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人垣を割った私の目にまず入ったのは、成長したミシュリーの姿だった。
明らかに大人びた顔立ちと裏腹に、幼い頃となにも変わっていない光り輝く金髪に碧い目。座っているから分かりにくいが、身長はさほど高くないだろう。女の子らしい可愛いらしい身長だ。私が昔に切り落としてから伸ばしたとみられる髪は、それでも肩口しか伸びていない。淑女としては見過ごせない欠点だが、それすらも個性にしか見えない美しさを発揮していた。しょせん、髪型なんて言うものは、ごく一部の狭い範囲での流行り廃りのものでしかない。そんなことを改めて確信させられるくらい、成長したミシュリーは魅力的だった。
私の妹は、やっぱり世界一かわいいヒロインだ。
そしてそのミシュリーに何事かまくしたてているのは、豪奢な巻き毛をした少女だった。
金髪の長い髪を、ロール状にまとめあげた華やかな見栄え。それにふさわしく、派手な顔立ちをしている少女だ。目の色こそ深い藍色をしているが、落ち着きは皆無だった。
その少女の言葉に、ミシュリーはやや目を尖らせていた。
「……わたしがお姉さまの妹じゃないって、どういうこと?」
「そのままの意味ですわ」
少しだけ不機嫌さを漏らしたミシュリーに、巻き毛の少女は怯まない。
「あなたではクリスティーナ様の妹としてふさわしくないということですわ」
巻き毛の女子は果敢にも、きっぱりと言い切った。
あの女生徒、やたらと存在感があるが、もしかしてエンド殿下の親戚だろうか。いや、王家にこんな顔の少女はいないということぐらい把握しているから、血縁的な親戚という意味ではない。
アホの気配がするのだ、あの娘には。
まあ、なんでもいい。いい加減、あいつを黙らせて私がミシュリーと対面しよう。
そう思って足を踏み出そうとして
「あなたなんてっ、ちょっとかわいくて、主席で入学するくらい頭もよくて、それで人当たりもいいだけで、しかもクリスティーナ様の本当の妹だというだけだということですわ!」
おそらく新入生だろう彼女がミシュリーに詰め寄っている内容が意外すぎて、この私をして二の足を踏ませた。
「なに言ってんだ、あいつ」
ハチャメチャなセリフを聞いて純粋な疑問がこぼれでたが、その場にいる誰一人答えを持ち合わせてはいないかったのだろう。私の小さな呟きは、拾われることもなく、ころころ転がって消えていく。
「なにか、言うことはありますの!?」
「えっと……ありがとう?」
「違いますわ! どーしてそうなりますの!?」
どう考えても褒めていただけだから、ミシュリーの対応はあながち間違いでもない。しかしアホそうな女生徒はその答えが気に入らなかったらしく、足を踏み鳴らして苛立ちを示す。
傍から見ている私でも訳がわからないのだ。詰め寄られているミシュリーはもっと困惑しているのだろう。対応に苦慮しているようで、困った顔をしていた。
「ごめんなさい。さっきからちょっと、意味が分からないんだけど……」
「あら、意外と頭が回らないのかしら。ふふんっ。ならば教えて差し上げますわ」
ここ数分の言動で自分のアホさを露呈している少女は、なぜか上から目線で胸を張る。
「いいですこと。私だって知っていることですが、クリスティーナ様は断じて他の生徒から『お姉さま』と呼ばせませんわ」
この学園の女生徒は風習として上級生の女子を「お姉さま」と呼ぶ。身分差もある生徒が入りまじっているこの学園で、紆余曲折があった末に落ち着いた呼称なのだろう。
そして、私がその呼び名を断じて許さなかったのは事実だ。
それを聞いて、きらりとミシュリーが目を光らせた。
「それ、本当?」
「ええ。間違いありませんわ。そしてその理由が、あなたという存在がいるからということを、わたくしは確信していますのよ!」
「おい。誰かあのアホを止めろ」
ミシュリーを突き放した私が、まるで妹想いのいい姉みたいに語られつつある。
二年にもわたる私の努力をぶち壊そうとしているアホ娘に対して切実な呟きが漏れたが、誰も動かない。
確かに後輩やなぜか同輩、果ては上級生が私のことを「お姉さま」と呼ぼうとしたのなら、にらみつけて訂正させた。学園の風習に逆らうという意味もあったし、ミシュリー以外に「お姉さま」と呼ばれたくないというささやかな願望も大きな理由だ。だからあながち的外れでもないのが腹立つ。
焦燥を募らせる私をよそに、ミシュリーはそっと悲しげに目を伏せた。
「……それは、分からないよ? お姉さまがいまどうなってるのか、わたしには分からないもん」
「バカにしないでくださいまし。わたくしだって、あの方にあこがれて努力してきたのですわ! その心を察せないほど愚か者ではありませんのよ」
ミシュリーの疑問符を、どこからどう見ても愚か者なアホ娘が力強く否定する。
「あの方が認めた妹はたった一人。ならばこそ、クリスティーナ様の『妹』という地位をかけて、わたくしが、この、フリジア・イスタルがあなたに宣戦布告をしたということをお分かりになったかどうか――」
「そうか。わかったぞ、フリジア」
わめき散らしているフリジアを遮ったのは、私の冷え切った声だ。
これ以上、このアホをしゃべらせておくわけにはいかない。割と手遅れな気もするが、きっと気のせいだ。
私の登場に、はっ、とミシュリーが目を見開く。
「お姉さま……」
「……」
その碧い目を見ただけで、決意が揺らぎそうになる。ミシュリーの名前を呼んで、抱きしめて謝って許されたくなる衝動にかられる。
だが
「く、くくくりしゅてぃーな様!?」
アホ娘の動転した声で、平常心に引き戻すことができた。
「……ミシュリー」
久しぶりに最愛の妹に呼びかけた私は、すうっと息を吸って、言う。
「呼び名のことなんて、ただ単に響きが気に入らなかっただけだ。いいか、ミシュリー。お前はしょせん、養子なんだ。ノワール家の血をひいていないし、私と血を分けた姉妹だというわけでもない」
「っ」
我ながら酷い言葉を叩きつけると、ショックを受けたのかミシュリーが息を飲む。
それに動揺した心を押し殺そうとして、でも、ちょっとだけ声が震えた。
「だ、だから、勘違いするなよっ。このアホ娘が言ったことを真に受けるんじゃないぞ。私は、お前のことを大事な妹だなんて、全然思ってたりしないからな!」
言い切った。
『迷宮デスティニー』にあったセリフを、しっかりと発した。
ミシュリーの碧い目にじんわりと涙がにじんだのを確認して、私はフリジアの首根っこを引っ掴む。
「お前は、ちょっとこっち来い。私の部屋で話したいことがある」
「は、はい! 光栄です!」
学園に悪名をとどろかす私からじきじきに罰をやろうと言ったのに、なぜか喜んだ。
この娘の頭はどうなっているのだろうか。初対面でアホだと確信してはいたが、少し心配になってきた。言葉はちゃんと通じているのだろうか。ずるずると引きずって歩きながら、コミュニケーションの最底辺のラインで不安になる。
とはいえ、予想外の事態はあったものの、私のアドリブによって軌道修正はなされた。
「……む? クリスティーナ。貴様、なにを連れている」
「近年、稀に見るアホだ」
遅れて食堂に入ってきたエンド殿下に即答する。
殿下は、不審そうに眉を寄せた。
「なにを言ってる。誰が自己紹介をしろと言ったんだ」
「やかましい。そんなことより、早くミシュリーを慰めにいってやれ」
「慰め? なにか、あったのか?」
「……ああ」
殿下の問いに先ほどの自分の暴言を思い出して暗い顔になってしまう。それを見て、エンド殿下も深くは追求しない気遣いを身につけていた。
「そうか? まあ、ミシュリーがいるというなら、会いに行くが……」
「任せたぞ」
素っ気なく言葉を残して食堂を後にした。
入学早々、私の暴言に傷付いたミシュリーをエンド殿下が見つけて、慰める。『迷宮デスティニー』にあったイベントを、私は私のやるべきことをなして作りだした。運命は軌道修正され、正しい道を歩んでいる。
それが知れて、少しだけ気が晴れた。
「く、クリスティーナ様。これからどこに向かうのでしょうか?」
「私の部屋だ。そこなら邪魔も入らないからな」
「まあ!」
「なあ。なんでお前、嬉しそうなんだ?」
イレギュラーである一抹の不安を、この手に残して。
ポンコツ四号登場




