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きらびやかな舞台がある。
豪勢な食事が用意され、シャンパングラスが惜しみなく配られる。華美な造りと飾りつけをされたダンスホールの中を回遊するのは色鮮やかな流行のドレスと上質な燕尾服にタキシードだ。
社交という界を形成するほんの一つの会場でこれだというのだから侮れない。
初めてみるきらびやかさに、ただの子供だったら圧倒されてしまうだろう。もしくは無邪気にはしたなくはしゃいでしまうかもしれない。
けれども私は天才だ。そこらの子供とは格が違うと知らしめなければならない。きらびやかなこの会場を構成する一要素としての義務をこなし、クリスティーナ・ノワールここにありと存在を示すのだ。
だからこそしとやかに片足を斜め後ろの内側に引き、もう片方の足の膝を軽く曲げ、両手でドレススカートの端をつまんで軽く持ち上げて、一礼。
「お初にお目にかかりますわ。わたくしはノワール家が一子、クリスティーナ・ノワールと申します」
もう幾度となく繰り返し、それでも乱れのない私の完璧なカーテシーに目の前にいる恰幅の良い男性は破顔した。
「これはご丁寧に。私はイスタル家のオーギュスタン・イスタルと申しますぞ」
「イスタル家のオーギュスタン様……まあ! 当家とも長く付き合いがある由緒正しき伯爵家のご当主様でしたの。オーギュスタン様とは学生の時分から付き合いがあると父からもお伺いしておりますわ」
私の歳で決められた定型句をこなすだけならまだしも、よどみなく大人と会話をする子供は珍しい。ましてや名前を聞いただけで自分の家との付き合いを言い当てることができる七歳児など、天才たる私くらいなものだろう。
挨拶だけではなく談笑を切り出した私に、イスタル伯爵も驚きに目を見張った。
「その通りですが……なんとも驚きましたな。可憐と優雅を持ち合わせている上に、そのお歳で一人前以上の知性と教養を感じさせる振る舞い。いやぁ。ノワール公は素晴らしいご息女に恵まれているようでうらやましい限りですなぁ!」
「いえいえ、そのようなことはありませんよ。……いや、本当に。なあ、クリスティーナ」
イスタル伯爵に応えるお父様の笑顔は、なぜかちょっとひきつっていた。どうしてだろうか。完璧な挨拶をやり遂げ話題の提供までしたパーフェクト淑女の私に呼びかけるお父様の目が、雄弁にこう語っていた。
お前は本当にクリスティーナか、と。
ひどいことだ。実の父親にそんな目を向けられるなんて、娘としてとっても傷ついた。しとやかに目を伏せた私は、恥じるようにしてお父様の謙遜に便乗する。
「はい。わたくしなどまだまだ勉強を始めたばかりの身。礼儀作法もきちんとこなせているのか、不安でたまりませんわ。……オーギュスタン様の目から見てわたくし、どうですか?」
「クリスティーナお嬢様以上の淑女など大人も含めてそうは見当たりませんぞ! ここにいるお父上はなかなか娘さんのお披露目されないのを『お転婆が治らない』などと言い訳しておりましたが、いやはや。謙遜もすぎると嫌味になりますぞ、ノワール公!」
「ははは……」
ほほう。
力なく笑うお父様が過去に広めた評価を聞いて、私はお嬢様スマイルをさらに深くする。
「いえ、オーギュスタン様。お父様の言うことに間違いはございませんわ。やっぱりこうした公の場と屋敷では違いもありますもの。恥ずかしながらわたくし、屋敷にいるときは少しばかりはしゃいでしまいますので……」
お父様が『少し?』とでも言いたげな目をしたが、笑顔のまま黙殺する。
「いえいえ。それを聞いてむしろ安心しましたぞ。大人の優雅さを身に着け、子供らしい一面もある。使い分けができるということは、もう分別が身についているということですからね」
「まあ! やめてくださいませ。そんなに褒められたら、わたくし舞い上がってしまいますわ」
「ははは! 謙虚さも身に着けているとは、まったく素晴らしいお嬢様ですね。今後ともよろしくお願いしますぞ」
「ええ、ぜひとも」
軽く手を取り合って、互いの友好を示す。そうして優美な笑顔のままでイスタル伯爵を見送った。
ふむ。我ながら完璧だ。イスタル伯爵は間違いなくクリスティーナ・ノワールの名を稀にみるほど完成したお嬢様としてその脳に刻み込んだだろう。これならば私が社交界に淑女として知れ渡る日も遠くない。つまりマリーワにほえ面をかかせられる日も近いということだ。
ふふふと笑いの衝動が沸き起こってきたが、さすがにこの場で高笑いをしたらいろいろと台無しだ。飲み下して消化して、表に出さないように抑える。
「なあ、クリスティーナ」
イスタル伯爵も立ち去り、続いての挨拶に来るものもいない小休止の時間。周囲で談笑する参加者にまぎれる程度の声量でお父様がこっそり話しかけてきた。
何だろうか。お嬢様の面の皮を装備した私は、ちらりと目線を上げて反応する。
「お前はクリスティーナだよな」
このお父様、とうとう声に出して聞いてきた。
お父様が広めてくれた過去の評価といい、心外にもほどがある。私は天才であり、やればできる子だ。何よりどこに出しても恥ずかしくない貴族のお嬢様である。それをけなすような言動は身内だろうと許せない。
少しばかり懲らしめてくれようではないか。
実の娘に対するあんまりな疑いにとてもとても傷ついた私は、お父様の不安をあおるため口元を抑えておほほと笑う。
「あら、気が付きませんでしたの? わたくしはクリスティーナではありませんわ。この世で一番かわいらしい天使ミシュリーに引き寄せられた妖精。下界に降臨した大天使ミシュリーとともにありたいがため、あなたの実子クリスティーナとこっそり入れ替わったチェンジリングですわ」
妖精のごとく可憐に微笑んで脅してみたら、お父様はほっと息を吐いた。
「ああ、良かった。間違いなくクリスティーナだな、うん」
「なぜバレたし」
誰もが納得する完璧な理由づけで固められたウソを見抜かれた私は、周りには見えないように口元を抑えたままこっそり唇を尖らせた。