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サファニアをイジメたからと言って気が晴れるわけではない。
サファニアをイジメたのはサファニアがムカついたからであって、シャルルとのことが原因で湧いて出た憂鬱を解消するためではない。だからサファニアに悲鳴を上げさせようと泣かせようと、胸から湧き上がってくるこのもやもやを晴らす手段にはなりえないのだ。
というか、ここのところサファニアに八つ当たりすることが増えてきているのは良くない傾向だ。もちろん大体は向こうからつっかかってきて私が正当防衛をした結果というのが大半なのだが、それでもあんまりよろしくない。
先日のパーティーで面と向かってシャルルから逃げ出したことによって、事態はますますややこしくなっていくだろう。そうして混迷していくなかでいちいちサファニアに八つ当たりなんてしてられない。根本的な解決を図るためにはシャルルに会いに行くのが一番なのはもちろん分かっているが、とりあえずそれは後回しだ。うん。また今度だ。
シャルルに会いに行くのはまた今度にすることにして、私はミシュリーに謝ることにした。
「お姉さまは気にしなくていいよ?」
パーティーで逃げ出した後始末を押し付けるように任せてしまった妹は、まったく気にしてない様子でそう言った。
「むしろあの時は頼ってくれて嬉しかったよ? わたしでもお姉さまの役に立てるって分かったんだもん。これからもっともっと頼ってよ」
「ミシュリー……!」
にこにこ笑顔で機嫌よくそんなことを言うミシュリーは間違いなく大天使だった。あんまりにもかわいいのでぎゅーっと抱きしめてやろうかと思ったが、ここはぐっとこらえる。あんまりべったりしすぎないと二年前から決めているのだから、スキンシップはふわふわの金髪を撫でるのにとどめておいた。
「情けない姉でごめんな……。ミシュリーはこんなに立派に成長してるっていうのに、私はこの体たらくだ」
「ううん。お姉さまが世界で一番カッコいいってことは、わたしが一番ちゃんと知ってるから大丈夫だよ」
「いや、でも今回は公の場だ。よりにもよって自分の家で主催したパーティーでやらかした。共同主催のカリブラコア家の長女にも迷惑かけたな……」
「あの人は迷惑とか思わない人だから、一番気にしなくていいと思う」
昨日が初対面のはずだが、ミシュリーはしっかりとカリブラコア家長女の性質を見抜いてるらしい。
実際に、あの人自身は特に何とも思っていないだろうがそれでちゃんと謝罪はしないといけないだろう。それが社交というものだ。形ばかりと思われようと、何もしないという最低な対応はしたくない。後日、きちんと訪問して釈明しようと思う。
「それに、あの時の場の雰囲気も悪くなってなかったから大丈夫だと思う。みんなちょっと戸惑ってたけど、それだけ。シャルルも特に気にしてなかったから、お姉さまも気にしなくていいよ」
「……そっか」
集まった年齢層が幼いといえる部類だったから、そう騒ぎにはならなかったようだ。ただ朗報ともいえるミシュリーの言葉に、素直に喜べなかった。
もちろん主催者としての立場を投げ捨てた私が悪かったのだから、あの場で気にしている人間がいなかったというのはいいことだ。私の失点が相手に悪印象を与えていないというのだから、本来ならば喜ぶべきことだろう。
けど、ちょっとは気にしてほしかった。
誰にとは言わないけど、気にしてほしかった。
「……むぅ」
無意識に唇を尖らせていると、不意にミシュリーの青い瞳が私の目を覗き込んできた。
「不満」
あっさり見抜かれた想いに、ぎくりとしてしまう。
こうやって感情を見抜くのは昔からだが、最近は「なんで?」という質問はしなくなった。どうしてその人がそういう感情の変化に見舞われているか察することができるようになったのだろう。今回も私の不満の原因まできちんと理解しているらしいミシュリーは、目をとがらせていた。
「シャルルのことなんて気にしなくてもいいんだよ?」
「いや」
人の感情の変化に鋭く、内面の機微まで読み込んで見せる。その上で抱え込まないほうがいいというフォローまでしてくる妹の成長を感じつつ頭を振った。
「私が悪いんだ。失態を放り出すなんてしたくない」
「お姉さまは悪くないよ。悪いのはぜーんぶシャルル」
やっぱりミシュリーは優しいのだろう。ぷくっと頬を膨らませながら姉である私を無条件でかばってくれる。そうやってぶーたれる妹もかわいく、私はよしよしとミシュリーの頭を撫でた。
このかわいい妹は、どんどん成長してたくましくなっている。もう私に庇護されるだけの妹ではない。むしろ、私がかばわれることがあるくらいに頼もしい存在になっている。
ならば私だって、それに見合うように成長していかなければならないだろう。
そうして姉妹の交流もかねた報告のやり取りをしていると、こんこんと扉が叩かれる音がした。
「あー……来ちゃった」
来訪者が誰かを悟ったのだろう。ノックの音に、ミシュリーは諦めたような顔をして嘆息する。
いま扉の外にいる人物には、さしものミシュリーも苦手意識を持っているらしい。入れ替わりになろうかという魂胆か、そそくさと扉に近づいていく。
「お姉さま、頑張って!」
「おう!」
ぐっと握り拳を作って応援してくれたミシュリーに笑顔で応えるのと同時に、扉が開いた。
「失礼いたします、クリスティーナお嬢様」
開かれた先の空間にいたのは、二人の女性だ。
一人は当家住み込みのメイド。まだ若いがよく仕えてくれている使用人だ。雇用歴も結構な年数になりつつある。そのメイドに先導されたもうひとりが誰かなんて言わずとも知れたことだろう。
「クリスお嬢様。姉妹交流の最中申し訳ありませんが、授業の時間です」
開いた扉の脇に控えたメイドの横を通り抜け、ためらうことなく入室する。
四十にもなってなお曲がる様子を見せない、すっと伸びた背筋。堅苦しい口調に、いささかも揺るがない厳しい目つきに衰えは感じられない。
ノワール家で雇われている家庭教師、マリーワ・トワネットである。
「こ、こんにちは、マリーワさん」
「こんにちは、ミシュリー様」
退出のすれ違いざま、ミシュリーとマリーワは挨拶を交わす。ぺこりとお辞儀をした後も視線をそらしてうつむきがちに通り過ぎたのは、人の目をはっきり見据えるミシュリーらしくない。どうもミシュリーはマリーワのことを怖がっている節がある。
まあ、マリーワのことを怖がるのは分からないでもない。
「さて。聞きましたよ、クリスお嬢様」
ミシュリーが退出し、メイドが扉を閉めたのを確認してマリーワが口を開く。
開口一番から、ぞっと凍えるような声を出したマリーワに、ほらと思う。
実際、マリーワは怖いのだ。
「な、なんの話だ」
「ご自分で主催したパーティーを放り出したらしいですね。しかも、後始末をミシュリー様に任せたとか」
とぼけて見せて無駄だった。簡潔にまとめられた誤りのない情報に逃げ場をなくされる。舌打ちをしたい衝動に駆られたが、それをしたら余計に怒られる。
「どこで聞いたんだよ……」
「どこでもよろしいでしょう」
本当にどこから情報を仕入れてくるのか。あまりに耳の早いマリーワに毒づくが気にされた様子もない。淡々と語るマリーワの身にまとっているオーラは静謐でありながら苛烈だ。
感情の分類で簡潔に表すなら、あからさまなまでの怒り。
「淑女としての自覚が生まれたと思っていましたが、どうやら勘違いだったようですね。今日は今一度、礼儀作法のおさらいからし直しましょうか」
今日はまた、一段と厳しい授業になりそうだった。




