114・終
私はクリスティーナ・ノワール。天才だ。
一歳の時にお母様の祝福を受け立ち上がり、十六歳の時に最愛の妹との絆で運命を粉砕し、十八歳で学園を首席で卒業した。
そんな私は、正式に政界につながる社交の場へと出ることになった。
パーティー会場の控室。そこで豪華に着飾った私は、ちょっとだけ緊張していた。
これからやるべきことに向けての準備は万端とはいえ、それだけで勝ち抜けるほど甘くはない。
妹を救うために、まずは打倒お父様。そして真の意味でミシュリーを自由にするために、打倒身分社会である。
天才の私をして、敵は強大で手ごわい。味方は数多くとも、相手にするべきものは無限のように湧いてくる。
そうして緊張にとらわれる私の横で、緊張感もない言葉が響いた。
「まさか、この私がまともに社交界に出ることになるとは思わなかったわ」
しみじみとつぶやくサファニアの声を聞いて、肩の力が抜けた。
「……そうだな。たぶん、子供の頃から考えれば、一番かわったのはお前だよ」
「そうよね」
どうやら自分の変人ぶりに自覚があったらしいと相槌を打って同意し合う。
ちょうど同い年にして、同じく高位貴族のサファニアとは、控室が同じなのだ。というか、同じにしてもらった。
いつもは手抜きのお手本みたいな姿をしているサファニアだが、今日ばかりは見事に着飾っており、まるでまともなご令嬢のように見える。
「お前が真面目に社交界に出るって決めて、長女と次女は喜んだじゃないのか?」
「黙りなさい。あの姉たちのはしゃぎようは思い出したくないわ」
「あはは。ちょっと想像できるな」
カリブラコア家の二人は、いまだに結構シスコンだ。根暗な末っ子がまともな道に更生してくれたと喜んでいるのだろ。
「そういえば、サファニアは何で私のことを手伝ってくれるんだ?」
私のミシュリー救済計画。
シャルルは私のために手伝ってくれるし、ロナは純粋に私を慕ってくれており、カタリナはたぶん身分制度是正で賛同してくれているところが大きい。レオンは、まあ、あいつはサファニアのためだろう。
サファニアは私の思想や目的には興味がないのはわかる。ならばと詰め寄ってからかってやる。
「友情か? 私に友情を感じて付き合ってくれるのか? うれしいぞ親友」
「バカ言わないで、うっとうしい」
私のからかいを、サファニアはバッサリ切り裂く。
「これからのことが全部終わったら、あなたの波乱万丈の半生を本にでもさせてもらうわ。その印税で私は余生を穏やかに暮らすのよ。それが報酬」
「ふうん?」
まあ、お礼がそんなものでいいというなら私としても構わない。
偉大な私の半生記ともなれば、ベストセラー間違いなし。歴史に残る書物になるだろう。
「年がかりの大騒動になるぞ?」
「いいわよ。それだけ書き記しがいがあるわ。ちなみにタイトルも決まっているのよ。『迷宮デスティニー』っていうタイトルなの。どう?」
「センスが欠片もないな。それ、焚書にしていいか?」
「いいわけないでしょう!?」
思わずジト目になった私に、サファニアが目をむいて叫ぶ。唐突にエンド殿下以上の天敵を見つけてしまった。
「……そろそろ会場入りの時間ね。私は先に行ってるわね、ミセス・ノワール」
「だ、黙れ、ミス・カリブラコア!」
サファニアのからかいに、顔が赤くなってしまう。
ミス、ではなくミセスの称号。それが意味することは、わざわざ説明することではないだろう。……口に出すのは恥ずかしいし。
「はいはい。それじゃ、また会場で。やらかしを期待してるわ」
私をからかって満足したのか、にんまりと嗜虐的に笑ったサファニアがエスコート役の父親に迎えられて控室を出ていく。
それを見送って静かになった部屋で、私はふと思いついてつぶやく。
「……そういえば、マリーワはいつまでたってもミス・トワネットだったな」
「黙らせてほしいですか?」
完全な不意打ちで背後からかけられた声に、びくっと背筋が伸びる。
「き、来てたのか、マリーワ」
「ええ。今日は私があなたたちの付添人ですからね」
ぴん、と伸びた背筋に、鷹のように鋭い目。派手さはないが、珍しく非常に優美な装いをしているマリーワ・トワネットがそこにいた。
お父様との決裂を周囲に示すために、社交界の正式デビューの付き添いとしてマリーワを頼んである。娘である私に一緒に来るなと言われたお父様がちょっと哀愁を漂わせていたが安心してほしい。お父様にはこれからもっとひどい目にあってもらったあと、早めに穏やかな隠居生活をプレゼントする予定だ。
「今日は付添人を引き受けてくれてありがとう。……でも、いいのか?」
私が生まれる前の闘い。マリーワがイヴリア王妹殿下と一緒になっていた時も、マリーワは表に出ることはなかったのだ。
私の疑問を正しく理解したのだろう。マリーワはこともなさげに頷いた。
「構いません。もう失敗するつもりもありませんし、特に失うものがある身でもありませんから」
そういわれれば、是非もない。同世代には殿下を差し置き圧倒的な人気を有する私だが、相手はもっと年かさの世代だ。マリーワの持つ人脈は私たちの世代以外にも通用する。とても心強い。
私とマリーワは連れ立って控室から出て、会場に向かう。
ぶるり、体が震える。緊張でも恐れでもない。武者震いだ。これから待つ闘いは、私の人生の中でも、きっと一番波乱に満ちた時間になるだろう。
ミシュリーを身分社会の檻から解放するために、貴族社会をぶち壊してやる。
なんだかんだ、私は目立ちたがり屋だ。そして、困難に取り組んで克服することに生きがいを感じる気質だ。前世の『迷宮デスティニー』から抜け出した先に、こんな素敵な晴れ舞台があるとは思わなかった。
「さて、クリスお嬢様」
「お嬢様はやめろ、マリーワ。私はもう、そんな子供じゃないぞ」
「失礼、ミセス・ノワール」
むぐ、と頬を紅潮させて口をへの字にしてしまう。
私の社交界デビューの、そして、政界での闘いの第一歩。
扉一枚だけ挟んだその場所でこれから待つ長い長い戦いを前に期待で胸を躍らせる私に、マリーワは最後の確認をしてくる。
「迷いはありませんね」
「もちろん」
「誰かに嫌われ、誰かに好かれることを恐れませんね」
「ああ」
「これから誰かを傷つけても、その痛みにひるみませんね」
「覚悟は、決まってる」
「もう……たった一人で、どこかへ行こうとしませんね?」
「……うん!」
マリーワのブラウンの瞳が私の目をまっすぐのぞき込む。私も揺れることなく見返して、マリーワの言葉をすべて肯定する。
やがて、マリーワは頷いた。
「なら、行きましょう」
「ああ!」
そうだ。
この国に私の名前を知らしめてやるのだ。
お母様が産み落として、マリーワが育ててくれたこの身を、ヒロインな妹のために使う。けれどもそれは、いつか演じようと思っていた悪役な私の物語ではない。
闘いの続く場所への扉をくぐり、紳士淑女の集まる優雅な会場に踏み入る。
ここから先は、完全な未知。けれども私は、未知は恐れるより楽しむものだと知っている。既知だと思い込んでいる世界なんて、くだらないほどあっさり崩れるものなのだ。
台本のないこの世界で、私にもっともふさわしい役どころをマリーワが告げる。
「ここから先は、あなたが主役です」
「当然」
私はその役を受け取って堂々と胸を張る。
「私は、クリスティーナ・ノワール」
入場の挨拶。礼儀作法を修めた優美な所作は忘れず、しかし私らしいふるまいでまずはこの場の風習を壊してみせる。
ぽかんと呆けるお歴々を眺め、私がどういう人間か、これから政界にどんな破天荒なことを起こしてやろうとしてるのか、この場にいる全員に知らしめるために声を上げる。
「ヒロインな妹を愛する主役にして、天才だ!」
私が主役の世界が、いま始まった。
ご愛読ありがとうございました、これにて完結になります。
完結まで至れたのも、ここまでお付き合いいただいたみなさまのおかげです。
感想、評価、レビュー、そしてまさかの書籍化。嬉しいことばかりで、間違いなく執筆の活力の源でした。こんな長い話は私一人の貧弱な精神力ではやっていけませんでした。本当にありがとうございます。
同時に自分の未熟さをしみじみ感じた作品でもあります。特に学園編は、ものすごく駆け足になってしまったり、姉妹対決が書けなくて断念したりしていたので、少しばかり悔いも残っております。
書籍最終巻では(出せればの話ですけど)そこのところを改めて再編できればと思っております。
以下、我欲丸出しな宣伝を二つ。
宣伝①
書籍全三巻発売中です。
宣伝②
新作始めました。下のリンクにあるやつです。お暇な時にでも、どうぞ。
それでは宣伝もしたので、改めてお礼を。
一から十までクリスが暴走し続けていたこの物語に付き合ってくださって、まことにありがとうございました。
ここまでお付き合いいただいた皆様と、またどこかでご縁がありますよう、祈っております。
それでは。




