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ヒロインな妹、悪役令嬢な私  作者: 佐藤真登
九歳編

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 楽しい時間はどうしてか巻き取られていくように手の内からほどけて行ってしまう。

 過ぎ去った今日の時間の残り香は、とても名残惜しく感じるものだ。きっと私たちがいなくなった後も祭りは続いて行くのだろうけれども、今日の些細な冒険はもうおしまいだ。今日一日案内してくれたレオンとも別れた。レオンとの別れ際「貴族も嫌なやつばっかりじゃないんだな」とか言っていたから、あいつのにも実りのある一日だったのだろう。

 今は帰宅の一路だ。

 カリブラコア家が出してくれた送迎用の馬車に、私とミシュリーとマリーワが乗っていた。サファニアは先に屋敷に戻っている。歩き回ったり泣いたり熱中したり、慣れないことの連続で疲れ切っていたから今頃部屋で寝ているのかもしれない。

 そうしてサファニアを送り届けた後、我がノワール家に送迎されているのだ。

 ミシュリーは私の膝の上で眠っている。馬車に乗る前までは元気があったのだけれども、それまで思いっきりはしゃいだ反動だろう。今は私の胸に縋り付くような甘える体勢で寝息を立てている。

 四方を囲まれた空間は祭の空気とは隔絶されていて、からからと回る車輪の音が何だか物寂しい。

 そんな空間で意識のあるのはマリーワと私の二人。対面で座っていた。


「それで、どうでしたか?」

「大満足だ」


 今日の成果を問われて、満面の笑みで応える。

 今日は一日楽しかった。一番はシャルルと行き会わせた時の喜びだけれども、他にもいろいろと面白いことに満ちた一日だったのだ。サファニアを連れまわせたのも良かったし、偶然とはいえレオンと会って案内してもらえたのも幸運だった。ミシュリーと手をつないで回ったものすべてが初めてで、刺激的で、私たちの世界を押し広げるには十分だった。


「いろいろあったけど、今日は妹離れ計画をちゃんと実行できたのが良かったな」


 今日一日で、屋敷の中だけだったミシュリーの世界は広がったはずだ。

 今回で拡張できた世界はほんの少しなのかもしれない。私の膝に乗って眠っているあたり、まだまだ私に甘えたがっているのか分かっている。それを喜んで許してしまう私も、妹離れを仕切れていないのだろう。

 でも、いいのだ。

 ゆっくりと、姉妹の二人で仲良く最適な距離を探っていけばいい。寄りかかるような関係ではなくて、お互いがお互いのためになる場所を見つけるのだ。


「妹離れ計画、ですか」


 私の言葉をマリーワがオウム返しにする。それを見て、私はむむと唇を尖らせる。

 どうせバカにする気だろう。シャルルですら無理だと無根拠に断じてくれた計画名だ。

 大成功に終わったこの計画をバカにする言葉を発したら盛大に拗ねてやろう。そう思っていたが、マリーワが続けた言葉は意外なものだった。


「それを行おうというのは感心ですね。クリスお嬢様とミシュリー様は、幼いとはいえ近すぎました。特にミシュリー様は危うい傾向にありましたけれども、クリスお嬢様も盲目になりがちでしたからね」

「……え?」


 一拍遅れでマリーワの言っている意味を理解して、ゆっくりと目を見開く。

 もしかして、私は今、マリーワに褒められているのだろうか。


「生まれた時から両親がいないも同然のミシュリー様と、ほんの幼い頃に片親を亡くしたクリスお嬢様。欠けたところが似ていた分、二人だけでそれを埋めようとしてしまったのでしょうね」

「…………」


 遠回りなマリーワの言葉を聞いて、私はなんでか昔のことを思い出していた。

 直接今のマリーワの話とは関係のない事だ。妹離れ計画ともかけ離れたことで、単純に私の思い出として奥底に大切にとってある天才の私の原初。一歳の頃に歩き始めた時の記憶だ。

 そこに、決して忘れられない一声があった。


 ――すごい! もう歩けるなんて、クリスティーナは天才ね!


 初めて歩いた私を目にしたお母様が発した至言だ。

 この世界で私が天才だと始めて気が付いて、惜しみない賞賛を私に与えてくれたその言葉。まっすぐに褒められて嬉しかったのだけは、よく覚えている。無邪気ともいえるくらい手放しに褒めてくれたのが嬉しくて、お母様が喜んでくれたのが嬉しくて、褒めてくれたお母様のところへ歩いて行こうとして途中ですっ転んだんというオチもちゃんと記憶にある。

 そんなお母様も二歳になる前にいなくなって、私を世話してくれていた乳母は手ひどい裏切り行為の報いを受けた。

 一番身近にいた二人が立て続けにいなくなって、天才の私ががむしゃらに何かを学んで進歩しようとし始めたのはその頃からだったのだと思う。


「寄りかかるような依存になりかけていた平穏。それを崩して健全な状態にもどろうというのは、なかなかできることではありません。ましてや本人が自発的に、となるとなおさらです」

「………………うん」


 頑張った。私は天才だったけれども、それでも頑張った。頑張っていたのは今日の妹離れだけではない。いつだって頑張って、努力して、継続して、三歳になるまでに言葉を自由に操り、五歳になるころには書斎の本を読み尽くしていた。私は天才なんだから、できて当たり前だった。こなして当然だった。

 次は何をしよう。何をすればいいんだろう。何をこなせば、私はもう一度――と、そこまで考えて初めて気が付いた。

 お母様は、もういないのだ。

 私を褒めてくれた最愛のあの人は、もういなくなっていたのだ。

 私が何をやったって、もう褒めてもらえることはないのだ。

 すべてが既知になった書斎で初めてそんな当たり前のことに気が付いて、ちょうどその頃にミシュリーが家に来るというのをお父様から知らされた。ミシュリーのことを妾の子だと勘違いした最初はいなくなったお母様をバカにしているのかと怒り心頭だったけれども、ミシュリーを始めて目にした時そんな思いは吹き飛んだ。

 ガラスのように透明な目は綺麗で美しく、でもあまりにも純度の高い瞳の色は私の心よりずっと危ういところにあるのが感じられた。

 だから私は、全力で褒めた。

 心の底から思っていることを、初対面のミシュリーにぶつけた。かわいいと、こんな妹が来てくれて嬉しいと、突如として襲い掛かるようにしてきた前世の知識は目の前の妹を褒めるためによみがえったのだと思い、それも総動員してミシュリーを褒め立てた。

 私がしてもらって一番うれしかったものをミシュリーに与えると、ミシュリーの瞳はわずかに戸惑い揺れて、少しして喜びの色が混ざった。かすかに喜んでくれたその反応がたまらなく嬉しかった。私にも与えられるんだということを知って、それから私の努力の方向性は徐々にミシュリーへと傾いて行った。私とミシュリーは、言葉にしなくても求めているものが似ていることを知っていた。私たちはお互いを埋め合うようにして足りなかったものを満たしてきたのだ。

 でも、たぶんそれも今日で終わりになる。


「クリスお嬢様。あなたは努力しました。少しくらい報われても良いでしょう。……なにかしてほしいことはありますか?」


 今のマリーワだったら、彼女に叶えられることならなんでも叶えてくれる気がした。

 でも、命令するのは違う気がする。いつも使用人にそうしているように、今日レオンにそうしていたように、命令して求めるのは違う気がする。私は偉いし天才だから上の立場にいるのは間違いないけれども、私がしてほしいのはそういう言い方では叶えられないことだと思うのだ。


「なら、マリーワ」


 命令ではなく、相手にしてほしいことを伝える言葉。膝の上にいるミシュリーをゆっくりと撫でて、生まれて初めて歩き始めた時にもっとも近い状態になった私は、まっすぐマリーワを見つめる。


「ほめて」


 私は、褒められて伸びる子だ。

 だから、この人に褒めて欲しかった。

 母親でもなければ、自分の成長を見守ってくれたお父様でもない。仕えてくれた使用人でもなく、対等な友人でもないこの人。ただ厳しいばかりで、だいたいが冷たくて、教育で迷わず体罰を選ぶような人だ。

 でも、信頼という意味では揺るぎないこの人に褒めて欲しかった。

 さっきみたいに迂遠な褒め方ではなくて、もっと単純に、頭を撫でてよくやったと言って欲しかった。


「クリスお嬢様」


 走行中の馬車の中だというのに、マリーワは腰を浮かして立ち上げる。ゆっくりと伸びた両腕が私の頭を抱き寄せた。

 予想以上の厚意に、あ、と吐息が零れたけれども、抵抗なんてもちろんする気にならなかった。


「よく頑張りました」


 不器用に抱きしめられて、慣れていない手つきで頭を撫でる感触。そうして耳元まで近づいた距離からかけられる褒め言葉に至るまで。


「いままで、よく頑張ってきましたね」

「………………うんっ、頑張ったぞ!」


 それは気のせいでも勘違いでもなく、涙が出てくるくらい温かかった。


あくまでプライベートで教育中じゃないから褒めてあげたミス・トワネット。


褒めてあげたかったけど褒められなかったマリーワと、褒められたかったけど褒められることがなかったクリスティーナの、不器用な二人のお話

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