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王立学園の敷地内に学生寮。
その寮の一室で、二人の少女が暇を持て余していた。
「暇っすね」
「仕方ありません。逃げるためとはいえ、一週間も外出申請を出しましたから、あまり大っぴらに歩くわけにもいきません」
ロナとカタリナの二人である。
雑な手段でクリスから逃げてから早四日。二人は、一緒の場所でかくまわれていた。
最悪クリスに実家まで追いかけられることを見越していたので、その逆をついて寮にかくまわれていたのだ。
必要以上に広々した寮の一室だったが、そこにこもりきりというのは若い少女にとっては息苦しいほど退屈だった。
「もう四日目ですか。クリス様の悋気も時間とともにおさまってくれればいいのですが」
「どうっすかね。……お」
離れた身分とは裏腹に仲が良い二人であるが、四六時中一緒にいれば会話の種も尽きる。
行儀よく椅子に腰掛けているロナに対し、カタリナ不意に席を立つ。そのまま窓際に寄って外をじいっと見つめていたかと思えば、手鏡を使って外に向けて光を反射させていた。
「あ、やっぱりまだ怒ってるっぽいっすね。なんかクリス様自らファンクラブ解体したみたいっす」
「……あなた、その怪しげな行為に意味はありますか?」
「もちろんっすよ。外にいる部員と交信してるっす。今のもそっから情報のっすよ」
「こう、しん……」
聞かされたロナは絶句する。
怪しげな儀式にも見える行為に、くらりと眩暈がした。
「あなた、新聞部ですよね」
「そうっすよ?」
「……スパイか何かじゃありませんよね?」
「あははっ。ロナ様、娯楽小説の読みすぎじゃないっすか? こんな分かりやすい情報のやりとりなんて本職がするわけないっすよ。こんなのお遊びっす」
カタリナがごく当然といった顔を返してくるので、それ以上の追及はやめる。いまの発言が荒唐無稽なのは事実だ。新聞部が光信号を使っているというわけわからない事態にはめをつぶる。カタリナの言動がまるで本職のなんたるかを知っているかのようだったが、それにも気がつかないふりをする。
「そ、そうですか。それにして、よく外出申請が通りましたね」
「そりゃまあ」
動揺をごまかすために他の疑問を口にする。実際、この学園は外出申請に関しては厳重だ。平時に一週間ともなると、それこそ親族の冠婚葬祭ぐらいしか許されない。
カタリナは得意げに頷いた。
「あたし、寮母と一部教師の弱みを握ってるっすから、これくらいは楽勝っす」
「いま最低なことを聞きました」
「あはは。いいじゃないっすか。だからこそ都合よくことが運んだんですし」
ジト目になるロナに、カタリナは悪びれた様子もなくからからと笑う。
「まあ、それはそうですけど……あなたはなんでそんなものを握っているんですか」
「ロナ様の不正を嫌悪する気持ちは好きっすよ。それはさておき、ファンクラブが今更ばれるとは思わなかったっす」
「そうですね」
釈然としないロナの様子を見てか、カタリナが話題を切り替える。
カタリナは半ば冗談で、そしてロナが恐るべき行動力で設立してしまったものだ。
本人の未承認でそんなものを作って怒られないはずはないという自覚はあったので、
案外、クリスは周りが見えていないところがあるから平気だと踏んでいたのだ。
「しかし解体ですか。なんだかんだ、苦労して運営していたのですけど、終わるときは一瞬ですね」
「そうっすね。あれ、色々と便利だったんすけど、解体されちゃしょうがないっすよね」
「……便利?」
「なんでもないっす。それにお陰でここに招待されたとも言えますが……おっと」
会話中にも何やら交信をしていたカタリナが、すっと身を引く。
「……どうしました?」
「お姫様のお戻りっす」
茶化した表現だったが、ロナは顔を引き締めた。
二人をここに匿ってくれた人物が帰ってきたのだ。
程なくして、この部屋の主が戻ってきた。
この部屋。
学生寮の三階。
侯爵家以上の格を持つ人間のみが主となることを許された部屋だ。
「ただいま戻りました。……どうですか、ここの居心地は」
「お世話になってるっす」
「ありがとうございます」
カタリナが気さくに、ロナは礼節をもって頭を下げる。
対照的な二人の礼に、にっこりと笑って答える少女がいた。
「気にしないでください。私一人では広すぎる部屋ですから」
空の青と地上の緑を混ぜたような、碧い瞳。ちょっとしたしぐさでふわりと揺れる金髪は肩甲骨のあたりまで伸びているが、淑女にしては短い。だが、欠点ともいえる特徴さえかわいらしさに押し上げている。
ミシュリー・ノワール。
クリスの妹君に当たる少女に、二人はかくまわれていた。
「あはは。お恥ずかしいっす。クリス様に怒られて、その妹様にかくまわれるなんて、不思議っすね」
「お姉さまも、照れくさいだけだと思います。あれで、恥ずかしがりやなところもありますから、反動で過激なことをしてしまうこともあるんです」
本物の高位貴族しか許されない場所。三階。
ふと、ロナは思った。
ミシュリーは公爵令嬢である。だから今までロナは彼女が三階にいてもおかしくはないと思っていた。
だが同時に、彼女は養女でしかないはずだ。
果たして、彼女はここにいられる資格があっただろうか。もしノワール家の養女としてこの部屋を与えられているわけでなかったら、どのような格で彼女はここにいること許されているのか。
ロナが気がついた違和感を知ってか知らずか、カタリナは楽しげにミシュリーと会話を交わしている。
「でも、大丈夫ですよ。お姉様も、そのうちそれどころじゃなくなると思いますから」
「そうっすか。まあクリス様のことですから、イスタル伯の娘さんの世話で手一杯になりそうな気はするっすね」
「……フリジアちゃんは、お姉様とあわせたくなかったんですけど」
「なんでっすか? 相性よさそうじゃないっすか」
「相性が良すぎるからですっ。……ところで」
考え込むロナに、ついっと視線をうつしたミシュリーが優しく微笑む。
「どうかしましたか?」
「……あ、いえ」
尋ねるべきか、逡巡する。
あるいは今は黙って、無駄に情報通のカタリナに相談しようかとも思った。
だが、合わせた碧眼にびくりと肩を増えるわせる。
その目は、ロナの中身を丸ごとくり抜いて呑み込んでしまいそうなほど、透き通っていた。
「……どーしたんすか、ロナ様」
「え」
カタリナに肩をを揺すられ、はっと我に帰る。数秒、放心していたようだ。
そんまロナをミシュリーが不思議そうに見つめていたが、その目をまっすぐ見返す勇気はロナにはなかった。
「な、なんでもありません。本当に何も」
「そうですか? よかったです」
二つ年下の少女に底知れぬ恐ろしさを感じたロナは、そっと目を伏せ、自分が先ほど思いついたことは胸の内に沈めることに決めた。




