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「もう一回だ!」
寮の自室で、高らかに私の声が響いた。
「もう一回、もう一回だっ。もうちょっとで勝てたんだっ。序盤の油断さえなきゃ、この私が負けるわけ――」
「はい黙りなさい。レオン。入っていいわよ」
「お? 終わったのか?」
私の訴えを却下したサファニアが、部屋の主である私の意向を無視してレオンを招き入れる。
たぶん、メイドに事前に話を通してあったのだろう。外で待機していたらしいレオンが合図と同時に入室する。
「終わったわ。だからこの精神年齢五歳の十七歳児を連れていきなさい。……このおバカのことだから、逃げるわよ、絶対」
「ほいほい」
勝負の撤回が効かないと判断するや身をひるがえそうとした私を、レオンが後ろから羽交い絞めにする。
読まれていた。だが拘束された程度で私が諦めるはずがない。私は機転が効く女だ。
「やめろヘタれ! 私にこんなことしてただですむと思ってるのか!? 私はノワール家の息女だぞ! 平民出のお前ごときが軽々しく触れていいと思ってるのか!?」
「へー」
何の後ろ盾もないレオンなんて、私の権力にかかれば一撃で木っ端みじんだ。
高貴な身分を振りかざす私に対し、レオンは怯える様子もない。むしろ愉快そうな声を出す。
「お前のおっしゃるとおり、俺は庶民だからお前が本気で訴えたら一族郎党牢屋に入れられるなぁ。学校も退学だろうな。親も職を失って、家族そろって路頭に迷うなぁ。人生お先真っ暗だわ」
「そうだろ。わかったら、離せ。今なら寛大な心で許してやる」
「うんうん。……で? クリスティーナは、俺の人生つぶす覚悟あるわけ?」
「お前そういうこというのかよ!?」
弱さを振りかざすレオンの論法に目をむいて叫ぶ。
いつの間にこんな卑怯な理屈を覚えやがったんだ。信じられないと見上げる私に、レオンはけらけらと楽しそうに笑う。
「クリスティーナはいいやつだから、そんなことできないよな。知ってる知ってる」
「黙れ! プライドないのかお前は! ていうか私、悪役令嬢だから、そのくらいはやるぞ!?」
「はいはい。結局悪役令嬢ってなんだったんだよ」
「どうせ変な役作りでもしてたんでしょう。だいたい私の予想どおりだったわね」
「そもそも賭けをしてサファニアに負けたんだよな。おとなしくしろよ。どうせ煽られたにせよ、自分でも条件に納得して勝負したんだろう」
「ま、負けてな――いや、負けたけど、まだ一回だけだぞ!? それになんだどうせ煽られたからって!」
「やーい。クリスティーナ、今日一日でミシュリーとサファニアに負けてやんの」
「ぶっコロすぞレオン!」
子供みたいなヤジを飛ばしてきたレオンに吠える。
ミシュリーとの弁論会での敗北の原因はマリーワだし、サファニアとのボードゲームは私の序盤の油断が原因だ。いままで幾度となく対戦し、そのほぼすべてに勝利をおさめていたのだ。それがたった一回の敗北で台無しになるというのは納得がいかない。
「もうちょっと、もうちょっとで勝てたんだよ!」
「クリスティーナって、肝心な時の賭け事には弱いよなぁ。そんでもって、煽り耐性が全くないのが弱点だよ」
「見苦しいわね、本当に。子供の頃の勝利数を振りかざすなんて、幼稚としか言いようがないわ」
「楽しそうだなぁ、サファニア」
「あら、当然よ」
私の訴えをすべて無視し、鼻歌でも歌いだしかねないほど上機嫌なサファニアが先導して扉を開ける。
「調査と準備も含めて、三年もかけたんだもの。おかげさまでとっても見苦しいクリスを見れて、楽しくないはずがないわ」
「すげえよ。ひねくれてるを通り越してねじくれてるよ」
「いーいーかーらー、はーなーせぇ!」
サファニアの先導のもと、レオンがじたばたと暴れる私をずるずると引きずって廊下を歩く。
駄目だ、このままだとマリーワのもとまで連行されてしまう。何とかそれだけは阻止しなくては、私の身が危険だ。
「くっそ! レオン、お前男子だろっ。女子寮に入ってくるな!」
「今更それかよ。ちゃんと許可はとってあるに決まってるだろうが」
「そうね。たまに私の部屋に招いてるもの。今更だわ」
「サファニア! お前、男子を部屋に招いたりするから悪女とか言われるんだよっ!」
「友達部屋に呼んだだけでそれとか、貞操感高いな、おい」
必死の抵抗もむなしく、三階から階段を下りてそろそろ出口にたどり着く。寮から出てしまったら、おそらくマリーワがいるだろうところにはそう距離はない。
「そもそも私、なんかマリーワに謝らなきゃいけないことしたか? してないだろ? じゃあ謝んなくてもいいじゃん!」
「ならミス・トワネットの前に出ても何の問題もないじゃない。良かったわね。堂々としてなさい」
「そういう問題じゃないんだよぉっ」
「ははっ。この騒がしさは、昔の教会に集まってた時を思い出すな。懐かしい」
「そうね。だからミス・トワネットに会いに行きましょう。それでこそ、全員揃うわ」
「や、やめ――はなせぇ!」
誰か助けを。このままだと私は獄卒の贄にされる。別になんにも悪いことしてないはずなのに、ミシュリーを救う前に地獄に落とされる。その前に誰かに助けてもらわねば。
ここは学園の寮内だ。私の取り巻きもいる。助けを求める人材に事欠かない。
私は必死に周囲に知り合いはいないかと見渡す。
「く、クリスティーナ様?」
そうして周囲にいた唯一の顔見知りを確認し、私は絶望した。
「いったい何をされていますの?」
羽交い絞めにされている私を見て、おそるおそる近づいてきたのは、フリジアだった。
なぜよりによってフリジアなのか。他に誰かいないかと改めて見てみても誰もいない。
二つにまとめた金髪をくるくると巻いた彼女を見て、サファニアはつぶやく。
「あら。クリス二号じゃない」
「クリス二号だとぉ!?」
まさかの評価に叫んでしまう。
いくらなんでもフリジアと同一視されるのは心外だ。弁論会でミシュリーに負けたり、ボードゲームでサファニアに負けたりしてプライドが傷つく日だったが、今のは今日で一番傷ついた。
「そ、そんな、クリスティーナ様二号だなんて……」
途方もないショックを受ける私とは対照的に、過分な評価をもらったフリジアは照れ照れとほほを染めている。
その表情を前に、サファニアはむっつりと口をへの字に曲げた。
「……おかしいわね。バカの最上級表現で喜ばれたわ」
「私は大いに傷ついてる」
「そう。ならよかったわ」
傷心の私を満足そうに眺めるサファニアをよそに、レオンがフォローを入れる。
「イスタルさん。見ればわかると思うけど、こいつら噂とは違ってもともと仲がいいんだよ。これもじゃれ合いじゃれ合い。だから気にしないでおいて」
「え? ええっと、そうなんですの?」
「フリジア。こいつらにだまされるな。こいつら疑いようのない悪党だ。何も聞かず何も言わず、とりあえずロナかカタリナを呼んで来い」
「は、はい。かしこまり――」
「……ちょっと待ちなさい」
「ひっ」
会話の途中で差し込まれた冷ややかな一瞥に、根は小心者のフリジアはびくりと震える。
サファニアは冷ややかな美貌を持つので、外見だけで相手を威圧できるのだ。
「クリスが一人で連れていかれるのが不安だというのなら、別にほかの人を呼ぶ必要はないわ」
面白いこと思いついたというサファニアの顔に、私の不安は膨れ上がった。絶対にろくなことを言わないという確信がそこにある。
「お、おいサファニア。お前何を――」
「あなたも一緒に来ればいいじゃない。それでちょうど二対二になるでしょう?」
「あら。それもそうですわね!」
「――サファニアお前いい加減にしろよ!?」
なぜか乗り気になったフリジアと、どこまでも私を追い込もうとするサファニアの提案にでた悲鳴は、絶叫に等しかった。




