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パーティーも半ばになって、挨拶回りも終わりになって来た。
基本的にお父様の知り合いを中心に挨拶を繰り返していたが、私の顔見せも兼ねた相手も尽きて来た。そもそも今回の舞踏会は私のような年頃の子供の顔見せより、十四を超えて紳士淑女の仲間入りを果たした社交界デビューが主だ。そもそも私にしてもお父様にしても、そんなにやることはない。
だいたい十四歳になるとそこから四年生の王立学園に入学するかそのまま社交界にデビューするかの二択だ。男子は学園に通い女子は社交界にデビューする比率が高いが、前世の知識『迷宮ディスティニー』では私もミシュリーも学園に通っていた。
まあ、そんな未来の話はどうでもいい。天才の私は学園に首席で入学して首席で卒業することになるだろうが、大事なのは今だ。
今の私の状態を言い表すには一言で済む。
疲れた。
当然と言えば当然である。完璧な淑女であるための振る舞いをこなし続けるのは重労働だ。ましてや私はまだ七歳。肉体的疲労を不屈の精神力でつくろってきたが、それにも限度がある。
よし、と決意した。
抜けだそう。
大人たちへの挨拶回りはもうすんだ。この会場での私の役目は終わったようなものだ。抜け出しても何ら問題ない。人目のつかないところでお嬢様の皮を脱ぎ捨てて羽を伸ばそう。誰にも見られなければ何の問題もないのだ。
ひと時の休息を得るために、私はざっと周りの状況を確認する。
今夜の主役たる社交界デビューを果たした若き紳士淑女のみなさまは同年代で固まっている集団が多い。私と同年代の子供達はとみれば、放置するのはさすがに不安なのだろう。同じ年頃の子供でまとめられることもなく、それぞれの親元についている。私の傍にお父様がいるのと同じだ。
状況を把握したのならば、次は計画の構築に思考を移す。
この中で子供が一人うろちょろしていれば目立つだろうが、名目が舞踏会だから今も音楽が流れダンスをしている人間も多い。理由をつけて会場を抜け出せば、公爵家の一子とはいえ私のような子供が注目されるような状況でもないはずだ。あとは適当に庭かどこか、人目のないとこに行けばよい。
となれば残す問題はただ一つ。
「お父様」
我が保護者、お父様だ。
自分で言うのもなんだが、私の習性を熟知しているお父様が私を自由にしてくれるとも思えない。さっきまでの反応を見ればわかるが、お父様の私に対する評価は不当に低い。なんか信用されてない感じがひしひしとする。
だが天才たる私はお父様から離れるごく自然な理由を思いついていた。
「ん? どうした、クリスティーナ」
「わたくし、ちょっとお花を摘みに行ってまいりますわ」
淑女の退室としてこれ以上ないものである。お父様をここに置いて不自然ではなく、加えて追求しにくい理由の提示としては完璧だ。
「クリスティーナ」
内心で計画の完璧さにほくそえんでいた私に、お父様が優しく語りかける。
「辺りを探索するのは構わないが、王宮の庭の花はむしらないでおいてくれな?」
「……」
お父様の言いように思わず黙り込む。
愚かにも私の言葉をそのまま取ったととるべきか、察し良く私の行動を見抜いたととるべきか。
お父様の忠言は、天才の私を悩ませる難問でもあった。
外に出るのは予想以上に簡単だった。
ダンスホールから出て、少し道を外れればいい。外に面した廊下に出て人目がいないのを確認すれば庭はすぐそこだ。区分けのための植木もあるが、そこは七歳児の私である。小柄さを生かして間を抜けることができた。
天才の私の計画力と行動力をもってすれば、人気のない王宮の庭に出ることなどたやすい。
そうしてたどり着いた庭園。王宮で奉公できるほど優秀な庭師によって季節ごとに整えられた花園の中、私は思いっきり伸びをして体をほぐしていた。
「う゛ーっ」
はしたない声が漏れるが気にしないことにする。誰かに聞かれなければ私の評価に傷がつくこともない。ばれなきゃ後々マリーワに無作法を聞きとがめられて怒られる恐れもないのだ。
「よいせっと」
人目を気にする必要もないので、私は設置してあるベンチにどさりと座り込む。
「ふぅ」
息を吐いて、空を見上げる。暗い夜空には細かい星々を圧倒するような満月が浮かんでいた。遮る雲もなく光差す月明かりが、うっすらと私の影を作り出す。
しばしぼうっと白銀の満月に見とれて、自分の状態を改めて自覚する。
うむ。やっぱり結構疲れている。
何だかんだで慣れない自分を突き通していたのだ。疲れるなというほうが無理である。朝方にミシュリーから癒し成分と元気の素を補充していなかったら、途中で失態を犯していたかもしれない。
だが、やり遂げた。
私はミスの一つもなく完璧に淑女をやり遂げたのだ。いや、まだ終わっていないが、後はちょっとここで休憩して何事もなかったかのように戻ればすべては滞りなく終了する。
そうすれば残るものは、あの満月のように欠けたるところの一片もない私の評判だ。その名声を聞けば、マリーワだって私をいっぱい褒めざるを得ないだろう。
「ふ、ふふふ」
笑いがこみあげてくるが、誰が聞いてるでもなし。ストレス発散にもいいだろう。高笑いを抑える理由もない。
私はベンチに座ったまま満月に向かって高らかに笑い声をあげる。
「ふっふっふ、ふわぁーっはっはっはっは――」
「何やってるの?」
「――は?」
私お得意の高笑いが、びきっと音を立ててひび割れた。
もしや、今の聞こえただろうか。うむ、間違いなく聞こえただろうな。
一人反語で反芻した私は、ぎぎぎっとさびた音を立てて首を動かし声の主を見る。
庭園の入口にはずっと注意を払っていたから、そこからの入場者ではない。そいつは私が入って来たように植木の隙間を通り抜けて入り込んでいた。
なんてことだ。私以外にそんな真似をする貴族の子弟がいるとは思わなかった。
「……」
「……」
互いに無言で見つめ合って存在を確認する。
声の主は柔らかそうな金髪と青い瞳を持った少年だった。見た感じ、ミシュリーと同い年だろう。私やミシュリーほどではないにしても、将来が楽しみになるような端正な顔立ちをしている。
そんな少年が、分厚い本を小脇に抱えたまま小首を傾げる。
「ていうか、誰?」
「いやお前が誰だ」
あ、しまった。
お嬢様の面の皮がひび割れて剥がれ落ちていた。素を丸出しのまま問いかけてしまった失態に私はもう一度天を仰いでふと気が付く。
欠けたるところなしと思っていた満月は、実は満ちるのに一日足りない待つ宵の月だった。