25
るん、と小さな歌が口から漏れる。
シャルルが帰った後の、いつも通りの姉妹水入らずの時間。私の口はご機嫌にメロディーを刻んでいた。
なんとなく思い浮かんだメロディーは、いつぞやの舞踏会時に演奏されたものだ。かすかに聞こえる音楽に乗ってステップを踏んで、盛大にすっ転んだあの日。一定のスローテンポで奏でられていた曲を、記憶に残る旋律のまま口ずさむ。
「……むー」
そんな私を、なぜかミシュリーはちょっと不満そうに見上げていた。
「お姉さま、嬉しそう」
「ふふっ、そうだな」
ミシュリーの指摘を笑って肯定する。特に隠してもいないから分かって当然だろう。実際に今の気分は上々だ。
私は上機嫌にミシュリーの頭を撫でる。
「へへー。ミシュリーのおかげだぞ」
「……シャルルと何があったの?」
「うん?」
さすがミシュリーは鋭い。的中された言葉を聞かれて、にへらと頬が緩む。
「ふふふ、ミシュリーが言ってくれただろう? シャルルとの距離を改めてみるのもいいかもしれないって。それを実行してみたら、いい結果になったんだよ」
なんというか、今日一日で私とシャルルの距離が互いに一歩近づいた感触がある。それがなぜだか不思議なくらい嬉しい。もちろんシャルルと友情を深めたからなんだろうけど、それにしたって心が浮き立ってウキウキする。
それもこれもミシュリーが提案してくれたおかげだ。ミシュリーをいい子いい子して、蜂蜜を溶かしたような柔らかい髪を堪能する。
「……ふーん」
私の喜びに対して、なぜだかミシュリーの目はちょっとじっとりしていた。
「ミシュリー?」
「別にいいもん」
なにがいいのか。姉として恥ずかしいことだけれども、ミシュリーの意図が読み切れない。
「えっと……なにが?」
「なんでもない。余計なこと言わなきゃよかったとか、思ってない」
聞いてみても、ばっさりと切り捨てられてしまった。拗ねたようにつん、と唇を尖らせたミシュリーが、私の膝に乗りにきた。
私の膝に乗った態勢から、ゆっくり背中を預けて体重を任せる。ちょっと反抗的な言葉とは裏腹に、甘えるようなしぐさで体を引っ付けてくるミシュリーに戸惑う。
さきほどから、ミシュリーの言動が掴み切れない。これはなんだろう。もしかして、ミシュリーの反抗期だろうか。こんなかわいい反抗期だったらどんと来いという感じだ。
まあ、なんでもいいや。
ミシュリーが自分から私の膝に乗ってきたのだ。浮かんだ疑問はとりあえず後回しにして、ミシュリーの体重を感じながらぎゅっと抱きしめる。
「ふふふ。ミシュリーはかわいいな」
「……えへへっ。お姉さまはカッコいいね!」
私たち姉妹の、合言葉のようなやり取り。それでやっと笑顔になったミシュリーの返しを聞いて、確かな幸せを感じる。
『迷宮ディスティニー』でのミシュリーは、不幸な境遇に置かれていた。しいたげられた少女が成功の道を歩むというのがあの物語のコンセプトの一つだったからだ。
でも、いまの私たちはどうだろうか。
「ミシュリー。いま、幸せか?」
「うんっ」
腕に抱いた妹が、短く軽やかに幸せを謳歌する。
お互いが幸福なら、私たちは運命に取り込まれることはない。公爵家に引き取られてしいたげられたかわいそうな養女はおらず、養子をしいたげる公爵令嬢もいない。
ならば、かつて顔をのぞかせた運命なんて来れるはずがない。
身体を弾ませ頷いたミシュリーを、私はもう一段強く抱きしめる。
「私もだ! やっぱり私たち姉妹は最強だな!」
「だよね! ……あ。でもね、お姉さま」
姉妹の絆の強さを確認しあってから、ふとミシュリーが付け加える。
「わたしも、頑張るから」
「……ん?」
何を頑張るのだろう。抱擁を緩めてミシュリーの顔を覗き込むと、ごうっと燃える青い瞳があった。
「絶対に負けないから。だって、わたしたち姉妹は最強だもんっ」
私の疑念をよそに、ミシュリーは強く強く何かを決意していた。
何がここまでミシュリーを駆り立てているのだろうか。ちょっと不思議だったが、ミシュリーが頑張るというなら私は全力で応援するまでだ。
「頑張れ、ミシュリー!」
「うんっ、がんばる!」
ぐっと握ったミシュリーの小さな拳をほほえましく思いながら、私は改めて確信する。
思春期も反抗期も、私たち姉妹なら簡単に蹴散らせる。二人そろえば幸福で、不幸なんてものは入る隙間はない。
運命なんてやつも同じことだ。
運命が初めて顔をのぞかせてから、二年。それから一度もそいつを強く感じることもない。『迷宮ディスティニー』なんてしょせんは前世の知識で、今の私たちとは関係のない流れを示した運命だ。やっぱり、暗示のような記憶の想起は私の気の迷いだったのだろう。
そう思えた今日の翌日。
そいつは、運命に呼びこまれたように我が屋敷を訪れた。




