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建国祭は、その名の通りこの国の建国を祝う祭りだ。
貴族は各々でサロンを開き、縁のある上級貴族は王宮の中庭を解放して開かれるパーティーに招かれる。そのパーティーに私の年頃の人間が招かれるかどうかというと、親によるとしか言えない。親が連れてくれば参加するし、親が留守番を命じれば留守番をする。
ではそんな貴族とは縁のない平民は何をするのか。
答えは、いま私たちの目の前に広がっている光景に他ならない。
「うわぁ……!」
「へぇ……」
「……」
定時を鳴らす鐘楼の立つ王都の中央広場には、色とりどりのテントが張られて簡易の店舗となっていた。敷き詰められるように並べられた露店はその広場からもあふれ、市場街の大通りにまでずらりと並んでいる。頭上をふと見上げてみれば建物と建物をつないだ紐に色鮮やかな旗が飾られ風に揺られている。 五感で感じる何もかもが初体験だ。道行く大小さまざまな人が視界だけで数え切れないほどにいる。やり取りされる乱暴な掛け声が耳の鼓膜をたたいて震わせる。猥雑な熱気が私の身体を包み込んでいる。
洗練された貴族の楽しみ方とはまた違う、雑多な人波と熱気にあふれる界隈。ここは私が今まで出ることのなかった『貴族』というカテゴリーから外れた領域だ。
「これは、すごいな……」
「うん、すごい……」
「…………」
口から漏れて出た感嘆に、ミシュリーが賛同する。いままで屋敷から出ることすら稀だったミシュリーにとっては私以上に衝撃的な光景のはずだ。ちらりと表情を確認してみると、物珍しそうに視線をあちらこちらにやって落ち着かない様子だ。
貴族より一つ下の位階、この王都で最も数多くいる『市民』の祭の場。それが私たちの目の前に広がっていた。
建国祭のこの時期に合わせて、王都には多くの人が流入している。食べ物や織物、宝飾品や生活雑貨など、国中から物が集められて露店の店先に並べられている。この時期だけ、王都の人口は三割増しになっていると言われるほどだ。
建国祭で開かれる市場の情報は私の中に知識としておさめられていた風景と相違はない。でも、知識の認識と目で見るのとではあまりにも違う。こうして目の前に広がっている光景ですら、知識の一端でしかないのだ。
客引きに声をあげる出店の声も、あまりにも多すぎる人の流れも、肌に感じる熱気も私にとっては刺激的だ。生まれて始めて感じる経験にぶるりと身震いする。
やっぱり、世界は広い。
この場に来れて良かった。ミシュリーをここに連れてくることができて良かった。いまこの時、私とミシュリーの世界は少し広がったのだ。
そうして目の前に広がる新たな世界に飛び込むことで、その世界はもっともっと広がるはずだ。私たちは二人きりではない。二人きりで世界ができているわけではない。そのことを教えるまでもなく感じさせることができるだろう。
だから、私はミシュリーの手をぎゅっと握る。
「さ、行こう。ミシュリー、はぐれるなよ!」
「うん! 絶対に離さない!」
「…………」
今日はきっと素晴らしい一日なる。私にとって、ミシュリーにとっても――あとついでに、先ほどから黙りこくって一言もしゃべらない三人目にとっても。
「あ、そうだ」
ミシュリーと手をつないで市場に駆け込もうとした私はふと足を止める。
なにせ、私とミシュリーがここに来れた最大の功労者がすぐ傍にいるのだ。いっぱいねぎらってやろうと、振り返って笑顔を浮かべる。
「今日は楽しもうなっ、サファニア!」
「今日はありがとうございますっ、サファニアさん!」
「……………………はぁ」
今日の脱走を手伝ってくれたサファニアは、生まれて初めて目にする人波を前にどんよりと瞳を濁らせて一言。
「うちに帰って本読みたい……」
巷にあふれる熱気と似合わず、陰鬱な声でそんなことを言った。




