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楽しい。
音楽に足の動きを合わせる。一人と一人が手をつないで、動きを合わせて一心同体になる。
照明は、満ち足りていても薄暗い満月の光のみ。月光でうっすらと影が差すなかで、ダンスホールからかすかに漏れる音楽に合わせてシャルルと踊る。
観客もいない。壮麗な飾りつけもない。華美を好み、称賛を好み、権威を好み、喧噪と集団の中で頭一つ秀でて自らの優秀さを示すことを好むのが私、クリスティーナ・ノワール公爵令嬢だ。なのに衆目もなく、舞台も整っていないこの踊り場でシャルルと手を取り合うのがなぜこんなにも楽しいのだろうか。どうしてこんなに心が満たされるような気持ちになるのだろうか。
なんとなく、理由は分かっている。
「なあシャルル」
「なに、クリス」
「楽しいな」
「うん、楽しい」
弾むように頷いたシャルルは上機嫌で踊っている。きっとシャルルの中にある楽しさは私と同等のものだろう。それを言葉で確認して、心がまた一つ満足する。どんどん満たされていくくせにだんだん軽くなっていく浮き立った心持ちのまま、私とシャルルはステップを踏み、くるりと体を回してターンをする。
「上手くなったな」
「がんばったから」
私の最愛たるミシュリーによく似た柔らかい金髪が、踊る動きに合わせてふわりと持ち上がる。まだ拙くとも一生懸命にリードしようとするシャルルの手をほほえましく思う。
シャルルもこの二年間でちゃんと踊りの足さばきを覚えたようだ。初めて踊った時とは雲泥の差。あの時はまだ踊ったこともないシャルルを私がリードして、それでも全然うまくいかずに二人して派手に転んだ。
大切な思い出だ。
いち、に、さん、とテンポを合わせてリズムに乗る。天才の私と違い、実践経験が乏しいシャルルの踊りはまだまだ拙い。何事にも先んじるのが好きな私だが、ダンスで先導するのは男側の役目でそれを支えるのが淑女の役目である。シャルルを支えるようにして踊ることに専念している。
悪くない。
いつだって誰にだって優位に立ちたい私だけれども、こうしてシャルルに手を引かれてリードしてもらえるのは――やっぱり、悪くない。
「なんでだろうな」
「なにが?」
「ん? んー……なんでもない」
「なにそれ」
はぐらかすと、昼の空によく似た青い目がちょっと不満そうになる。隠し事をされるのが嫌いなのだろう。でも、そんなシャルルの表情も嫌いじゃないから教えてやらない。
「秘密だ」
「……む。クリスは時々いじわるだよね」
「ふふん。からかうのは年上の特権だ」
貴族らしくなく感情のまま変わる表情が楽しく、またひとつ満たされる。
たぶん、とさっきの自問に予想をつける。
たぶん、いま私が楽しいのは相手がシャルルだからだ。目立つの大好きで、称賛されるのを好む私だけれども、今からダンスホールに戻ってどこぞの馬の骨と踊って私の天才ぶりを発揮させて周囲をあっと言わせても、相手がシャルルじゃないと私の心はこんなに浮き立たないだろう。
「シャルル。私のことが好きか?」
「好きだよ?」
素直な言葉とともに注ぎ込まれた想いに、また一つ私の心が満たされる。
「そっか」
「そうだよ」
会ってから、二年間。成長しても変わらないシャルルの言葉が嬉しい。
「私も」
「クリスも?」
「私もさ」
満たされて、いっぱいになって、心が少しずつ零れ落ちていく。
結構、でもない。
割と、でもない。
私は、シャルルのことが
「好きだぞ」
二文字の感情を四文字にして答えてから、シャルルに会って今日まで胸でつっかえていたものが二年かけてようやく胃に落ちた。
そっか。
言葉に出してから、改めて自覚する。
私、シャルルのことが好きなのか。
感性に自由で、心に素直なシャルルが好きなんだ。
自覚すれば簡単なことで、私はシャルルのことが好きだから一緒にいて楽しいのだ。会ってからの二年間。もともと面白いやつだという感情は、近くでシャルルと成長していくうちに育っていって一つ上の領域まで仕上がったのだろう。
「ほんと?」
「ほんとだ」
「ウソじゃない?」
「ウソなわけない」
「そっか」
「そうだ」
驚きがほころんで、警戒がゆるんで、喜びがとろけたような笑顔になったシャルルの顔を見て、もう一度確信する。
「私は、お前のことが好きだ」
甘いお父様とは違う。厳しいマリーワとも違う。この世の天使のミシュリーともまた違う。その三人に向ける好きとは違うベクトルの好きが、心の中でシャルルにぴたりと狙いを定めた。腑に落ちるとはこういうことかと、すとんと落ちて来た感情が胃の腑で溶けて徐々に全身に染みていく。
「それって、友達の好きとちがうよねっ」
「違う」
「家族の好きともちがうよね!」
「違うぞっ」
「そっか! 両思いだね!」
「そうだ! 両想いだな!」
歓喜するシャルルの言葉に、なんだか私のテンションも上がってくる。自然とダンスの動きも心に合わせて大きく動く。
そうかそうか。やっぱり私はシャルルが好きなのか。友愛でもなく、親愛でもないけれども、この気持ちは好きとしか言い表せない。その気持ちが血流を使って感情は全身に運ばれる。いまさっき自覚して、シャルルと一緒に確認するたびに心が確かになっていく。天才らしく自分の気持ちの変化を受け入れて、飲み込もうとして、でもふと違和感に気が付く。
「あれ?」
「どうしたの?」
「へっ? い、いや、その……」
さっき呑み込んで、胃で溶けて、心臓が運んでいる気持ちがぐるぐる回るようにして変化していき止まる気配がない。ダンスの最中、乱れた私の足さばきを無邪気に笑ったシャルルが問いかけてきた。その笑顔はいつになく輝いていて、長年の願い事が叶ったかのように嬉しそうだ。
しかし自覚と理解を完了させ、革命したみたいに劇的に変貌して渦巻く心に応えられる余裕はない。なんだこれ、という戸惑いも束の間で、体中に広がった感情はそんな揺らぎすら瞬く間に巻き込んで塗りつぶしていた。気づいて自覚したら最後、不可逆な感情の変化はあっという間に完了する。
シャルルが好き。
その想いが頭のてっぺんからつま先まで体に染み込んだ瞬間、私の中でいままで存在しなかった新しい心が胸の真ん中に置かれる。
恋。
が生まれた。
「あ」
ぽんっと小さな思いが膨らむ音がして、ぼんっと爆発するみたいに顔が朱色に染まった。
その頃のノワール邸
ミシュリー「……っ!」
メイド「ミシュリーお嬢様? どうかされましたか?」
ミシュリー「ラブコメの……ラブコメの波動を感じるっ!!」
メイド「は?」
ミシュリー「シャルルだ……ぜったいにシャルルだ……! お姉さまが帰って来たら聞き出して――」
メイド(……言動の突拍子のなさがクリスティーナお嬢様に似てき――いえ、それ以上に重傷な気がする。どうしよう……)




