15
シャルルが訪問するその日、私はちょっぴり浮かれていた。
私は着飾るのが結構好きだ。身に着ける重みに見合うだけの美しさが得られるというのが嬉しい。私は一糸まとわぬ姿でも自分自身に恥じるところなんてないけれども、服飾をたしなむのは何とも言えない楽しさがある。
つまり何が言いたいのかといえば単純だ。今日はこの国の第三王子をもてなすということもあって、私はいつも以上におめかしをしているのだ。
今回のドレスは赤一色だった舞踏会の時と打って変わって青と白のドレスだ。上半身の部分は光沢のある濃い青で染め上げられ、白のラインと金のボタンで飾り付けられている。上の部分からそのまま下に降りてスカートの後ろ半分を覆うトレーンとふくらみのある真っ白な前部分との対比が目に美しい逸品だ。
それを身に着けて我ながら自信作となった姿を、私は部屋に招いたミシュリーにまず披露していた。
「今日のお姉ちゃんのドレス姿はどうだ、ミシュリー!」
「おねえさまカッコいい!」
今回はいつかの舞踏会のお披露目の時とは違って着飾っているのは私だけだ。いつも通りの普段着のミシュリーは、どんな服飾でも敵わないかわいらしさを装備して喝采をあげた。語彙がまだちょっと少ないミシュリーは褒め言葉はいつも一緒だけれども、短いその一言に渾身の想いがこもっているのが伝わる。
「すごいっ。あかいのの時もしゅっとしててカッコよかったけど、いまのあおいのははふんわりでカッコいい! おねえさまはなにきててもすごいんだね!」
ミシュリーは昼間の空よりも明るい青い目をぴかぴかに輝かして精一杯の賛辞を送ってくれる。言葉だけじゃなくて体全体で表現される称賛は、まっすぐ私の心に直撃して響く。
「ふふんっ!」
かわいらしくも素直な賛美に応えて、私は胸を張る。
「当然だ! 私はミシュリーのお姉ちゃんだからな!」
「おねえさまはやっぱりわたしのおねえさまだねっ。世界一カッコいい!」
「もちろん! 私は世界一かわいいミシュリーのお姉ちゃんだから、それくらいでないとつり合いが取れないんだ! ……けど、ふふっ。ミシュリーがそんなに褒めてくれるなら、シャルルのやつも驚くに違いないな」
「……え?」
惜しみのない賞賛が、なぜかぴたりと止まった。
「しゃるる……?」
「ああ、ミシュリーにはまだ言ってなかったか。この間、ちょっと話しただろう? 舞踏会の時にできた友達が来るから、お出迎えしてやろうと思ってな」
「おねえさまが、おでむかえ……? わざわざ、カッコいいドレスで?」
「ああ、そうだぞ。ふっふっふ。前回は私とあろうものが先手を取られたからな。シャルルのやつ、今回は目にもの見せてくれる!」
「男の子のともだちの……シャルル……ドレスでおでむかえ……」
ミシュリーから視線を外して友達を驚かそうとたくらみごとをしていた私は、おやと顔をあげる。
どうしたことか、さっきまで喜びにあふれていた意気がどんどんしぼんでしまった。ぴかぴかの青い目が消灯しきらきらと輝くミシュリーの金髪も心なしか色あせている。何やらひとりぶつぶつと呟いている様子はいつものミシュリーらしからぬ言動だ。
「ミシュリー?」
「……おねえさま」
どうしたのだろう。心配して頭一つ分下にある愛する妹の顔を覗き込もうとしたが、それより先に顔をあげたミシュリーが青い瞳でまっすぐ私を射抜いた。
「そのドレスって、シャルルって男の子のためにきたの?」
「う、うん?」
今回のおしゃれは、この国の第三王子を迎えるからこそのおめかしだ。だからミシュリーの言う通りではあるのだが、何だろう。こちらを見るミシュリーの何とも表現しがたい強い瞳に、天才たる私ともあろうものが気圧されてしまった。
「ま、まあ確かに、シャルルのために着たといって間違いじゃないな。その通りだぞ、ミシュリー」
「そう、なんだ……」
私の肯定で、ミシュリーが露骨にがっかりした。
「これから、そのシャルルっと子とあうんだよね?」
「そうなんだけど……」
ミシュリーの様子がちょっとおかしい。この間のかわいらしい嫉妬ともまた何か違う不穏さがある。いや本当に何だろう、これは。
「えっとな、ミシュリー。どうかした――」
「失礼いたします、お嬢様」
不審の理由を聞き出そうとしたところで、間が悪く三回扉が叩かれる音がした。
「そろそろシャルル殿下がいらっしゃるお時間になります。ご準備もよろしいかと思いますので、こちらへ」
「――む」
ノックの後に外からかけられた言葉に顔をしかめる。
タイミングが悪いにもほどがある。ミシュリーがしょんぼりしているというのにそれを解決できないなんて、姉として情けない。
間の悪さを感じたのはミシュリーも一緒なのだろう。使用人の言葉を聞いて「シャルル……」と小さく呟いたミシュリーも珍しく目をとがらせている。
しかし待ち合わせの相手はシャルルだ。王子様だし、何より友達だ。すっぽかすわけにもいかない。仕方ないので、ミシュリーの頭を一撫でして機嫌をとる。
「ごめんな、ミシュリー。お姉ちゃん、そろそろ行かないといけないんだ」
「……」
後ろ髪をひかれる思いだが、後で解決しようと決意する。
今行く。振り返ってそう使用人に応えようとして、私を引き留める小さな力に気が付いた。
ミシュリーが私の裾を掴んで引き止めていた。
「ミシュリー?」
「……おねえさま」
私を見上げるミシュリーの青い目は、うるんで揺れていた。
裾をぎゅっと強く握って心細さに涙をためたミシュリーは、見るだけで伝わってくる心情を言葉にして吐露する。
「行っちゃやだよ。さみしぃ……」
心が形になった言葉を聞いて、私はゆっくりと目を見開いた。
実のところ、ミシュリーが今みたいな我がままを言うことは珍しい。ミシュリーはどちらかといえば受動的な子だ。ただの駄々だったとしても、今みたいに自分から何かを求めるというのはまれだ。
私は聞かん気を発揮したミシュリーと視線を合わせるために膝をつけて語り掛けた。
「…………あのな、ミシュリー」
稀な我がままを言うミシュリーの青い目と同じ位置で、私はしっかりと目を合わせて断言する。
「お姉ちゃんがミシュリーを置いてどこかに行くわけないだろう!」
「だよね!」
ぱっと花咲くように満面の笑みを浮かべたミシュリーが首に飛びついてくる。その勢いを受け止めて、私もぎゅーっとミシュリーの身体を抱きしめた。
「おねえさまがわたしをおいてダレかのところにいっちゃうなんて、ないよね!」
「ないない! ありえない!」
「だよね! シャルルなんていう子のとこなんて、いかせな――いかないよね!」
「うん! ……うん? いや、うんっ。そうだな!」
「そうだよね! えへへっ。おねえさま、だぁーいすき!」
「私も大好きだぞ、ミシュリー!」
私たち姉妹はお互いの大好きをいっぱいぶつけ合って笑い合う。
たぶんここは清廉潔白な大天使ミシュリーが作り出した神の国の一端だ。桃源郷か理想郷かエデンの園か極楽浄土。前世の知識にあるどことも劣らない幸福がここにはある。
しかし世界の真理に導かれて幸福にひたる私に水を差すような声が入った。
「あの、クリスティーナお嬢様? 繰り返すようで申し訳ありませんが、そろそろお時間なのですが……」
「……」
忘れていた。
使用人の言葉に現実を知らされた私は、無言ですっと立ち上がる。そのままとてとてと歩いて扉に近づいた。
「……おねえさま?」
ミシュリーの不安そうな声が響いたが安心してほしい。別に部屋の外に出ようというわけではない。むしろ私が今からやることは逆だ。
「えいや」
扉の目の前まで移動した私は、ためらうことなく部屋の鍵を閉めた。
「うむ。これで良し」
「これで良しって……あの、お嬢様。いま、鍵を閉めませんでした?」
「ああ、すまん。しばらく部屋から出られそうもない」
「はいっ!?」
世界の真理に導かれた私のごく当然の返答に、素っ頓狂な声が上がった。
「あ、あのっ、クリスティーナお嬢様? 何をおっしゃってるんですか?」
「今日の私はミシュリーから離れられそうもない。シャルルにはまた日を改めてもらうようにしよう。うん、そうしよう」
「できるわけありませんよ!? 相手は王族ですよ、クリスティーナ様! 御冗談でも我がままおっしゃるのはよしてください!」
「王族だからなんだ。いま私が相手をしているのは大天使だぞ? 我が最愛のミシュリーを放っておくことなんてできるわけないだろう!?」
「ま、またクリスティーナお嬢様がミシュリー様好きをこじらせておかしなことを……! み、ミシュリーお嬢様! そこにいらっしゃるんでしたら、クリスティーナお嬢様を部屋から出るようにご説得を――」
「やだ!」
「えぇ!?」
いつもは素直なミシュリーが響かせた元気いっぱいの拒否に、二度目の素っ頓狂な悲鳴が上がる。
「な、なんでミシュリー様まで……? くっ。とりあえずメイド長に鍵を借りに行きませんと――」
「やってみろ。その間に部屋にある燭台からロウソク引っこ抜いて内側から錠前部分をロウで固めて鍵が回らないようにしてくれる」
「そういうイタズラ思いつくのはやめてくださいませんかぁ!?」
明晰な頭脳を持つ私による天才的思い付きが、そこらの子供のイタズラと評されるのは心外だ。
何にしても使用人ごときに私の篭城は突破できまい。私はミシュリーのところに戻って笑顔でこれからの予定を話す。
「さあ、ミシュリー。今日は一日中一緒に遊ぼうなー」
「うん!」
「あの、クリスティーナお嬢様? ほんっと今日は冗談じゃすまないんです! 食糧庫引きこもりの時だって、あの時は笑い話じゃすまなかったんですよ? ねえお嬢様! お願いですから開けてくださいよぉ!」
ノックの段階を飛び越えて、バンバンと無作法に叩かれる扉の音は黙殺する。
残念ながらそのお願いは聞けない。私だって篭城を決め込んだ決意に冗談はひとかけらも入ってないのだ。
「なにして遊ぼうか、ミシュリー。外がうるさいけど、本でも読むか?」
「うーん……お話しよ! わたし、本よりおねえさまのお話がすき!」
「わかった!」
「外がうるさいって、この……! い、いえ、そんなことより、こうなったらお館様に連絡差し上げて……ああ、でもお館様は最近クリスティーナに言い負かされてばっかりだし時間の無駄に終わる可能性のほうが……。でも、じゃあどうすれば――はっ、そうだ!」
扉の外にいた使用人が何やら思いついたようだが、残念ながら屋敷にある要素では天才たる私の守りを突破できるような案はない。どんな名案だったとして、優秀であれ凡庸でしかない使用人が思い浮かべた案などことごとく撃ち落としてくれよう。
自身余裕たっぷりに外の雑音をスルーしようとして
「今からでもトワネット様を呼べばいいんだ!」
「………………………………………………………」
まさか外部の人間に頼るという盤外からの一手に、沈黙した。
「おねえさま?」
思わず黙り込んだ私にミシュリーが小首を傾げる。だが使用人からの思わぬ妙手により王手をかけられた現状、活路を探すための思考に全精力を注いでいたため答える余裕がなかった。
そんな私たちを置いて、使用人の独白は続いた。
「そうだった。食糧庫引きこもりの時だってたまたまいらっしゃっていたトワネット様が解決してくださったし。余裕を持ってお嬢様の準備を終わらせたから、まだ時間はある。今日は家庭教師の日ではないけど、失礼を承知でいまから馬車を飛ばせば……何とかぎりぎり間に合う! よしっ。今から――」
「すまん。ちょっとした冗談だ。いますぐ部屋から出るからマリーワを呼ぶような真似はするな」
「おねえさま!?」
ミシュリーの悲鳴が響く。悲痛な声に胸がぎりっと締め付けられたが、どうしようもない事とは世の中にいくらでも存在する。
裾を握って引き止めるミシュリーのかわいらしい手を、そっと丁寧にほどく。
「ごめんな、ミシュリー。私が今からこなさないといけないのは、貴族としての責務なんだ。ノワール公爵家の娘として生まれたものとして、放りだしていいことじゃないんだよ」
なだめるようにしてミシュリーに言い聞かせる。私の説得を聞いて、扉の外で使用人がぼそっと「……本当にそうですね」と呟いた。
おいメイド。扉一枚挟んでるから届かないと思ってるかもしれなけど、聞こえてるぞメイド。
よほど言ってやろうかと思ったが、今さっきまでのやり取りをマリーワに告げ口されると非常に困ったことになるので追及はしないでおくことにした。
「……そっか」
私の言葉に、ミシュリーはしぶしぶながらも納得したようだ。ちょっと不満は残ってるようだが、もう引き止めるようなことはしない。
「おねえさまが行っちゃうのは、きぞくのぎむなんだよね」
「ああ、そうだ」
「べつに、シャルルとかいう子に会いたいからじゃないよね?」
「うん? うん。まあ、そうだな」
友達に会うという楽しみは否定しないが、貴族の義務であるというのも本音だ。
私の答えを聞いて、ミシュリーはにっこりと笑って許可を出してくれた。
「じゃあ、分かった!」
「そっか。ミシュリーはいい子だ」
物わかりの良い妹の頭をやさしく撫でる。ミシュリーの金髪は柔らかく、ふんわりした感触は撫でているこちらも心地よい。
「えへへっ。……あ、そうだおねえさま」
「ん? どうした、ミシュリー」
そろそろ外に控える使用人の限界も近いだろうし、出ないとな。そう思っている私に、ミシュリーはちょっとしたかわいらしいお願いを付け加える。
「あとでおねえさまのへやにあそびに行ってもいい?」
「いいよ!」
いつもは私がミシュリーの部屋に遊びに行ってるから、ミシュリーから来たいというのもまた珍しい。
シャルルが帰った後ならいくらでも遊びに来て構わない。そう思って大喜びでミシュリーの提案を受け入れた私に、ミシュリーも「やったぁ!」と無邪気に喜んでいた。
「……ふたりきりとか、そんなのぜったいダメだよね」
「さて、行くか……ん? なにか言ったか、ミシュリー」
「ううん。なんにも!」
ミシュリーの呟きを聞き逃した私に、隠すような黒いものなんて何にもないミシュリーはかわいらし笑顔で首を横に振った。
「いってらしゃい、おねえさま!」
「いってきます、ミシュリー!」
かわいいなぁ。
清廉潔白を人の形にした裏表なく純真でかわいいミシュリーのお見送りに、思わず頬が緩んでしまう私だった。