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世の中、結果だけで語るのは愚かしいことだ思う。
結果とはすべてを表現しているようで、実は物事の一要素でしかない。ほんとうに大切なことは勝ちか負けかという二元論では決められない。世の中がそんな二つの極論で回っているはずはなく、世界を回す歯車の動きはその過程こそが大事なのだ。
勝利が正で敗北が負など凡俗の考えだ。実のところ勝者と敗者に差などなく、どちらも等しく当人たちの経験として積まれる値になる。それを知らずに勝った負けたで一喜一憂するなどあまりに短絡的である。
だから別に私は負けても悔しくなんてないし。
「クリスティーナ」
「……なんだ、レオン」
私の名前を呼んだレオンの顔は名状しがたいものだった。悲しんでいるわけはない。怒っているわけでもない。呆然としているというのが一番近い表現だが、それもまた違う。
「なんか俺の小遣いがなくなったんだけど……」
幽鬼のような顔面をしているレオンの言葉に、びくっと肩が震える。
希望も絶望もまとめて洗い流されて、それでも落ちずに残った表情の欠片が顔面にまだこびりついている。そんな顔をされたらさすがに良心が疼くけれども、私にだってちゃんと言い分はあるのだ。
「わ、私のせいじゃないし! だってお前が勝手に賭けただけだもん!」
「はあ!?」
私の強弁を受けたレオンが顔を怒りで染める。
「お前が『小遣い増やしてやる』とか言ったんだろ!? 俺はそれに乗ったんだぞ!」
「違うな! 賭けろと言ったのは最初の一回だけで、以降は命令していない。最初以外はお前が自分勝手に賭けただけだっ。ましてや全額賭けなんてマージンを一切とらないバカの所業を誰がしろって言った!? 私の買い食い分ぐらいは残しておけよアホ!!」
「おまっ、お前そういうこと言うのかよ! あのお金は今日の祭のためにこつこつ溜めてたんだぞ! それが一瞬でパーになったんだぞ!? その時の俺の気持ちが分かるのか!?」
「わかるかそんなもん! だってお前が小遣い失くしたのは私のせいじゃないからな! そこははっきりさせておくに決まってるだろ!」
ぐぎぎと歯噛みをしているが、責任の所在をはっきりさせたからにはもう私は関係ない。
ふんっと腕を組んでそっぽを向いたら、その視線の先にはマリーワがいた。
「……ぁ」
さっきのあまりに一方的な勝負を思い出して顔から血の気が引いた。何の遠慮も容赦もなく、ただ一方的に最速の道筋でつぶされたワンサイドゲームだったのだ。エンターテイメントの欠片もない展開に観客までもがちょっと引いていた。
そんな虐殺劇とも言えることをしたマリーワが、地獄の底につながっているかのような口を開く。
「さて、それでは行きますか」
どこへ、などとは言葉にされない。明言されなくても私にだって分かっていた。
きっとこれから私は地獄に連行されるのだろう。連行人がマリーワの形をしているため、カリブラコア家の使用人も護衛も止めに来ない。マリーワはカリブラコア家長女の家庭教師を勤め上げた事もあるため、身元のしっかりした人物として把握されているのだ。
もうだめだ。お終いだ。暗澹たる未来視に絶望が私の足元まで這いよってきた。
「えっと、マリーワ。どこに行くんだ……?」
「はあ」
もしかしたら何か希望が残っているのかもしれない。そんな万が一に縋り付いた私の問いに、マリーワはひどくめんどくさそうな顔でため息を吐いた。
「買い食いに行きたいのでしょう?」
「へ?」
買い食い?
てっきりこれからお叱りという名の体罰が待っているかと思っていたのに、意外すぎる言葉に停止してしまった。
「どういうことだ、マリーワ?」
あのマリーワが私にムチ以外のものをくれるなんて信じられない。驚愕で目を見開く私に、マリーワはおっくうそうに目を細めた。
「どうもこうもありません。……ああ、そこのあなたも。ここにいる元勝利の女神さまの友達でしょう? そこのお転婆様に巻き込まれたのなら、失くした元金分ぐらいはおごってあげましょう」
「まじで!」
「ええ。ここらのことはあなたのほうが詳しいかもしれませんし、よさそうな屋台があれば言ってください。子供の遊び分を潰してしまうほど大人げないつもりはありませんしね」
「分かった。もともとその予定だし、そんぐらいなんてことないよっ」
現金なもので、レオンはさっきまで怯えをさっぱり打ち消す。金を溶かし切った絶望もあっという間に忘れたようで、簡単に笑顔を取り戻した。
「なんだよ、クリスティーナ。怖い人かと思ったら全然いい人じゃん」
「騙されてる。お前絶対に騙されてるからな……!」
「マリーワさん。クリスティーナがこんなこと言ってるけど?」
「ばっ……!」
単純なやつは幸せでうらやましい。アホのようにチョロいレオンに忠告するが、金に釣られたバカが聞き入れる様子はない。それどころかマリーワが私の急所だとこの短い時間で悟ったらしく、余計なことを言う始末だ。
「はいはい。好きに言わせておきなさい」
「……むう。マリーワ。なんか対応が適当じゃないか?」
調子を崩されてちょっともやもやする。よく見てみれば表情もいつもの鉄面皮とはまた違う。ぴんと伸びた姿勢に淡々とした事務的な印象は変わらないが、全体的に気だるげな雰囲気がある。
「いまは仕事中ではありませんので。今日のことについては後日しっかり対応させていただきます」
私の疑問にあっさりと白状する。そういえば、一度だけ授業を取りやめると言った時のマリーワもこんな感じだったと思い出す。
だが、まだ釈然としない。
「さっきは教育するとか言ってたくせに……」
「子供が賭け事に首を突っ込んでいたら、仕事は抜きにしても良識ある大人として注意ぐらいはします。さ、それじゃあ行きますよ」
「あ、ちょっと待て。サファニアとミシュリーが……」
「あちらはあちらでそれぞれ楽しんでいます。護衛の方がちゃんといるのでしょう? なら少しは離れて平気ですよ」
そう言ってマリーワは私の手を引いて歩き出す。引っ張られるように私は歩き出して、レオンも付いてきた。
「……」
マリーワが私と手をつないだの、もちろんはぐれないようにというだけで他の意図なんてないのだろう。私もこの人ごみの中でサファニアみたいに迷子になるのは嫌だから、しっかりと手を握り返す。
それに深い意図なんて何もない。
でも、なんでだろうか。
「……マリーワ」
「なんですか」
「……ううん。なんでもない」
たぶん気のせいだと思うのだが、私を先導して歩くマリーワの手のひらは何だかとても温かい気がした。




