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講堂には、多くの生徒が並んでいる。
半強制的に集められたイベントを前にして、あるいは退屈そうな顔をし、あるいは居眠りを決め込んでいるものもいる。一握りの真面目で勤勉な生徒だけが、意欲と興味を持ってイベントに臨んでいた。
その中にいる私は足を組んで尊大に座っていた。
一つのテーマを扱い論議を交わすためのイベントだ。そこで討論者として選出されたこの数いる生徒の中で、私は才覚を示して認められている。その事実は、私の自尊心を潤してくれている。人に認められるのは好きだ。それは、褒められるのと少しだけ似ている。
だが、私はこの場でミシュリーと対決をする。
私にもそろそろ後がないのだ。
はっきり言って、いまの状況が失敗しかかっているという自覚はある。唯一確実だったはずの運命の道筋が、どうしてもかみ合わない。私の理想と現実には明らかに差異がある。まだ埋めようがないというほどではないにしても、物語も序盤を終えて中盤に差し掛かる。このまま放っておいたら軌道修正が不可能になる。
だからこそ、今日、じきじきに私がミシュリーと対面するこのイベントで、びしっと悪役令嬢たる私をこの学園の生徒の、なによりミシュリーの目に焼き付けるのだ。
生徒の代表としてのエンド殿下の挨拶が終わる。退屈なそれを聞き流しながら、私はもうすぐ来る時間を待ち構えていた。
後は審判役とテーマを発表してディベートの始まりだ。私も壇上に上がり、ミシュリーと向かい合うことになる。
そうして予定を考えていると、エンド殿下と入れ替わりで一人の生徒が入ってきた。
冷たく吊り上がった切れ長の瞳。一歩前に進むたび、重く伸びた髪を揺らし、決して高くはない身長をヒールで底上げして壇上に立ったのは、サファニアだ。
「……ん?」
予想外の人物の登場に、思わず疑問符が口からこぼれる。
このタイミングで出てくるということは、もしやサファニアが審判役なのだろうか。例年通りならば生徒会のメンバーが審判役をするはずだが、何をどうすればサファニアに白羽の矢が立つのか。
そうした疑念を抱いている私をよそに、サファニアはまっすぐ顔を上げる。
「ごきげんよう、サファニア・カリブラコアです」
そこだけは昔と変わらないぶすっとした表情のまま発したやる気感じられない静かな声は、不思議と講堂全体によく響いていた。
「今回の弁論会の企画に少しばかり関わったものとして、ご挨拶の機会をいただきました。わずかな時間をいただけたらばと思います」
サファニアの登場に、講堂が一瞬だけざわめく。
引きこもり気質のあいつがこうして人前に出てくることは珍しい。サファニアは人嫌いなので注目されるのを嫌っている。だが、その割には校内の有名人でもある。この私に堂々とたてついている人物ということで名が知れているのだ。
そんな観衆の動揺を気にしたそぶりもなく、サファニアは続ける。
「私が今回の企画にかかわったのは、審判役についてです。特に学び始めの一年生が勘違いしがちですが、ディベートととは相手を言い負かすこと目的としているわけではありません。テーマを論議し、己の論舌の正当性を第三者に認めてもらうための技術を養うことこそ目的です。そのため、ジャッジの難易度と重要性はある意味論者よりも高いと言えるでしょう」
人見知りのくせに、大勢を前にした演説で特に緊張した様子も見せない。
嫌々やってますよというのがにじみ出ているが、ある意味では堂々としたものだ。あまり好印象は受けないだろう。そしてサファニアは別に構った様子もない。
「いま言ったとおり、ディベートの審判は公正でなければなりません。しかし学内には、身分や立場を考慮してしまう人間もいることは悲しいながら事実です。高貴な血筋、家柄の生徒が多く集まる我が校です。その人の背後にある権威に影響されることは、教員あれないとは断言できません。生徒にジャッジを任せれば、そこに学内での交流関係も加わり、なお一層公正さが欠如する怖れがあります。その人が言っているから賛同する。そう思わせるだけの影響力を持っている人物が学内にいるというのもまた周知のことでしょう」
こっち見るな。
いいんだよ、私は悪役令嬢なんだから。そこにいるだけで、相手の反論を押しつぶすような威厳を持っていて当然なのだ。ていうか、私のいる場所がよくわかったな。
しかし、話の流れを聞いてもわからないのは、そもそも審判役の調達なんて、どうしてサファニアがやっているのかということだ。まさか今更サファニアが教育に目覚めたという線はありえない。あいつ、根の部分が怠惰だからだ。
何か目的があるはずだが、あのサファニアが人前に出てきて演説するくらいだ。よっぽどだろう。
「例年では生徒の代表として、生徒会のメンバーが審判役をこなしていましたが、いくら優秀である彼らでも、同じ生徒という立場です。そのため今年は、学外から審判役を委任してはどうかと私から提案をし、生徒会が承諾しました。それを実現するために……はぁ。なんでもありません。とりあえず、今回の弁論会でジャッジを引き受けてくださった方をご紹介します」
途中でめんどくさくなったのか、口上を省略した。
大丈夫か、あいつ。
こんな大勢の目があるのに人目をまるで気にしていない態度には、思わず心配をしてしまう。
とはいえ、サファニアも私になんか心配されたくはないだろう。余計なお世話をやめにして、今加わった要素を加味して弁論会のイベントの進行を検討する。
少し、自分の思い通りに話を誘導するのが難しくなるだろうか。生徒会のメンバーだったら本人たちの性格も知っているから、ことが運びやすかったのだが、仕方ない。それにディベートの判断を下すのが誰であろうと私のやることは変わらない。私があそこでやるべきことは、ディベートを出しにして、ミシュリーに悪意をぶつけることなのだ。
そう、私がやるべきことはただ一つ。ディベートに励むことではなく、悪役令嬢として――
「今回の件を引き受けてくださったのは、識者として著名なマリーワ・トワネット女史です」
「…………」
そう、私がやるべきことはただ一つ。
舞台の下手から現れた長身痩躯の悪鬼羅刹の衰えが一切見えない姿を視認して、決意する。
ここから全身全霊全力で逃げなければ!




