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子供同士の友情による秘密の錠は、時としてどんな錠前破りにも解けぬ力を持つ。
子供にとって友達同士の秘密とは破りがたい約束だ。大人相手の脅迫にさえ揺るがない強固さを誇る。ゆえに今夜のことは友達となった私とシャルルの胸の中で永遠に秘されることになるはずだ。
「ふっふっふっふ」
思い描いた青写真通りの結果に私は満足感に浸っていた。
いろいろ迷走したが、終わってみれば私の大勝利だ。私をあわやのことろまで追い詰めた難敵のシャルルは、対応さえ間違えなければたやすい相手であった。天才たる私のライバルとなるには今一歩及ばなかった。
「ふふふ、ふふふふふふふふ」
「なんでクリスわらってるの?」
「ふふふふ……うん? そりゃあれだよ。シャルルと友達になったのが嬉しいんだよ」
本当のことを赤裸々に明かすわけにはいかないので適当にごまかしてからあることに気がついた。
私の遠大な計画によってシャルルと友達になったが……思えば、私だって対等な友達ができたのはこれが初めてだ。
「……ふむ」
「あ」
口元がちょっとほころんだのを、憎たらしいくらい目ざといシャルルが気が付いた。
「クリス、またわらってる」
「いいだろ、別に。……ああ。そうだシャルル」
ふと思いついて質問する。もちろん公の場だったら私も身をわきまえるが、友達同士なんだから私的な交流である今は敬語も尊称もなしだ。
「そういえば、シャルルはなにしにここに来たんだ?」
考えてみればシャルルはあのダンスホールにいなかった。会場に第三王子がいるとなればまず間違いなく公爵令嬢の私との顔合わせはあるはずだからそれに間違いない。
となると、シャルルがここにいるのはダンスホールで行われている舞踏会とは無関係ということになる。
「ほんをよみに来た」
「ほー」
その言葉から推察するに、単純に部屋から抜け出してここまで来たらしい。
言われてみればシャルルは登場時からずっと本を抱え持っている。かなり分厚い本だが、表紙を見てみると絵本のたぐいのようだ。
だが、と私はあたりを見渡す。
庭園であるここは外であり、いまは日も落ちた夜中だ。月明かりで足元を確認するぐらいならできるが、文字が読めるかといわれれば首をかしげざるをえない。
「読めるのか?」
「くらいからむり……」
思った通りの返答だ。しょんぼりと肩を落とすシャルルに苦笑する。
「だろうな」
おそらく日中にここで本を読んでみて、心地が良かったのだろう。その経験のまま夜に抜け出して、いま失敗しているというわけだ。
子供らしい考えなしが、ちょっとほほえましい。
「なあシャルル」
せっかくだ。まだ少し時間もあるし、道具もそろっている。シャルルに私に叩き込まれた礼儀作法を披露してくれよう。
「ちょっとその本を貸してみろ」
「いいけど、どうするの? クリスはくらくても文字がよめるの?」
「ふっふっふ。シャルル。ひとつ覚えておけ。本というのは、何も読むだけが能ではない」
不敵に笑った私はシャルルから受け取った本を頭の上に乗せる。そのままくるんと回ってドレスを翻し、一回転。私の頭上に乗った本は、ぴたりと静止して揺るがない。
「どうだっ。本はこうして大道芸の小道具としても使えるんだぞ!」
「おぉ!」
バランスよく本を頭に乗せた私に、本日二度目の拍手。礼儀作法の成果を発揮した私は、うむと満足する。せっかく習った大道芸だから、誰かに披露してみたかったのだ。
大道芸も披露したし、あとマリーワから習ったもう一つもこの機会に試してみよう。
「なあシャルル」
「どうしたの、クリス」
頭に乗せた本を返しながら、私は腕を伸ばして一つ提案する。
「音楽も聞こえるし、せっかくだ。踊ろう」
「え?」
差し出された手を見て、シャルルは目をぱちくり。
次いで、私の提案を理解したシャルルの目元が残念そうに下がる。
「僕、まだおどれない」
「私は踊れる」
否定的なシャルルの態度は、肯定の言葉で呑み込んでみせる。
「さ、手を伸ばせシャルル」
ステップを仕込まれて踊れるようになった私だけれども、舞踏会で七歳の子供がダンスをするのはさすがに悪目立ちする。その点、今の状況は安全だ。ちょうど良く人目のないところで身長が合う相手がいるのだから、仕込まれた成果がどのくらい実っているのか試してみたって罰は当たらないだろう。
私に促されて、シャルルはおずおずと手を伸ばしてくる。自信なさそうなその手を、私は自信満々で受け取った。
「さて、いくぞ。いち、に、さん!」
ダンスホールから漏れ聞こえる音楽は、マリーワの手拍子とまったく同じテンポで進んでいく。それに合わせて、私とシャルルは腕を取り合ってステップを踏む。
とてもチグハグに、息もちっとも合わず、それぞれバラバラな動きでてんで身勝手に。
主な原因はまったく正規の動きができていないシャルルだ。
「おいシャルル……」
「だからならってないっていったじゃん!」
じっとりとした私の視線に、シャルルがムキになって強弁する。確かに実際、五歳児に踊れと言うほうが無理があった。やれやれとステップを踏みながら嘆息する。
「まあ、そうだな。無理に誘った私がわる――って、ふきゃん!」
「ぅわぁ!」
拙い動きなうえ、踊りながら会話も混ぜたのがまずかった。とうとう私たちはもつれ合ってすっ転び、二人して花壇に突っ込んでしまった。
「……」
「……あー」
花壇を押しつぶしてあおむけになった私たちは、ぽかんと呆けてしまう。
王宮の一角を荒らしてしまうなんて、どうしよう。そんな気持ちがなくもなかったそれよりも。
「ふふっ」
なぜだか不意に、抑えきれないくらいの笑いがこみあげて来た。
「ふっ、くくくっ……あはは!」
いつものような高笑いではなく、もっと軽やかな笑い声がお腹の底から出てきた。
「あは、あはははは!」
「……ぷっ、くふふふ、あははははは!」
私につられて、シャルルも一緒に笑い出す。顔を見合わせた私たちは、もう一段無邪気な笑い声を響かせた。なんで二人して笑っているのか、それは天才の私でも明確な答えは出ない。けれども楽しいのだから仕方ない。子供な私たちはわけもなく花壇に寝そべったまま大声で笑い合った。
そうやってしばらく二人一緒に笑って、どれだけ経っただろうか。せいぜい、二、三分でしかなかったと思う。
ようやく笑いを吐き出し切った私は、立ち上がって汚れを落とす。
「さて、シャルル。私はそろそろ戻るよ」
軽く身だしなみを確認して、ドレスにも土がついていないことを入念に調べ上げる。髪の乱れを直して葉っぱをはたき落とし、たぶん大丈夫だろうという程度に整えた。
「……いっちゃうの?」
「ああ。じゃあな、シャルル」
淋しさをにじませた声に迷わず頷く。これ以上の時間を置いたら、お父様が私の捜索に乗り出しかねない。そんな大事になってしまったら私の完璧なご令嬢の評判に傷がつく。
だから友達に少々さみしい思いをさせても、私はダンスホールに戻らなければならない。
「ねえ、クリス!」
庭園を後にしようと歩き始めた私の背中を、大きな声が引き止める。
「またあえるよね?」
願望交じりの問いかけに振り返って不敵に笑う。
「もちろんだ」
王族相手と知っても構わずに仁王立ちをして胸を張り、肩をそびやかして断言する。
私の保証はしっかりとした根拠に基づいたものだ。公爵令嬢の私なら同年代の王族と会う機会はこれからもあるだろう。
それに何より、シャルルという名前は前世の知識『迷宮ディスティニー』の中で、私と浅からぬ縁でつながっていた。
「次会う時に忘れているなよ、シャルル。私はクリスティーナ・ノワール。この王国の御三家ノワール公爵家の一子にして――お前の友達だ!」
高らかに宣言した私は踵を返して今度こそ振り返らずダンスホールへと続く道を歩いた。
そのまま人目につかないように廊下まで出て、さっき出会った友達の名前をもう一度頭の中で思い浮かべる。
シャルル・エドワルド。
この王国の第三王子。王族の貴き血を引く彼は前世の知識『迷宮デェスティニー』でミシュリーと結ばれる可能性がある三人のうち一人である。
それと、もう一つ。
「……ふふっ、そうか。あれが私の婚約者になる男か」
シャルル・エドワルドは悪役令嬢なクリスティーナ・ノワールの婚約者でもあった。
あの物語の絵はデフォルメされていたし十代半ばのものが大半だったから最初は気が付かなかったが、名前を聞いた時にはそのことには思い至っていた。
シャルルと私は家同士で取り決められた婚約者同士で、そのことが『迷宮ディスティニー』ではミシュリーとの恋路の障害となる要素だった。その障害を乗り越えミシュリーとシャルルが結ばれると私は三つある破滅のうちの一つ、服毒自殺という運命を辿るわけだったが、さて。天才として生まれた私というバグと、今夜の出会いが運命をどう変えていくのか。
最後の宣言をした時に見せたシャルルの嬉しそうな笑顔を思い出して、私は頬を緩める。
「ふふふっ」
迷宮入りした運命の道筋は天才たる私でも読めなかったけれども、なんだか今は無性に楽しい気分だった。