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エンド殿下が私を呼び出した一件は、私とシャルルを引き合わせて仲直りの場を作ったという美談だと曲解されていた。
噂によると、弟想いのお世継ぎ様は、お優しいことに弟が婚約者とすれ違っていることに心を痛め、その仲の修復に自らの骨を折って当たったらしい。その結果として、公爵令嬢クリスティーナ・ノワールと第三王子シャルル・エドワルドは元通り良好な仲を築くこととなったというのだ。
解せぬ。
真実が結果のみで、過程が全て脚色されている風聞だ。というか、なぜあのバカの評価が上がるのか。理屈は分かっても感情が承服しない。いや、たぶんイグサ子爵辺りがあえて都合の良い風に印象操作をしたのは間違いないだろう。あのエンド殿下の醜態を美談までに昇華してみせる手際と気づかいは臣下の鑑であるし、下世話な噂を立てられるのに比べれば私だって安心できる。
だが、それでもあのアホの評価が上がるのがどうしてもすんなりと納得できない。
きっとマリーワなら、そんなものはさっさと呑み込んでしまいなさいとしかりつけてくるだろう。自分に都合がよいならなおさらだ。
そんな世の不条理にうなりつつも消化している最中に、自室のドアが勢いよく開かれた。
「お姉さま! いる!?」
「ミシュリー?」
元気いっぱいな掛け声とともに飛び込んできたミシュリーに少し驚く。
お父様ならともかく私の部屋へのミシュリーの来訪は当然ながらフリーパスだが、ノックもなしに飛び込んでくるのはさすがに珍しい。
「どうした? いるけど、何の用だ?」
昔はそれこそ行動を逐一把握していたが、妹離れをすませた今では私が把握していないミシュリーも多い。突然の来訪の理由を聞くと、ミシュリーがぱあっと顔を輝かせて手に持っていたものを差し出した。
「あのね、手袋ができたの! それをプレゼントしたくて……あ、ごめんなさい。ノック、忘れちゃった」
「おお、そっか。なら気にしなくていいよ。そもそもミシュリーはいつだって大歓迎だからな」
一刻も早く知らせたくて気が急いていたのだろう。証拠とばかりに手袋を掲げてから、一拍遅れて自分の無作法に慌てるミシュリーに顔がほころぶ。
ミシュリーはここしばらく、刺繍に熱中していたのだ。前々からメイドにちょこちょこと習っていたらしいが、本格的に始めたのはついこの間のことである。正確に言えば、私がシャルルと仲直りした日の夜からだ。ミシュリーにその日のシャルルとのことを話した瞬間、何故か唐突にインスピレーションが落ちて来たらしい。以来ここ数日、鬼気迫る勢いで刺繍に情熱を注いでいた。
ちなみに私は、刺繍はあまり趣味ではない。ちくちくちくちく細かい作業を延々と続けるのに根本的に向いていないのだろう。基本の技術だけ習得して、後は放置してある。
自分の手が及んでない分野ということもあって、ミシュリーの成果は素直に嬉しい。
「それしても、よく頑張ったな! 大変だっただろ?」
「うんっ、頑張った!」
自分の成果を誇るのは当然だし、努力を実らせた妹を褒めない姉に存在意義などない。
いくら妹離れをしたからって、私は正真正銘ミシュリーのお姉ちゃんだ。だから褒める。マリーワみたいに厳しくなんてするわけない。私は鬼ではなくお姉ちゃんなのだ。
「ふふ。ミシュリーはやっぱり私の妹だな。ちゃんと頑張って、ちゃんと成果を出せるんだからな」
「えへへ。私、お姉さまの妹だもん!」
ちゃんと分別を付けて抱きしめて褒めるのは控えているが、それでも私の手放しの言葉にミシュリーは嬉しそうに微笑んでくれた。
「ね、お姉さま。これ、着けてくれる?」
「もっちろん!」
「やった! じゃあ、手を貸して?」
「うんっ」
妹のかわいいおねだりを断る理由もなく快諾して手を差し出す。
ミシュリーはなぜかごくごく自然な仕草でそっと私の手の甲を撫でるようにぬぐった後に、上機嫌に手袋をはめてくれる。さすがに手袋自体はメイドが作ったのだろう。するりとした絹の感触の手袋は、何の問題もなくぴったり装着できた。
まだ未熟なミシュリーではそこまで複雑な刺繍はできなかったようだ。白い手袋の手首の部分にクロスステッチが施され、人差し指の爪さき部分に赤い糸でちょっといびつなハートが縫ってある。
かわいい。
特に爪先の刺繍は秀逸だ。愛が伝わってくる。不出来さも含めてかわいらしいそれに、にへらっと頬を緩ませてから、ふと手の甲にも刺繍がしてあるのに気が付いた。
「ミシュリー。これ、何の模様だ?」
シルクの手袋にシルクの白い糸で縫ってあったため、とっさには気が付けなかった。
見覚えのない模様である。他のデザインと打って変わって幾何学的な図形に見えるが、さて。こんな記号的な模様は、ミシュリーの趣味とも思えない。
私の質問に、ミシュリーはにっこり笑顔になって
「のろ――おまじないだよ!」
「そっか。おまじないかぁ!」
純粋で元気よく弾んだ声に、私のテンションも上昇する。
おまじない。なるほど。ミシュリーくらいの女の子が好むものだ。なるほどなるほど納得し、ミシュリーの心を反映したかのように真っ白なおまじないを指でなぞる。
「ちなみにこれ、どんな効果があるんだ?」
「えっとね。しゃる――お姉さまに近づく敵をはねのけるおまじないなんだ。厄除け? みたいな感じだよ」
「ほほう。頼もしい効果だな!」
天才の私を後押ししてくれるのにうってつけの効果だ。どこから聞いてきたおまじないか分からないが、私のためにミシュリーが縫ってくれた刺繍である。その気持ちが嬉しくないはずがない。さすがに社交界に着けていける完成度ではないが、屋敷や親しい知り合いを訪ねる時に身に着けるのは許されるだろう。
それにおまじないの効果を聞く限り、これを着けていればエンド殿下は私の周囲から排除されるはずだ。タイミングよく素晴らしい贈り物でもある。
「ミシュリーは本当に欲しい時に私の欲しいものをくれるな」
「えへへっ」
今度は言葉だけではなく、ふわふわの頭を撫でて褒める。ミシュリーはくすぐったそうに青い目を細めて受け入れてくれた。
「……お姉さまほどじゃ、ないよ」
「ん? どうした?」
「ううん。なんでもない」
小さい呟き声を聞き逃した私の問いに、ミシュリーは首を横に振ってにこりと笑う。
「それより、お姉さま。それ、着けててくれると嬉しいな。お家にいる時とか……特に、知り合いに会いに行く時とか!」
こんなかわいらしい逸品なのだ。
ミシュリーの念押しがなくたって、もちろん見せびらかしてやるつもりの私は大きく笑顔で頷いた。
「ああ、わかった!」
「ありがとう、お姉さま!」
愛も変わらず仲良し姉妹の私たちは、手と手を取り合ってお互いの嬉しさを分け合った。
書籍化が決まりましたー!
これもひとえに読んで評価してくださった皆様がいたからこそです。
ありがとうございます。
詳細というほどの詳細はまだありませんが、詳しくは活動報告の方で。
とりあえず、ダイジェスト及び削除はありません。
まだまだ物語も残っていますので、これからもお付き合いいただけましたら何よりです。




