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ただの偶然だった。
クリスにライバルだと言われるようになったのは、ただの偶然と幸運の賜物だったことぐらい、サファニア自身が一番よく分かっている。
最初のきっかけは、姉だった。
「今日、面白い子と会ったのよ!」
一番上の姉がそう言った。それはクリスが初めて社交界に出た舞踏会でのことだ。サファニアの参加は見送られ、当時から内向的だった彼女自身にも興味がなかったそのパーティーで、カリブラコア家の長女とクリスが顔を合わせた。なんでも昔に教わっていた家庭教師の教え子らしく、その縁で話が広がったらしい。
「頭に花びらを付けた、妖精さんみたいにかわいらしい子だったわ」
それを指摘したことがきっかけで話し始めたらしい。うふふと笑うぽわぽわした長女らしい感想に、興味を惹かれる要素はまるでなかった。サファニアはそれ以上話を聞く気も起らず、寂しそうに引き止める姉の声を無視して自室に引っ込んだ。
再びクリスのことを聞いたのは、二番目の姉の口からだった。
「あの子、すごくいい子よ!」
目を輝かせた次女の報告で、ますます不愉快になった。
なんでも長女が招待したらしく、サファニアの知らないうちにカリブラコア家を訪問したクリスを次女は絶賛していた。やれ礼儀正しいだの、やれ話が面白いだの、やれかわいらしいだの、やれ知識が豊富だの、さんざん褒め立てたあとに余計な一言で報告を締めくくる。
「あんたも本ばっかり読んでないで、あの子を見習いなさいよね!」
気にくわなかった。なにも答えずそっぽを向いくと、口うるさい姉はぎゃーぎゃーわめきたてたが、全部無視して自室に戻った。
二人の姉が大絶賛したノワール公爵家のご令嬢。会いたいとも思わなかった。聞くからに社交的で素直そうな人間と、内向的でひねくれた自分とではきっとソリが合わないだろうと確信していた。
だから、二度目の招待でクリスと顔を合わせたのは、しぶしぶで仕方なしだった。
「ごきげんよう、サファニア様。お会いできて光栄ですわ」
目もくらみそうな笑顔に、完璧なカーテシー。二人の姉から急かされても頑として部屋から出る気がなかったサファニアの自室に訪れたのは、まるで欠点の見えない淑女だった。
「クリスティーナ・ノワールと申します。サファニア様のお姉さま方とは、楽しくお付き合いさせていただいておりますわ」
「……ふん」
サファニアでは逆立ちしたってこなせない作法を身に着けた挨拶に、次女の言葉が脳裏に浮かび、反発の言葉が口からでてきた。
「なに、その嘘くさい笑顔」
それは純粋に、ただの悪口だった。
実際のところ、その時のクリスの笑顔は完璧だった。仕草から表情まで、なにひとつ不自然な所はなかった。だからこそ長女も次女もべた褒めをしたのだ。
だからサファニアの評価は難癖でしかなかった。これで二度と関わってこなくなれば清々するという強がりでしかなかったはずだった。
だというのに、それは思わぬ効果を生んだ。
「……ほう?」
意表をつかれたように目をすぼめたクリスは、次の瞬間には淑女の仮面を脱ぎ捨てて破顔した。
「すごいな。この第二形態を見破られたのは、初めてだ」
あまりの変貌ぶりに、呆気に取られてしまった。
あっという間に誰よりもクリスらしくなったクリスは、ずずいと身を乗り出して距離をつめる。
「年上にも、大人にだって見破られない自信作だったんだけどな。シャルルは……あいつに至ってはニセモノ呼ばわりしてくれたしな」
言っているのことは、ほとんど理解できなかった。淑女の面から一転し、表情豊かに語る彼女の顔は、目が吸い寄せられるような魅力を放っていた。
「な、なによあなた……」
「ふふん。なによもなにもあるもんか。私はクリスティーナ・ノワール。天才だ!」
胸を張って名乗った彼女に貴族令嬢の常識は見当たらなかったが、それでも先ほどより圧倒的に魅力的だった。
「よしっ、サファニア。今日からお前は私のライバルだ! 天才のライバルだぞっ。光栄に思え!」
「……自分勝手ね。わたし末っ子だから分かるけど、あなた、弟か妹がいたら嫌われるわよ」
「な、なな!? そ、そんなことないし! 私は妹とは超仲良しだから!」
あ、弱点を見つけた。
わかりやすくうろたえたクリスの、あっさり勝てそうな部分を見つけて、ほっとできた。
だって、クリスがすごいやつだということを、実際のところサファニアはわかっていたのだ。
クリスは、いつだって上からサファニアをあやすようにして相手をしてくれていた。
サファニアのことを認めつつも、純粋な対等ではありえなかった。
社交性は言うに及ばず、読んだ蔵書の数と質、ボードゲームの腕前、また挨拶のように飛び交う口論の数々。その中で、サファニアがクリスに優ったものは一つとしてなかった。サファニアが持っていたクリスへの優位は『妹』という立場と弱点だけで、他はなにひとつ勝てる要素はなかった。
本当は不安だった。
そんな自分の様を薄々自覚していたサファニアは、クリスが言ってくれているように、ちゃんとクリスのライバルで入れるのかどうか、いつかクリスから見放されてしまうのではないか、呆れられてしまうのではないか、不安だった。
決して表に出さない不安はトゲになってサファニアの口から飛び出し、ツンケンした口調でクリスにぶつかった。そんなサファニアの甘えにも似た不安を、クリスは残らず全部受け止めていた。そうしてクリスとサファニアは遠慮なく言葉を交わしていた。
つい、この間までは。
「大丈夫か、サファニア」
「……っ」
追い出されるように部屋から出たあと、教会の人気のない廊下で膝を抱えて顔をうずくめていたサファニアは、聞こえた声にびくりと肩を震わせた。
「な、によ、レオン……」
「あー……あんまりミシュリーの言ったこと、気にすんなよ」
「気にしてなんかっ、ぃっく……ない、わよ……」
「うん。そうだな」
嗚咽交じりのあからさまな強がりを受け入れて、レオンがサファニアの隣に腰かけた。
なにもせずなにも言わずにそこにいてくれる。それがどれだけありがたい事か。そう思い、同時にそれに甘えている自分に嫌気がさす。
クリスに置いていかれたら今度はレオンに甘えるのか。
「……っ」
許し難い自分のよわさに気がついて、意地で無理やり涙を止めたサファニアは、ゆっくりと涙を掌で拭った。
「ん。もう大丈夫か?」
「大丈夫よ。私は、負けないわ……」
置いて行かれたのが、悔しかった。
相談すらされず、一言もなく、振り返ることすらされなかったことが、情けなかった。
相手が立ち止まってくれていたことに甘えて、なにもしなかった自分の怠惰が、どうしようもなく許せなかった。
だから、サファニアは立ち上がる。
「そうよ。負けてたまるもんですか。あの性悪の妹に、バカにされたままなんて絶対にごめんよ。私は、サファニア・カリブラコアよ。クリスのオマケじゃないわ。私は、私よ……!」
「うん。そうだな。そうだよな」
「そうよ。だから、レオン」
サファニアには、自分が天才だと自称できるほどの自尊心はない。だからこそ、自分一人で足りないのならば、他の全てを頼ってやる。嫌いだった姉達の力だって頼って引き出す。そうすれば、クリス一人分くらいには届くはずだ。
涙の跡をかき消して自分一人で立ち上がったサファニアは、ごうっと怒りを猛らせる。
「私は、あのバカを、見返してやるっ。あの腹黒妹なんて置き去りにして、クリスが絶対に私のことを無視できないように前に立ちふさがってやるわ……!」
「そうだよな、お嬢様」
立ち上がったサファニアを見上げて、レオンは破顔した。
自分の弱さを認めて、それでもなお自立を決意した心強い友人に並ぶため、レオンもまた立ち上がる。
「うしっ。それさ、俺にも手伝わせてくれよ」
「当然よ。無理やりでも引っ張ってやるわ」
立ち上がったレオンと対等に目を合わせたサファニアは、くるりと踵を返す。
自立をしたサファニアだけれども、それでもやっぱり一人は心細く、側に誰かがいることは心強かった。
それは一人で歩いて行ったクリスにはない部分で、決して弱さにはなり得ない強みだ。
自分勝手に突き進んだ友人の肩を掴んで驚かせるために歩き始めた二人の協調。クリスの知る運命には登場すらしなかった彼女の歩調が呼ぶ波乱がどうなるか。
「行くわよ、レオン」
「了解、サファニア」
それを知る者は、この世界に一人として存在しなかった。
第三勢力サファレオ。これからの成長に期待です。




