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正直、いったんサファニアを屋敷に帰しておこうかとも思った。
薄情なのことをいうようだがサファニアに使用人を一人付けて屋敷まで帰ってもらい、もう一人の使用人と護衛を伴ってミシュリーと一緒に遊ぼうかどうか、あれ、それってつまり姉妹二人でお忍びを楽しむということでそれは悪くないんじゃないんだろうかと考えたのだ。
いやだってまさかサファニアが泣いて帰ってくるとは思わなかったし。
ミシュリーは幼い頃から泣くことがほとんどなかったので、泣く子の相手なんて私はこなしたことがない。けれども何事も経験だと言ったのは私だ。外に出たほうがいいと諭したのも私だ。その前言を翻すのもかっこ悪いので、ぐずるサファニアをなだめて露店を回ることにした。
「サファニア。もういい加減泣き止めよ……」
「ぐすっ、泣いてないもん……」
「サファニアさん、大丈夫?」
「……っ。だ、大丈夫よ!」
天才の私ならともかく、さすがに二つ年下のミシュリーにまで心配そうに見上げたら涙を引っ込めざるをえないのだろう。サファニアはあっという間に意地を張って前を歩き始める。
「ほら、さっさと行くわよ!」
相も変わらず意地っ張りなことである。それでもしっかり手はつないでいるあたり、サファニアはちゃんと学習できる奴だ。
とはいえ、ちょっと抜けているところは変わらない。
「……どこ行くのかな」
「さあ?」
目的地もないのに手を引くサファニアに、私とミシュリーは小声でやりとりしてくすくすと笑う。初めて来る場所なんだから、サファニアだってどこに何があるかなんてわかっているはずもない。勢いで歩いてしまっているだけだろう。
まあ最初からどこへ行くものでもないのだから、サファニアに合わせて適当に歩き回ろう。
「食べ歩きってしてみたいんだけどなぁ……」
「お店、ないね」
最初はあまりの人の多さに目がくらんでしまったが、今は多少慣れてじっくり周りを観察する余裕はある。店舗持ちの商家が出すような立派な露店があれば、その間を縫うようにして張られた小さなテントの露店もある。
一見雑多に見える市場の連なりだが、それなりに法則性があるようだ。たぶんこの辺りは生活雑貨やら娯楽品が売っている地区だ。それでも普段目にしたことがない品物が並んでいるはもの珍しい。
とはいえ、買いたくなるほど興味の惹かれるものは今のところ何もない。目的もなくぶらぶら歩いていると、ふとサファニアが足を止めた。
「どうした?」
「あれ……」
立ち止まったサファニアの視線を追ってみると、大きめの天幕が張られている一角があった。
今までの雑貨売りの店舗とは明らかに作りが違う。何をしているのか。意識を向けると、かつんと乾いた音が耳に入った。見て確認する前に、その音でサファニアが立ち止ったわけを察する。
「お姉さま。あれ、何してるの?」
「ボードゲームだな。ああやって駒を動かして取り合いをするゲームだ」
よく私とサファニアが遊んでいる盤上遊戯だ。天幕の下に丸テーブルが並べてあり、それぞれが対局している。簡易の遊技場と言ったところだろう。たぶん、一部のテーブルででは勝敗を賭けての賭博もしている。
「ふーん」
ミシュリーは特に興味がなさそうだ。ルールの知らないゲームを紹介されてもそういう反応が普通だろう。
しかしこの手の遊戯が好きなサファニアは違った。
「………………」
食い入るようにしてその一角を見つめている。その視線はこの市場にきてから一番長く固定されていた。
やれやれ、と何も言わない友人に肩をすくめる。
「サファニア。入ってみるか?」
「……あなたが興味あるなら、一緒に入ってもいいわ」
なんでこいつはこうやって意地を張るんだろう。自分で強情なことをいいながらもそわそわして落ち着かないサファニアの様子に笑みをこぼしてしまう。
「うんうん。すごく興味があるから、ぜひサファニアと一緒にあそこに行きたい。なぁ、ミシュリー」
「うんっ。わたしもあそこ行きたい!」
私の意図をちゃんと察したミシュリーは、素直に頷いてくれる。
「そ、そう。仕方ないわね。なら行きましょう」
あんまり意地悪するのもかわいそうだから、今回は持ち上げつつサファニアの望む方向に誘導する。
そうして天幕の中に入ってみると、かつんかつんと駒を動かす音が絶え間なく響いていた。その音に一番反応しているのはサファニアだ。きょろきょろと今まで以上に落ち着かない様子であちらこちらの盤面を確認している。
「んー……」
中にいる人間は大人が多いが、どうせなら私たちと同年代と遊びたい。そっちのほうが妹離れ計画にも沿う。そう思って探していると、十歳前後の子供が多く集まっているテーブルがあった。年齢と実力が比例することが多いから、ある程度の年少者は自然と区分けされているようだ。
都合のいいことに、ちょうど勝負も終わったようで負けたほうが席を立とうとしている。どうやら勝ち抜き戦で負けたほうが席を立つルールのようだ。
「サファニア。あそこで勝負してみたらどうだ?」
「……わかったわ」
勧めると、ちょっと硬い声が返ってくる。
こういう場は初めてだし、サファニアが私以外の相手と対局するのも初めてだ。だから緊張しているのだろう。硬い動きのサファニアが、それでも空いた席に着く。
さて、対戦相手はどんな奴だろう。テーブルを囲む観戦者に混ざった私とミシュリーはサファニアの対戦相手の顔を確認して、その見知った顔に驚きの声をあげた。
「お」
「レオンだ」
「へ?」
不意打ちで名前を呼ばれたレオン・ナルドがこちらを振り返る。
「え? ミシュリー!? ……と」
まずレオンの名前を呼んだミシュリーを確認して顔を輝かせ、ついでミシュリーと手をつないでいる私の顔を見た瞬間にざあっと音を立てて青ざめた。
「……な、なんでここにいるのでしょうか、お姉さま」
「お前にお姉さまと呼ばれるいわれはない」
情けないほど声を震わせたレオンにぴしゃりと告げると、なぜか怯えたようにぶるりと身を震わせる。
「……?」
そのやり取りに事情を知らないサファニアはただ不思議そうに首をかしげていた。




