話なバラエティなど見る気は無かった。


だが予想は外れた。

ニュース番組はどこも飛行機事故の話ばかりで、その飛行機というのが、ブライトの妻と息子が乗って来る予定のものだったのだ。



慌てて妻と息子に電話をかけるが、繋がらない。


窓際の堕天使を見やれば、リオンもブライトを見ていた。


リオンは憐れみのこもった眼差しと声音で、


「祈ってみたのですが、ダメでした」


と、訳知り顔をして細い首を振った。




葬儀が終わり、後のことは妻の両親に頼み、無責任なと詰られながらも覚束ない足取りでブライトは教会を出た。

流石に教会の中には入れないからリオンは外で待ち、やっと出てきたブライトへと駆け寄る。


妻と息子の死を知った後からリオンとは目も合わせず口もきかず、まるっきりそこに居ないといった扱いだったが、リオンは気にせず、ブライトのことを心配し何度も声をかけ、背を摩り慰め、今朝だって死んだ者を送り出す準備に忙しいらしく、伸びっ放しにしていた髭をあたってやった。嫌がりもしないが礼も言わない。ブライトにとってリオンは空気だ。


ブライトは片手に行きには無かった黒い鞄を抱えていた。


奥さんと息子さんの形見でも入っているんだろうかと大して気にも留めず、ともすれば道路に飛び出そうなブライトの背を支え、公共車両に乗り込んで、今泊まり込んでいるモーテルへと帰る。


自家用車も売ってしまって無かったからだ。




モーテルに着くと、ソファに座ったブライトが久しぶりにリオンへ、声をかけてきた。


「なあ、君みたいな堕天使が居るってことは、ちゃんと天使がいて天国があるってことだよな?」


「ええ、あります」


「…そうか」


「大丈夫です。貴方の奥さんや息子さんはきっと天国に行けますよ」


「ああ。そうだな。なあ、リオン」


「はい?」


初めて、しかも優しい声でブライトに名を呼ばれ、返す声が驚きで少し裏返る。


「君の翼を見せてくれないか?」


「ええ、良いですよ」


ソファに座るブライトの向かいに立つリオンの背にファサッと黒い翼が現れる。


「…それ、触れんのか?」


「触りたいんですか?では、実体化するのでちょっと失礼しますね」


そう言って白いシャツを脱ぐ。


「いちいち実体化する為に破っていたら勿体無いので。まあ、実体化しても堕天使である僕の姿は、ブライトさんにしか見えませんが…」


堕天使であるリオンは、こいつに見せよう触らせようとした相手にしか見えないし触られないのだ。


ブライトに背を向けて、


「どうぞ、触ってください」


羽をパタパタとし、促す。


「ああ、ありがとう。では、遠慮なく」


真っ白い背中から伸びた一対の黒い翼。


作り物みたいだ。


指先で触れてみると、案外柔らかく癖になりそうな感触だった。


これが最後になるなんて惜しいほどに。


「どうですか?」


手に持っていた鞄から液体の入った瓶を取り出し蓋を開ける。


「すごく癒されるよ。もう少しこのまま」


「はい。お好きなだけどうぞ」


瓶の中身をその背にぶっかけた。


「何をっ…っうっ…ああっっ!!」


よほど熱く痛いのだろう。悲鳴を発し、己を抱き締めるように背へと両手を回してその場に蹲り、呻いている。


どうやら初めリオンが言っていたように本当に聖水が効いているようだ。

ならば、と翼を避けてリオンの背に覆い被さり、続いて取り出した十字架を翼と翼の間にある、薄い皮膚に覆われた骨が可愛らしく丸く浮き出る脊柱部分へと押し当てる。


「っあああっ…熱っ…うう…ぁ…なんで、こんな…」


「なんでって?なんでだろうなぁ。だって君は神の制裁を俺にただ警告しに来てくれただけだ。堕天使である君にお使いを頼むんだ。さぞかし君は神とやらのお気に入りに違いない。お使いのご褒美はまた、天使として天上へと戻してやるとか何かかな?」


「だっ…たらこれは…」


「これは復讐といえば、立派過ぎるから、まあ、ただの八つ当たりだ」


「八つ……当たり?」


「そう。そしてまだ、終わっていないがね」


ブライトは少し聖水に濡れて元気を失った漆黒の翼をひと撫でし、片翼を鷲掴むと首切り鋏みたく大きな鋏を取り出し刃先を当てた。聖水と十字架のせいで動けもせず、翼も仕舞えない。


「あ、おねが…い。やめて…ください。おねが…」


大した力を込めなくても、鈍く光る左右の刃は、間にあるものを断ち、合わさる。


天国までつん裂くような悲鳴。


切り離された翼は灰となって消えた。


「使いである君がこんな目に遭っていても神は助けてくれないんだな…」


ガタガタと震える背に呆然と呟きを落とす。


項にかかるプラチナの髪を、指で撫でて横へ流してやる。


肩がビクリッとしたが逃げはせず、為すがままだ。


震えは治らない。切り落とした部分は不思議と血が出なくて 、翼があったと丸分かりの酷い傷跡だけが残っている。


翼があった時には気付かなかったが、細く生っ白くて頼りない少年のような背。


押し付けたままだった十字架をよけると、火傷の跡みたくなっていた。


ふ、と込み上げてきた衝動に突き動かされて、十字架の跡の残る散々無体を働いた背へと、キスを落としす。


赦しでも乞いたかったのか、ただの気紛れか。



羽を切り落とされた堕天使は翌日も変わらず窓の外を眺めている。


ブライトはとても眩しく感じた。


頬まで伸びたプラチナに光る髪に、外の明かりが反射するせいだろうか。


羽を切り落とし、解放してやるとリオンは這うようにして隅の方へ逃げ、震える己を抱えるように座り込み、ブライトとは当然だが、目も合わせず、口も利かないまま。

ブライトはブライトで、もう何もする気が起こらず、脱力するに任せてベッドへと潜り込んだ。


そうしていつの間にか朝が来て、目を覚まし窓の方を見れば、ここ最近の定位置にリオンは居た。


声をかけるべきだろうか。

挨拶?今まで一度も交わしたことも無いし、そんな仲ですら無い。謝罪?どうして俺が。悪いのは俺では無く、俺の大切なものを悉く奪い、酷い目に遭わされているリオンを助けに来ない神とやらの方だろう。

そもそもどうしてコイツはこんな目に遭わせた男の元にまだいるんだ?


などとブライトが自問自答していると、

『ぐぅぅぅぅ』

と人間ならば誰しも聞き慣れている音がした。

腹が減った時の音だ。

ただし、今回鳴ったのはブライトでは無い。だけど、ここにはブライトとリオンの二人きり。


「…腹、減ってるのか?」


「……………」


「……………」


「……今は、堕天使じゃありませんので」


長い沈黙の後に、肯定の返答。

堕天使って羽を無くすと腹が減るようになるらしい。

人間みたいに。


「…ちょっと、待ってろ」


いつだって他人の腹が減っていようがブライトには関係の無いことだったし、それがムカッ腹立っている相手の子飼いなら尚更、ザマアミロと言って自分だけ腹いっぱい目の前で飯を食って終わりで良いはずなのだが、どうしてか、腹を空かせた窓際の元堕天使には、何か食わせてやりたいと思ってしまった。


だとしても手元には僅かばかりの金しか無い為、ロクなものを食べさせてやれないのだが。

少しの材料でも腹いっぱい食えるもの。


ポテトサラダだ。モーテルのキッチンを借りて数年ぶりに作った。胡瓜など生野菜を入れると水っぽくなって好きでは無い為、財布に余裕があればハムを入れる。が、贅沢を言える状況ではないので、ここはポテトにブラックペッパーとマヨネーズを和えただけにした。


出来上がった物を部屋に運んで皿に盛ってスプーンと渡せば、困惑気味にポテトサラダとブライトの顔を見比べ、恐る恐るといった風にスプーンで掬ってパクリと食べた。


「急拵えで尚且つ調味料しか入れて無い貧乏サラダの上にシェフとしてのブランクがあるから、堕天使では無くなった君が初めて口にするに相応しいものでないことは認める。だから感想を求めるなんて図々しい真似はするつもりは無いが、君が不満を述べるとしても俺は止めない。やった事の結果が何であれ、俺はそれを恐れず受け止め、次へと繋げられる男だからな」


緊張で饒舌になるブライトへ、リオンは、


「美味しいですよ。こんなに美味しいもの、僕が生きていた頃にさえ、食べたことないです」


嫌味かそれは、と返すには胸が痛くなる程の美しい微笑みでいうから、何も言えず、自作のポテトサラダを頬袋いっぱいに詰めてモグモグして呑み込んだ。


ブライトにも芋と調味料を混ぜただけのポテトサラダが、自分好みにハムを入れたやつよりも美味しく感じられた。








とにかく、金を作らなくては。


衣食住をきっちりとこなすにはブライトの手元に残った金額では、かなりの不安があった。

あの飛行機事故で受け取った金は妻の両親へ全て渡した。妻と息子の命の対価みたいで嫌だったし、ましてや離婚をされる予定だった元夫が使って良い代物じゃあ無い。

だが、いずれこのままでは近い内に無一文となりホームレスとなるだろう。

ブライトには自分が世界一ホームレスが似合わない男だという自負があった。


では、どうするか。


ブライトが会社を経営する上で教訓にしているのは、ピンチの時に自室の椅子に座ってジッとしていても事態は好転しないということだ。


だからといって闇雲に無茶な動き方をして損失を出すわけにいかない。だから普通に散歩に出た。気分転換だ。


リオンも着いて来た。白いシャツとズボンとブーツ。


外を少し歩けば、


「……寒い」


と呟きをもらす。寒さで耳や鼻が赤く、唇は青白くなっている。

堕天使だった頃は全く寒そうになかったから、この季節にそれは薄着過ぎるだろうとか思わなかった。

なるほど。翼を無くすと感覚も人と同じになるのか。


貸してやる義理はないが、見ている方は寒過ぎて居た堪れないので仕方なくブライトはコートを貸してやる。


「……ありがとうございます」


「まったくだ」




ブライトとて、シャツの上にスーツの上着だけでは耐えきれないので散歩は切り上げることにした。


出て来た時は微妙な時間だったから、人は少なかったが、帰り道はよく人と擦れ違う。


擦れ違うたび、老若男女問わず色めき立った反応をする。

最初、ブライトは自分に対してだと思ったが、どうやら違うようだ。

ならば、誰に対してか。


リオンだ。


それも、綺麗、美人、美しい、萌え、などという単語が必ず含まれている言葉を発し、見惚れてボケっと突っ立っている人続出だ。


モデルとかかな、なんて言い出される始末。


そこでブライトは思い出した。


有名事務所社長の友人がモデルを探していたことを。




建ち並ぶ高層ビル。


先日まで自分もそのビルを何棟も所有する帝王だったことを思うとブライトは苦々しい気持ちになる。


一際目立つビルへと入り、受付に確認を取ると社長室へと通され、友人であるケビーに会った。

ケビーは元はブライトの妻の親しい友人で、妻を介して学生時代に知り合った。


「やあ、すごく会いたかったよ。ブライト。葬式には出たけれど、あの時は挨拶も出来ず、申し訳ない。彼女と息子君のことは残念だったな」


「ああ。ケビー、気にしないでくれ。あの時は俺も色々と忙しかったから。俺も彼女達のことは、本当に残念に思ってるよ」




「ところで、我が社の命運を担うと言っても過言では無いモデルについて、紹介してくれるという話だけど、後ろの彼?いや、彼女のことなのかな?」



「ああ、そうだ。彼はリオンといって、俺の遠い親戚にあたるんだが、今、訳あって一緒に暮らしていてね。リオン、挨拶をしなさい」


言ってから、挨拶なんて出来るのかと、ブライトは不安になったが、リオンが前に進み出てケビーと握手を交わし相手の目を見据えて微笑みを浮かべる。

これなら大丈夫そうだ。


「初めまして。リオンです。生きていれば二十歳になります。」


全然大丈夫じゃなかった。堕天使的ジョークというやつだろうか。違うな、目が本気だ。


「生きていれば?」


「生きがいい二十歳と言ったんだろ」


モデルどころか危うく追い出され、病院へ連行されるところだ。

今度リオンには人に対して適した挨拶の仕方を伝授しようとブライトは誓う。


「なるほどね。見た所、肌も十代のように張りと艶があるし、全身から溢れ出るオーラが輝いているように見える。良いね、リオン君だっけ。キミを雇うとしよう」


「まあ、死んだのは十代なの…」


リオンがまた余計なことを言うのを遮り、


「では、契約成立だな。さっそくで悪いんだが、ギャラなんだが?ニュースで知ってると思うが俺達には今、金が無い。安いモーテルでは、リオンのプロモデルとしてコンディションを整えることも不可能だ。そこで、相談だ。ケビー、君、リオンに仕度金として今、幾ら出せる?そして、ギャラに関しては、君が5、俺達が5でどうだ」


ブライトは交渉に出る。


「あれほどの富を築いた男が、今はオレに親戚の子を餌に金の無心ね」


現役時代、天と地ほどの利益の差があったケビーに侮辱され屈辱でブライトの眉間に皺が寄る。


「良いね。仕度金にはこれくらいは出そう。ギャラはオレが8でキミ達が2だ」


「仕度金はそれで我慢してやる。ギャラは君が6で俺達が4だ」


暫し、ケビーとブライトは睨み合うが、先に折れたのはケビーだ。


「わかったよ。キミ達が4でオレが6で良い。その代わり、リオン君にはとことん働いて貰うからね。それに契約は三年単位だ。もし途中で辞めたりした場合はそれなりの違約金を払って貰うから」


「良いだろう。リオンも良いな。」


「はい。わかりました」


じゃあ、これにサインして。と早速作成し渡された書類に名前を書く。リオンと保証人としてブライトの名前。


芸能界。

そこはとても華やかで美しいばかりの世界に思えるが、一転すればどんな地獄よりも辛苦に満ちた世界であることを、そしてそこに放り込むのは堕天使となったが元は天使の無垢なる少年だったことをブライトは忘れていた。




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