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ミシュリーとシャルルの取っ組み合いは、私も含めた三人ともが多少ぼろぼろになりながらも大きなけがもなく終わった。それは二人をなだめすかし叱りつけ、時に羽交い絞めにしてまでケンカの仲裁をした私の成果だが、おかげさまでシャルルが帰る時間になるころにはすっかりくたびれていた。
どのくらい疲れたかと問われれば、こう表現しよう。
「シャルル殿下、もうそろそろ帰る時間で……おや?」
「やっと来たかオックス……」
お父様を引き連れてやって来たオックスが救いの主に見えてしまったぐらいだ。
ケンカの主催者であるシャルルとミシュリーはぶすっとした顔でお互いそっぽを向いて座り込んでいる。事情を説明するのもおっくうなぐらい疲れていたので、私は何か聞かれる前にさっさとシャルルを押し付けることにした。
「いいからシャルルを持って帰ってくれ……」
「はぁ。そのために来たので異論はありませんが……しかしシャルル殿下もクリスティーナ嬢も、服装がずいぶん乱れていますね」
「なにも聞くな」
説明するのもめんどくさい。
疲れ切った顔のままさっさとこの場を乗り切ろうとしている私に、何を勘違いしたのかオックスは「ほほう」と声を弾ませた。
「もしや室内でちゃんばらごっこでもされていましたか? はっはっは! 元気で何よりですねぇ! やはり子供のうちは少しぐらい腕白なのがよろしいですよね、ノワール公!」
「ああ、そうだなオックス! 日ごろからクリスの言動には悩まされているが、それが元気の証明だと思えば多少のことぐらい目をつむれるからなぁ!」
「まさしく! 私もシャルル殿下のとっぴな行動にはよく驚かされていますが、それも……おぉ。そういえば、そこの娘さんはどちらさまで?」
「ああ、私の娘のミシュリーだ。こちらはよくできた娘でなぁ。少し大人しいところはあるが、気のつく良い子なんだよ!」
大の大人が、二人そろって酔っぱらっていた。
あからさまなケンカの痕跡に対して無意味に陽気で強気な二人に、思わず顔が引きつった。
何やってんだこいつら。いや、書斎で酒をたしなんでいたのは知っていたが、二人の様子から見るに明らかにたしなむという範疇で終わっていない。酒は貴族のたしなみだから飲むなとは言わないが限度を超えている。特にオックスはシャルルのお目付け役という職務の最中だろうに、なにしてんだ。
「…………はぁ」
思ったが、ため息とともに全部投げ捨てる。もう一度言おう。私は疲れているのだ。シャルルの頭を押さえつけ、ミシュリーをなだめるために体力を大きく消耗したのだ。たぶん酒精を帯びたまま王宮に戻ったらオックスはしこたま偉い人から怒られるだろうが、そんなの私が関知するものではないのだ。
だから私は、頭二つは低い位置からアホな大人二人をにらみ上げて、言う。
「もうどぉーでもいいからさっさと仕事してくれないか?」
「「!?」」
低音で唸りあげた怨嗟に、成人をとっくにすませたいい大人の二人がびくっと肩を震わせた。
あの脅しからそそくさと仕事を開始したオックスに連れられて、シャルルは帰ることになった。私とお父様による見送りの帰り際「またあえるよね?」と、いつだかと同じセリフを言っていたが、私が今後の予定を決めるわけではない。とりあえず「ミシュリーとまたケンカするならもう来るな」と釘を打ち付けてぶち刺しておいた。けっこうショックを受けた顔をしていたから、次はたぶんミシュリーに突っかかるようなことはしないと思う。
そうして貴族の責務を終わらせて部屋に戻ると、ミシュリーが待っていてくれた。
「……すう、すう」
こてん、と絨毯の上に寝転がり、寝息を立てるというかわいらしいお出迎えだ。
「ふふっ」
かわいらしいお出迎えに、笑みがこぼれる。眠っているミシュリーのすぐ傍まで近づいて、無作法なのは承知で腰を下ろした。
ミシュリーが今日みたいに癇癪を爆発させたのは初めてと言っていい。あれだけ大声で叫んで、全力で暴れまわって、きっとそれを止めていた私以上に疲れ果ててしまったのだろう。
いまみたいに、待ちきれず眠っちゃうくらいには。
小動物みたいで、かわいい。さすがに絨毯の上で寝かしたままなのはよろしくないので使用人を呼んで移動させようかとも思ったが、やめておく。せっかくのミシュリーのかわいいシーンだ。ちょっとの間だけでも独占しようと思い、私もミシュリーのすぐ横に寝っ転がった。
「かぁーわいいなぁ……」
すうっと吸っては吐く寝息が頬に当たるくらいの至近距離。最愛の妹に添い寝をした私は、そっと優しくミシュリーを抱きしめて包み込む。
床に敷かれた絨毯は、意外なくらい寝心地が悪くなかった。ミシュリーがうっかり眠ってしまった気持ちもよくわかる。清潔かどうかは……まあ、我が家の優秀な使用人の清掃能力を信用しよう。
「……ん」
抱き付かれたミシュリーがもぞりと身じろぎしたが、起きる様子はない。反射的な反応でか、ぎゅっとミシュリーの方からもしがみついてきた。
「やだ……おねえさま、行っちゃやだ……」
どんな夢を見てるのか、私の服をつかんでそんな寝言を言う。
かわいらしく、嬉しい寝言だ。私はふんわりやわらかいミシュリーの金髪をゆっくり撫でる。
「行かないよ、どこにも」
「……えへへ」
掛け値なしの真実を言葉に出す。聞こえないことを承知の言葉だったのだが、もしかしたら夢の中に届いたのか。私の保証にミシュリーが笑った。無邪気なそれに、私も口元を緩めた。
それにしても、疲労で少し頭がぼんやりしてきた。眠い。
まぶたが重くなって、素直に目を閉じる。今日は騒がしかったが、同時に楽しくもあった。きっと、これからもシャルルを含めてこんな風な幸せな時間が続いて行く。そう思って、優しく訪れた睡魔に身を任せようとして
――あのクリスティーナは、もう僕たちの知っていたクリスじゃないんだ。
目が、一瞬で覚めた。
「……っ!」
なんだ、今のは。
不意打ちのように再生された声の正体を突き詰めるべく、頭を回転させる。唐突に脳裏をよぎった声の正体にはすぐに行きあたった。
今のセリフは、私が経験した記憶にはない。ただ、知識として残っているものだ。
ただの知識として刻まれている『迷宮ディスティニー』の一幕。止め絵と、文章と、セリフに当てられた声。そのワンシーンが、先ほどのセリフを皮切りに想起させられる。
――ミシュリー。彼女はもうだめだよ。昔のクリスとは違うんだ。
――そんなことないっ。きっといつか、昔みたいにおねえさまと仲良くなれる!
――ううん。無理だよ。昔はあんなにミシュリーのことをかわいがっていたのに、どうしてああなっちゃんだろうね……。
その会話はミシュリーとシャルルがお互い共通の過去であり、同時に最大の障害であるクリスティーナについて話し合っていたものだ。
『迷宮ディスティニー』で、登場人物の過去の詳細は語られていない。ダイジェストとして記されたぐらいのもので、あとは一部主要人物の過去のシーンが何回かあったくらいだ。当然、悪役であったクリスティーナの過去に焦点を当てたシーンなどない。
だが、それでも今のような会話シーンの端々から察せられることはある。
物語が始まった時点でクリスティーナはミシュリーをしいたげていたが、幼いころは仲の良い姉妹であったという。あの物語でも、クリスティーナはミシュリーを幼いころはかわいがっていたのだ。
だとすれば、それは。
ぞわりとした感覚とともに、ある仮定が浮かび上がる。
私は物語でのクリスティーナの言動から、妾の子だと知って彼女がミシュリーに対する態度を豹変させたと考えていたが、語られることのなかった真実がもし違ったらどうだろう。私が思っていたほどにクリスティーナが愚かでなく、ただの感情的な女性でなかったとしたら――シャルルと楽しく遊び、ミシュリーを存分にかわいがっているという『迷宮ディスティニー』の過去は、いまの私と何が違う?
「……」
気のせいだ。
くだらない思い付きをすぐさま放り棄てる。私は私だ。運命などという強制力は、この世界には存在しない。それは今日仲良くケンカをしていたミシュリーとシャルルが証明してくれた。
人は自分の意志で生きている。人形芝居のように物語の舞台に立っているわけではない。だから、もし私が『迷宮ディスティニー』のような悪役令嬢であるクリスティーナ・ノワールになるというのなら、それはきっと私自身が揺るぎない信念のもと確固たる意志で――
「――……そんなこと、するわけない」
どこかへ至ろうとした思考を止めて、さっきより強くミシュリーを胸に抱く。密着した身体から感じる柔らかさと温かさに、私はあらためて決意を固める
どんな理由があれ、これから何があろうとも私がミシュリーの幸せを壊すような真似はしない。私はこの生が続く限り、世界で一番かわいい妹の幸せを守り抜くのだ。
もう何も考えないためにも、今度こそ目を閉じて眠りに身を任せようとした。それが逃避でしかないとうすうす察しながらも求めた一時の休息だったが、その安息を与えてくれるはずの睡魔が何故かなかなか訪れない。
瞼に遮られて何も見えないはずの暗闇の中。
私というバグを原因として迷宮をさまよっているはずの運命の顔が、ちらりと見えた気がした。
運命さん「|ω・`)チラ」
↑は引っ込めと言われそうですが……それはさておき。
ここで一区切りつけて、七歳編は終了です。
少し番外編を挟んでから、時系列をちょっと飛ばして九歳編を始めます。




