62
良識ある大人が、王族の子供が貴族の子女に決闘もどきを仕掛けたと知ったらどうするだろうか。
答える必要のないほど当たり前といえば当たり前のことだが、止める。そして、叱る。
王宮に来てからエンド殿下の頭のネジが終了のお知らせを告げ続けていたためうっかりしていたが、それが常識なのだ。王宮でもその常識はちゃんと作動していたようで、殿下は無事に良識ある大人にとっ捕まることになった。
「エンド殿下も、いまは反省して先ほどの発言は取り消していますので――」
「離せイグサ! 子爵ごときが第一王子である俺の頭を押さえつけていいと思っているのか!?」
イグサ子爵に押さえつけられている殿下の頭は、たぶんもう手遅れだ。せっかく繕おうとしているイグサ子爵の努力が台無しである。生徒が空気の読めないわがままな子供だと教師も大変そうだ。
だが、こんなあからさまな攻め時を見逃せと言うほうが無茶である。
「反省……? 殿下はご納得していない様子ですけれども?」
小首を傾げてわざとらしく疑問符を付ける。淑女は嫌味を言う時もしとやかさを忘れない。今の言葉に顔をこわばらせたイグサ子爵には悪いが、殿下には恨みしかないので遠慮なく責めさせてもらう。
そして、殿下はあっさりと私の挑発に引っかかる。
「当然だ! なぜ俺が反省などしなければいけなむがが!」
「黙っていてっ、ください……!」
色々と耐えきれなくなったイグサ子爵が、とうとう殿下の口を物理的にふさぎ始めた。いっそそのまま鼻もつまんで気絶させてしまえと思うが、さすがにそれはしない。
すればいいのに。
「それで、イグサ子爵」
ちょっと楽しくなった状況に対して沸き上がった少しばかり野蛮な願望はそっと心の宝石箱にしまう。私は淑女だ。殿下の見苦しさに笑い転げて優雅さを忘れてはいけない。
「お見苦しい醜態、申し訳ありませんでした、クリスティーナ様。お詫びを申し上げます」
「ええ。謝罪を受け取りましょう。……あなたも、大変そうですしね」
最後の憐憫だけは本音だ。
私だって貴族の娘として、王家の風聞くらいは把握している。
エンド殿下は信じられないことに、いままで問題らしい問題を起こしたことがないらしい。王家の問題児といえばそれすなわちシャルルのことであり、エンド殿下は多少傲慢な気質であれ、成績優良な後継だと目されていたようだ。
たぶん、エンド殿下の家庭教師は揃いも揃って目が節穴なのだろう。もしくは、王族への教育方針が壊滅的におかしな方向にあるかのどちらかだ。
「私にも、ノワール家の息女としての体面もあれば気位もあります。相手が殿下とはいえ暴言をぶつけられるがままに黙って過ごせと言うのは、少し調子がよろしいのではありませんか?」
「貴様がいつ黙って俺の言葉を受けぐむう!?」
イグサ子爵が自動的にエンド殿下の口をふさいでくれるから、私としてはとても楽だ。私の言い分が一方的に通るこの状況に持ち込めた自分を褒めてやりたい。
「それで、どういたしますか? 私としてはこのまま帰ってお父様にありのままのお話をしてもよろしいのですけれども?」
しないけどな。
脅し文句とは裏腹な言葉を内心で吐き捨てる。
お父様の私に対する信用のなさは異常だ。今日あった出来事を話しても、無根拠に私が悪いと判断して王家に謝罪をしかねない。
とはいえ、そんな事情を知らないイグサ子爵にはちゃんと脅しになったようだ。
「……クリスティーナ様は何をお求めでしょうか」
「そうですわね……」
ついっとアゴに指をやって考える。
さっきの脅しは、軽い脅迫であると同時にここでのことを私の胸の内で収める用意ができているという提案でもある。
しかし、この場を収めるに足る対価と言われればなかなか難しい。
言葉ばかりの謝罪はいらない。金品も無用だ。殿下への貸しだなんてものはゴミ箱に捨てて燃やしてやりたい。私が求めるものは、そんなくだらないものではないのだ。
もっと直接的にエンド殿下が苦しむものか困るものが欲しい。
「誠意をください」
「わかりました」
だからこそ形のないものを請求してやれば困らせてやれるだろうとおもったのだが、イグサ子爵の返答に間はなかった。
「エンド殿下が今日自分がどれほどのことをしでかしたのか理解できるようにしてみせます。剣術指南役の職務上、陛下からいざという時のために体罰許可をいただいております。私がエンド殿下の教育に関われるのは剣術の間だけですが、それで十分です。紳士というものがどういうものなのか、体に叩き込む準備はできているいのでご安心ください」
イグサ子爵の目がマジだった。
思っていたのと違う返答に、目をぱちくりさせてしまう。
「体罰、ですか」
「ええ。クリスティーナ様には無縁の教育方法でご存じないかもしれませんが、効果のほどは保証いたします」
「そうですか。そういうことでしたら、まあ納得することにいたしますわ。しょせん子供同士のやり取りですもの。ことを大きくするのも、おかしな話ですわね」
最多で一日百回以上のムチ打ちを食らって馬の気持ちを悟ったこともある私だが、そんなそぶりはもちろん見せない。
殿下の日常生活に、体罰という苦行が加わるなら悪くない取引だ。
「クリスティーナ様のご厚意には言葉もありません。元老院の意向が強い帝王学に偏りのあるのは知っていましたが……いえ。これは何の言い訳にもなりませんね」
確かに何の言い訳にもならない。
何の言い訳もできないようなことを殿下はしでかしたのだから私はこれから殿下に追い打ちをかけようと思う。
「イグサ子爵。殿下とお話したいことがありますの。ほんの少しだけ、退出していただいてよろしいかしら」
「しかし……」
エンド殿下を徹底的にへし折るためには、イグサ子爵がいては少々都合が悪い。
私の頼みごとに、イグサ子爵はちらりと殿下に視線をやる。アホ殿下と私を二人きりにしていいものかと逡巡しているそぶりを見せたが、いま優位にいるのは私だ。
「お願いいたします。ね?」
「分かりました。もし殿下がまた粗相をしでかしましたら、すぐ私をお呼びください」
「ええ、頼りにしていますわ」
にっこり笑って押し通してみたら、あっさり折れて退出していった。
扉が閉められ、気配が遠ざかる。
それを確認した私は、唇を三日月形に釣り上げた。
「ふっ」
今まで被っていた淑女の毛皮を脱ぎ去り、心のおもむくままに殿下を嘲る。
気持ちを繕うことなく表にさらけ出せるのは、大層気持ちの良い事だ。私はゆっくりと足を組み、立たされている殿下を見下す。
「さっきぶりだな、殿下。ご機嫌いかがだ?」
「……貴様、さっきまでと同一人物か?」
「もちろん同一人物だ。自分でした約束事ぐらい覚えているだろう、エンド殿下? 私が殿下に敬語を使う必要性は、今後一切失せたんだ」
「……ちっ。勝負は、していないだろう」
「そうだな」
たいそう悔しそうにぎりぎりと歯ぎしりして、契約不履行の正当性を通そうとしている殿下に私はあえて賛同する。ちなみ『殿下』の敬称を抜かないのは形ばかりの敬意を表してのものではない。呼び捨てにして仲が良いと思われたくないからだ。
「なるほどなるほど。確かに殿下の言う通りだ。勝負は、してない。殿下の言う通り、勝負はしてないなぁ」
「なにが言いたい……! 言いたいことがあるならはっきりと言えばいいだろうがっ」
遠回しの嫌味がちゃんと届いたようだ。耐えかねたように語尾を荒げた殿下の催促に、私はにんまり笑う。
「そうだな。別に大したことじゃないんだが……自分で提示した勝負方法も実現できないほど、殿下に発言力がない事が分かったか?」
「あ゛?」
殿下の要請を受けて言いたいことを言ったら、びきりとこめかみに血管が浮き上がっていそうなだみ声が聞こえた。
何を怒ってるんだろうか。私はただ、ありのままの事実を殿下の要望通りはっきり言ってあげたというのに。
「もう一度言おうか、エンド殿下。お前には、自分のしたいことを実行に移せるだけの人望も、権力も、計画力も、その他諸々ひっくるめた人間力全てが足りないと分かったか殿下? 分かったうえで言ってみろ。『勝負は、していない』とな」
「ぐ、ぬ……!」
「『できない』ではなく『していない』と言ったのはなけなしのプライドか? はっ。王になろうとするものができもしない事を敢行しようしては失敗して、やすやすと言葉を翻すなど最低だな! よく考えもできない頭の持ち主の分際が安い言葉を吐くからそうなるんだ! 分かったか!?」
「分かった! 俺が悪かった! そういえば満足なんだろうがこの女狐がぁ!」
「その通りだ! ようやく私が満足いく言葉を吐けたな! 褒めてやるぞ! よくやりましたねぇ、エンド殿下!」
ぶちん、という音が聞こえた。
何の音かと思って見れば、殿下の堪忍袋の緒が切れた音だった。どうやら殿下は怒りの限界点を突破したらしく、無表情になっている。
楽しい。
アホ殿下を完全にやり込めることができてとても楽しい。けれどもまだまだこれからだ。私の気はすんでいない。殿下のプライドが折れて死んで死体になってからもなお言葉で嬲り続けてやる。
そう思っていると、当の殿下が踵を返して扉に手をかけた。
「どこへ行くんだ、エンド殿下」
「トイレだ」
「そうか?」
明らかに催したという様子ではないけど、見逃すことにする。プライドの高い殿下のことだ。逃げ出すということはないだろう。
たぶん私に対抗するための何かを画策しているのだろうが、どうせ殿下が動かせるものに私を脅かすものなど存在しない。それに外にはイグサ子爵が控えている。そうそう変なことはできないだろう。
待ち時間は、そう長いものではなかった。
茶菓子をつまみながら、紅茶の残りを飲み干すまでの間を開けて、再度扉が開かれる。
さて、どんな増援を引き連れて来たのやら。意外に早く戻ってきた殿下の無駄な成果を確認しようと余裕たっぷりに顔を上げて
「え」
頬が、ひきつった。
戻って来た殿下はどうでもいい。恨み骨髄と言わんばかりに私をにらみつけているがまったく怖くもなんともないから心の底からどうでもいい。
問題は、その後ろにいる人物だ。
「……クリス」
私の愛称を呟いたのは、今年十二歳になった殿下より一回り小柄な人物だ。
明確に子供とわかる人影の正体を私が見間違えるはずもない。 第三王子にして私の婚約者。
「やっと、会えた」
シャルルが、そこにいた。




