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「……疲れた」
あの後なんとか部屋に戻った私はそのままベッドに倒れこんだ。清潔なシーツと柔らかいマットの感触に身を沈め、枕に顔をうずめる。
こんな情けない顔を見られるわけにもいかない。どんな顔かは言わないけど、人に見せられない。だからこうやって隠しておくのだ。
「ああ、でも、そっか」
運命の分岐について、ちょっとだけ謎が解けた。
例えば今日、行われているはずのイベントだ。嫌がらせも兼ねて、私が取り巻きを使ってミシュリーを途中退席させようと画策したというのが今回のイベント筋である。
これに対してエンド殿下のルートならエンド殿下が仲裁にはいるし、シャルルルートの場合はシャルルのフォローがはいる。レオンの場合も同じくだ。
だがルートが分かれている場合って、現実ではどうなっているんだろうと思っていた。
その答えは簡単で、あの場にシャルルがいたからシャルルはイベントに入ることがなかったのだ。
つまり、エンド殿下のルートに入った時はシャルルがこっちに残るということなのだろう。そして悪役令嬢こと私に会っていたから、ミシュリーとのフラグが構築されることもなかった。
そういう意味では、ちゃんとエンド殿下を運命の道筋に入れてあるということで安心はできる。
けど、裏でこんな話があったなんて、私知らないし。
「お嬢様。はしたないですよ。お戻りになったら部屋着にお召し変えぐらいはしませんか?」
「後で……」
メイドの申し出に、ごろんと寝返りを打って答える。仰向けになったまま、枕をぎゅっと抱きしめて顔を隠したままだ。
「……せめてお風呂くらい入りませんか?」
「だから後で」
「はいはい、かしこまりました。後で、ですね」
「うん……」
呆れたような返事に、あいまいにうなずく。
もういいや。今日は一晩こうしてよう。そのうち眠くなるだろう。そうして寝て起きたら、心も落ち着いているはずだ。
たぶんだけど、私の自惚れじゃなければシャルルはいまだ私に好意を寄せてくれている。それシャルルがルートから外れる条件なのだろう。レオンは知らん。たぶんサファニアが原因だ。
でもこれから、シャルルとどう顔を合わせていけばいいんだろう。
エンド殿下のルートにおけるクリスティーナの最後は修道院送りだ。そんな私が、昔のままシャルルと仲よくするわけにはいかない。
そうしてまとまらない考えをまとめようとしながら、うとうとまどろんだ時だった。
「クリス様ぁ!」
扉の外で響いた声に、心が一気に落ち着いた。
やかましい叫び声に半強制的に目を覚まされた私は、ベッドからむくりと起き上がる。
いまの声はフリジアだ。一晩かけて冷静になろうとした頭が冷却された。便利だ。フリジアにこんな使い道があるなんて知らなかった。
「クリス様、いらっしゃいますか! フリジアですっ、クリス様に忠実なフリジアですわ!」
うん、一声聞けばわかる。
頬に手を当てて顔の温度がいつもどおりになっていることを確認してから、部屋のメイドに目で合図を送る。外でうるさくされても迷惑なので、部屋に入れてやろう。
「いま開ける、フリジア」
私の心を落ち着かせたご褒美に、礼儀知らずの失態は責めないでおいてやる。
しかしパーティーが終わって帰ってきたにしては少し早い。たぶんなんかやらかした結果、早く帰されたのだろう。
ああ、やだやだ。
どんな大問題を引き起こしてくれたのだろうか、いったい。まったく、世話をする身になってほしい。
そう思って入ってきたフリジアを見たら、泣いていた。
「ミシュリーちゃんが、ミシュリーちゃんがぁ……!」
転がるようにして部屋に入り込んだフリジアは、目に涙をためていた。
なにがあった。
思わず唖然とする。
さすがに泣いているなら事情を聞かざるを得ない。ただそれよりも、さっきの言葉が引っかかる。
「ミシュリー『ちゃん?』」
「あ、いえ……」
私の指摘に、はっと正気に返って口ごもる。
「とと、とにかく、ミシュリーがひどいんですの!」
「ふーん」
涙を引っ込め身を乗り出して訴えるフリジアに素っ気なく応じる。
何を勘違いしたか知らないけど、私の妹が誰かにひどいことをするわけがないからな。
「そんなことより、私の命令は遂行できたのか?」
「そんなこと!? ……い、いえ! わたくし、ちゃんとやり遂げましたわ!」
「お? そうなのか?」
てっきり失敗したからベソをかいてたんだと思ったけど、違うのか。
しかし、もとより近づいて飲み物をかけて、台本通りの言葉をしゃべるだけの簡単なお仕事だ。イベントって本当にワンシーンのみだから、それはちゃんとやってくれたようだ。
そのあとで問題が起こったのだという。
「わたくしがミシュリーにぶつかって飲みものをかけた後ですわ。ミシュリーがよろめいたふりをして、わたくしの腕を掴んで引っ張り、近くにいた飲みものを運んでいた使用人にぶつかって、もろともに頭からかぶるハメに……」
それはさぞかし悲惨だっただろう。
「あんな人前でびしょ濡れにされて……ひどい恥をかかされましたわ!」
「へー」
フリジアの泣き言を聞き流しつつ、本来のシナリオと比較する。
多少派手になってはいるものの誤差の範囲だろう。
「ミシュリーいきなり飲みものかけられて、驚いてよろめいたんだろうさ」
「いえ、あれ絶対わざとですわ! あの子、早く帰りたいからあんなことしでかしたんですのよっ」
「なんでミシュリーが早く帰りたがるんだ?」
「理由はしりませんけど、なにやらぶつぶつ不気味なことを呟いてましたもの。間違いありませんわ!」
大天使のミシュリーが他人を巻き込んでそんな騒動を起こすわけがないから過失に決まっているのに、フリジアはなおも故意だと主張する。
ミシュリーの属性が善良なのは一目みればわかるだりうに、フリジアは見る目はないから仕方がない。
「で、どうしたんだ、その後は」
「はい。その後、ミシュリーはすぐに帰りましたわ」
「ん?」
首が斜めになる。
「それはおかしいぞ」
「はい。服も髪も濡らしたままで帰るのは確かにおかしいですが……よっぱど急ぎのようだったのかもしれませんわ」
「いやそういうことじゃなくてな」
その後は、エンド殿下と二人きりのイベントがあったはずだ。飲みものをかぶり、自分の養子という立場を嘲笑され落ち込んだミシュリーとエンド殿下が少し交流する場面があったはずだ。
どういうことかと困惑する私に、フリジアは事情説明を続ける。
「わたくしは髪も整えたかったですし、少し身支度を整えていましたの。あ、そうですわ! その時にエンド殿下が別室に案内してくださって少しお話しをいたしましたわ。近寄りがたいと思っていましたけど、殿下って意外と気を遣ってくださる――」
「なんでお前がエンド殿下とのフラグを立ててるんだよアホか!」
「――ふぁんあでほうをふねるんでふの!?」




