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ミシュリーは貴き血を引いている。
公爵家の生まれである私も一応は王族の血を引いているが、ミシュリーの血の濃さは私の比ではない。
前世の知識で知ったことではあるが、王妹がひそかに生んだ子がミシュリーであるそうだ。
私の知る限りにおいて、王妹殿下はご成婚されていない。というか、王妹殿下はすでに亡くなられている。時期から見て、おそらくはミシュリーを生んだ影響だろう。
細かい設定は前世の物語において語られることはなかったが、ミシュリーの生まれは身分違いか何か政治的な事情か公表されない立ち位置にある。
そうしてミシュリーが生まれ育って四年。ミシュリーは我が父に引き取られノワール家の一員となり、私の妹となった。
そんな風に、ミシュリーの生まれを推察する要素として役立ってくれる前世の知識だが、あからさまな差異もある。
それが私だ。
まず前世の知識においての私だが、ミシュリーのことをお父様の妾の子だと勘違いし続けていた。
最初の頃は幼く、そういった判別がついていなかったからミシュリーとも仲良くしていたらしい。だが成長するにつれて自然とミシュリーの出生を妾の出だと勘違いし、疎み、果てはミシュリーをひどくしいたげる立場に居座ることとなる。
十年後の物語の舞台ではその立場に胡坐をかき、王太子や平民出の優秀な男たちと距離を縮めていくのをことごとく邪魔する立場にある。そして最後にはミシュリーが王家の出と明かされ、悪役令嬢としての報いを受けることになる。そのパターンは自殺か処刑か修道院行きという名の島流しの三つという徹底した救いのなさだ。
しかし、これはあり得ない。
まず私は、前世の知識を思い出す前の段階からミシュリーを妾の子だと判断していた。この時点で、もはや違う。そして現時点において、私はミシュリーの虜だ。前世の知識で私はミシュリーを精神的のみならず肉体的にもひどく傷つけ消えない傷を残していたが、そんなこと想像もしたくもない。
ミシュリーを傷つけるくらいなら私はお父様を失脚させてこの国初の女公爵に成り上がる。そのくらいの気概でもって、私はミシュリーを傷つけないと誓える。男たちとのあれやこれやについては……まあ、相手がミシュリーにふさわしくなければ決して認める気はないが、それは姉としての正当な権利である。ゆえに責められることではない。
この差異はいかなるものなのか。答えは意外と簡単に出た。
おそらくは私が天才として生まれた故のバグか何かなのだろう、と。
前世の知識にいて、クリスティーナ・ノワールは決して賢い女ではなかった。
周りが見えず、高慢で、他人のことをおもんぱかることがない。はっきり言ってしまえば愚かしく感情的な人間であり、見るに堪えない人物だった。
自画自賛するわけではないが、私はそんな女ではない。天才として生まれ育った私は空気を読むことに長け、周囲に気を配ることを惜しまない。何より妹の幸せのためならこの命を全力で燃やし尽くしてやるくらいの気概はある。
つまり、結論として何が言いたいかといえばだ。
前世の知識がどうであれ、今世の私とミシュリーは仲睦まじくハッピーなバラ色の日々を送るのだ。
「ふっふっ」
それを思うと、笑いがこみあげて来た。
こみあげた笑いをかみ殺すこともなく、私は堂々と胸を張って高笑いをする。
「ふふふ、ふわぁーっはっはっはっは!」
「これからダンスの訓練に入ろうという段になってなぜ唐突に高笑いを始めたのですか、クリスティーナお嬢様」
「現実逃避」
目の前にそびえたつあまりにも厳しい現実、マリーワ・トワネットを目にして、ちょっと前世の知識を思い返して逃避していた私である。
礼儀作法の授業に、ダンスという項目が付け加わった。
教師はなぜかマリーワだ。ダンスと礼儀作法は似ても似つかないものなのだが、礼儀作法の家庭教師でもあるマリーワがなぜかダンスまで担当することとなった。
意味が分からない。天才たる私の頭脳をもってして謎の人選だ。
とはいえダンスの項目が突然授業内容に割り込んできた理由は簡単だ。
どうやら近々王宮で舞踏会があるらしい。
それに付随して、私と同じ年頃の貴族の子供の顔見せもやるようだ。未来のための顔つなぎ。後は大人たちの子供自慢と、もしかしたらここで婚約者が決まるところもあるかもしれない。
とはいえあくまで私たち年少組はおまけのようなもので、まだ踊ることはない。舞踏会は十四を超えた紳士淑女が花形だ。
それを聞いた時、私は普通に浮かんだ疑問を問いにした。
「まだダンスはやらなくていいじゃないか?」
「どうせいつかは覚えるものです。早くて悪いことはございませんので、足運びぐらいは今から叩き込んでおきます。いち、に、さん、はい。そこでターン」
「……うぎぎっ」
マリーワの手拍子に合わせてステップ、ターンを繰り返しながら歯噛みをする。
現在必要なくとも未来のため先取りしておく。その言葉はもっともで反論の余地もない正当なものだ。天才の私は普通の七歳児と違い、真っ当さに我がままをぶつけるような感情的なことはしない。
しかし、である。
「はい、お嬢様。アゴが上がっていますよ。表情もこわばってみっともないです。常に楚々とした貞淑な態度か、やわらかな微笑みをたたえるように」
「疲れてきてるんだよ……!」
「疲れなど微塵も見せず、汗の一滴もかかない体力を身に着けてください。それにお嬢様はまだまだお若いのですから、ぶっ倒れるまで続けたところで明日にはけろりとして動き回れます。連日この訓練を繰り返せるわけですから、若さとはすばらしいものですね」
七歳児になに言ってんだこの悪魔は。
地獄からはい出た邪悪としか考えられない言葉吐くマリーワを、思わずまじまじと見つめてしまう。
天才であり、前世の知識をいくらか得ている私だからこそ大人顔負けの精神性を得ているのだ。肉体的にはまだまだ未成熟で、マリーワの言う地獄のような過酷な訓練について行けるわけがない。
「どうしました、お嬢様。足が止まっていますよ。はい、いち、に、さん。腕は下げないで、背筋を伸ばして!」
「うぐぐ……!」
容赦のない手拍子に押されるようにして一人ステップを踏む。当初の言いつけに寄れば、もう三セット繰り返せばこの訓練も終了だ。その後は目くるめくミシュリーとの時間である。それを思えば、耐えられないこともない。
とはいえ、つらいものはつらい。
「くそうっ。そもそもなんでマリーワがダンスの教師役になるんだ……!」
「現在のお嬢様があまりにもじゃじゃ馬ぶりを発揮されるので、未来の講師の負担を減らそうと自らお館様に買って出た所存です」
「はぁ!?」
零れた愚痴に返ってきた、もろもろの不自然を解消する回答が耳に入って思わず足を止める。
「なんかおかしいと思ったらお前が元凶かぁ!?」
「……お嬢様」
勢いのままマリーワを指さして叫んだら、彼女はぎろりとにらんで私を見下ろした。
「何ですか、その言葉使いと所作は。誰が人を指さしてお前呼ばわりしろと教えましたか? 罰として足運び、もう十セット追加です」
「!?」
最愛の妹との時間をざっくり削られる鬼宣言に、私はちょっと涙目になった。