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運命が木っ端みじんに砕け散った。
「……終った」
弁論会を終え、寮の自室に戻った私はベッドに倒れこんだ。
柔らかいベッドの感触は、私を優しく受け止めてくれる。
けれども私は、残酷な現実を受け止め切れていなかった。
完全に運命が終了を告げた。
どういうことかといえば、マリーワが、完全に敵だった。というか、正しく審判だった。話を人格攻撃にすり替えようとすると、すぐさま是正してくる。まるで台本通りにいかない展開だった。
おかげで弁論会は大変有意義なディベートだった。
そういう問題じゃないけどな。
「しかも、負けたし……」
天才ともあろう私が、ディベートにおいて敗北を喫してしまった。
いや、もちろんそれは私が悪役令嬢としてふるまうことを前提としていたからで、だから論理的な攻勢に出れずにミシュリーに負けちゃっただけで、題材が別のもので真っ向勝負すれば負けるわけないから私の姉としての尊厳は崩れてないから。
それはさておき、問題はこれからのことだ。
「なんで、うまくいかないんだろ……」
枕をぎゅっと抱きしめて、愚痴が口からこぼれ落ちる。
ミシュリーが入学してから頑張ってきたというのに、万策尽きた。運命に沿うように振舞っていた私の三年間が無為に終わった。私はこれからどうしていけばいいのだろう。
なんにも、わからなかった。
そうしてベッドにうつぶせになって、いつの間にほんの少し寝てしまったようだ。
まどろみから目を覚ますと、私の部屋の椅子に、なぜかサファニアが座っていた。
「いいざまね、クリス」
私が目を開けたのに気がついてか、サファニアは読んでいた本を閉じて冷たい瞳で私を見下ろす。
「……何の用だ」
一瞬、夢かなにかかと思ったが、いまは間違いなく現実だ。
いったい誰が入れたのか。
いや、わかってる。たぶん、メイドが入れた。この部屋付きのメイドは私がサファニアと交流があったのを知っているから、入室させたのだろう。
けど、サファニアは何をしに来たのだろうか。
学園に入学して以来、一度の例外を除いて積極的に私と接触しようとしなかったサファニアがどうして今になって私の部屋に足を運んだのか。ディベートに負けた私を罵りにでも来たのか。うん、ありそうだ。
そう思ったが、テーブルに置かれているものを見て意見が変わる。
「久しぶりにボードゲームで遊ばない?」
「……」
本当に、何を企んでいるのか。
まさか昔みたいに遊びたくなったというわけでもあるまい。そもそも、サファニアのほうから私のところに来ることなど、昔ですらなかったことだ。
だが、別にいいやと思う。
「……わかった」
むくりと起き上がって、思考を放棄する。
もう、どうでもいいのだ。私は、失敗した。ミシュリーの将来を助ける絶対の保証がある道を失った。
「気晴らしぐらいにはなるだろうしな」
「そう。聞き分けが良くて助かるわ」
対面に座り、駒を初期配置に並べていく。このボードゲームで遊ぶのも久しぶりだ。
先行は譲ろうと思ったのだが、サファニアが無言のまま先手を促してきたので、ありがたく先に手を進める。
序盤、大きな動きも目新しい手もなく、お互い駒を進めていく。
「私ね、あなたが年々退化していると思っていたのよ。クリスはどんどんバカになっていくな、面倒くささが増してくなって、そう思っていたの」
「お前って、ほんと自然体で失礼だよな」
「妥当よ。悪いとも思わないけど、私はこの世で最もあなたのことを妥当に評価していると自負しているわ」
「少しくらい悪いとも思え」
昔みたいに言葉を交わしながら、駒を進めていく。なぜだか、三年間の溝もなく当たり前のように会話ができる。
そのまま初期配置から進めていき、中盤へ。
「でも最近、気が付いたのよ。別にあなたが退化していたわけじゃなかったっていうことに」
「当たり前だろ。私は常に進化し続け――」
「いいえ」
私の言葉を遮って否定する。
「あなた、成長してないだけなのよね」
ぴたり、と駒を進める私の手が止まった。
サファニアの言葉に、というわけではない。
中盤の混戦。
まだ勝負が決まるような段階ではないが、形勢は私の不利に傾いていた。
盤面から顔を上げると、サファニアは誇るでもない当然のような顔をしていた。
「私があなたに勝てないと思ったらそれはとんだ勘違いね。周りを見ないで立ち止まってるあなたに負け続けるほど、私はノロマじゃないのよ」
「私が、負けるって?」
心に火が点く。
そうだ。こんなところで腐っていてどうする。
私は天才であり、負けず嫌いなのだ。
私は、妹を救う。運命などいなくても、味方が一人もいなくとも、私はミシュリーを救ってみせる。
「ええ、あなた、負けるわ」
「なめるなよ、サファニア。そしてついでに礼を言ってやる」
駒を一手、進める。
サファニアに煽られて、先ほどまでなくしていた意気が私の心に戻ってきた。
「お前のおかげで思い出した。私は、やるべきことをやり通す。そのために私は生まれてきたんだ」
「少しはマシな顔になったけれど、相変わらず現実が見れてないお馬鹿さんね。人が生まれてくるのに、理由なんてないわ。やるべきものなんていうのもない。やりたいことのために、やれることを積み上げていくだけよ」
気炎を上げる私に対し、サファニアは冷ややかなままだ。
「でも、そうね。せっかくだから、賭けをしましょうか」
「ほほう」
思い出したのは、いつかの祭りの時のことだ。あるいは、エンド殿下との初対面。
いつかのように相手を選ばず掛け金を積むことも、白紙の書面に署名するような真似はしない。いや、あの時だってレオンと殿下が悪かっただけだけど。
「何を賭ける?」
「あなたが負けたら、謝りなさい」
「……お前にか?」
「はぁ?」
サファニアが不機嫌そうに眼を細める。
「なに? クリスは私に謝らなきゃいけないことでもしたの? 言ってみなさいよ」
「いや、どっちかっていうと、私はお前に謝られたい」
交流を一方的に絶ったのは私だが、それでも衆目で罵られたのはかなりショックだった。私にも非があったし黙って聞いていたが、恐ろしいレベルの罵詈雑言だったのだ。
あれが完全に私とサファニアの立場を確立させた。いま思えば、あの時点で運命の歯車が狂っていた気すらする。
「そう。なら私が負けた場合は、私があなたに謝るわ。なんなら、大勢の人を集めてその衆目で頭を下げても構わないわよ」
しまった。
内心で舌打ちする。
先に条件を積まれてしまった。しかも私から求めたみたいな形だ。こうなると撤回しづらい。
「……私は誰に謝ればいいんだ? もしかして、ミシュリーか?」
「なんで私があなたとあの性悪の橋渡しをしなきゃいけないのよ。バカじゃないの」
サファニアが忌々しそうに鼻を鳴らす。
「性悪とバカで一生姉妹ケンカをしてなさいよ。その方が愉快だわ」
「誰が性悪だと?」
「ふっ」
反射的に睨み付けてしまった私に、サファニアが冷笑を浮かべる。
「結局、相変わらずの妹狂いね」
ぐっ、と言葉に詰まる。
さっきから失言が多い。弁論会で失敗で弱気になっているのと、相手がサファニアだからと、気を抜きすぎていたのだろうか。
「ま、それはおいておいて、謝る相手ね。少し考えればわかるでしょうに。私がどうしてわざわざ、たいそうな名目を掲げてミス・トワネットを学校に呼んだと思っているの? あの人は、道理と名分がないと動かないから、苦労したのよ」
「……は?」
「ミス・トワネットに謝りなさい」
ぴきん、と顔が固まった。
凍りついた私の表情に、サファニアは心底うれしそうな笑みをこぼす。
「ふふふ。そうよね。あなたの、そういう顔を見たかったのよね」
「さ、サファニア。お、まえ。もしかして、マリーワを呼んだ理由って……」
「決まってるじゃない」
サファニアは怜悧な美貌によく似合う、得げな冷笑を浮かべる。
「全部、あなたへの嫌がらせのためよ?」
「……」
よし。
いまから私、本気出すから。




