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なにかがおかしい。
廊下を歩きながら、私は胸から湧き出る苛立ちを持て余していた。
私はこの三年間、自分を押し殺してきた。
ミシュリーとの接触を断ち、ミシュリーに謝ってしまいたい罪悪感を我慢して、ミシュリーへの愛を押し殺して、それ以外は自由気ままに暮らしてきた。
結果的には面白おかしく生きていたような気がするが、それはミシュリーとの交流を拒絶してきたという大いなる代償を支払っての結果だ。
その結果が取り巻きによるまさかの裏切りである。
いや、裏切りというかなんというか、客観的に見れば害のあることはされていないのだが、それでも裏切りは裏切りだ。ファンクラブ設立とか、なんで私の許可を取らなかった。事前に知っていれば絶対に許可しなかったのに。そもそもどうして人が集まるのか。私の振る舞いは上流階級の子女として相応しいものでは到底なかったはずだ。カタリナか? あいつが無駄に印象操作をしたのか?
「くっそ。有能さを変なことに使ってくれるな本当に……!」
ぐるぐると渦巻く疑問と格闘しつつも、私は抗うための思考を止めることはしなかった。
確認してみれば、あの二人はご丁寧なことに外出届まで出していた。ロナは急なお見合いの話が持ち上がりしばらく実家へ、カタリナに至っては兄が危篤になったらしい。
そこまでするか普通。特にカタリナ。ガイストのやつ、普通にぴんぴんしてるだろ。勝手に危篤にするな。いや、兄妹の仲があんまりよろしくないのは薄々察してたけどさ、それでも適当な言い訳で殺そうとするなよと問い詰めたい。
二人の外出理由はあからさまに嘘だが、私には証明する手段もない。家に押しかけて問い詰めようかとも思ったが、それは時間の無駄だ。
あの二人は諦めよう。せっかくの取り巻きだが、勝手に動いた挙句逃げ出されたのだ。もう切り捨てて考える。
早急に現状を立て直さなければいけない。私の愛すべき運命が行方不明だ。見つけ出して軌道修正しなくてはならない。
そうして考えてみたら、もう一つの違和感にぶち当たった。
そもそも、殿下が大人びすぎてはいないだろうか。
『迷宮デスティニー』でのエンド・エドワルドは、まさしく私が出会った頃の殿下そのままだった。あの時の殿下がそのまま体だけ大きくなったようなどうしようもない男が、ミシュリーとの交流の末で変わっていくという話だったはずだ。
だがいまの殿下はどうだ。まるで常識があるみたいな振る舞いができているではないか。
多少改善されようとしょせん殿下とたかがくくっていたから気にしていなかったが、いまとなってはその齟齬も見過ごせない。なにが原因だ。ていうか、どうしよう。今更、殿下の性格が退行するとも思えない。
「……いや、大丈夫だ」
弱気を振り払って自分を奮い立たせる。
私はクリスティーナ・ノワールだ。運命の脚本を演じ切るために天から才能を与えられた天才だ。その私に、不可能なんてあんまりない。
ならば私はためらいを捨てる。利用できるものは利用する。それこそが、悪役令嬢たるクリスティーナ・ノワールだ。
いままでのことは、一旦なかったことにしよう。まだ大丈夫だ。焦るような時期ではない。いまから誤差を一つずつ潰していけば間に合う。
そのために、私は学園のある教室に足を運んだ。
自分のクラスではなく、まだ入学したばかりの新入生が集まるクラスだ。大丈夫。ここはミシュリーのクラスでもなければシャルルのいるクラスでもないのは事前に確認してある。
一クラス十人もいない小人数なクラスに顔を出す。質をあげるために、自然と少人数制になっているのだ。目的の人物を探すため、教室に目を走らせる。
「お呼びでございますか、クリスティーナ様!」
「うわっ!?」
突然背後から声をかけられて、私ともあろうものが肩を跳ね上げさせてしまった。
びっくりした。おそるおそる振り返ってみれば笑顔を輝かせるフリジアがいた。
「ようこそ、クリスティーナ様! いらっしゃっていただいてうれしいですわっ。なにかご用ですか? やはり、ミシュリーではなくわたくしに用がありますのですねっ。なんでもお申し付けくださいませ!」
喜色満面で申し出るフリジアには淑女らしさがかけらもない。ぐいぐい来る積極性はともかく、淑女教育を受けてどう育ったらこうなるのか、むしろ教えてほしいぐらいだ。
それと会う度に思うが、特になにかした覚えもないのに、どうしてこうも懐かれているのだろうか。
不可解ではあるが、いまは新しい手駒が欲しい。
「そうか。用事があるけど、ここじゃなんだな。場所を移そう」
「はい! あ、聞いてくださいませクリスティーナ様! わたくし、クリスティーナ様のファンクラブの会員になりましたわ!」
「そんなものからは抜けろ」
「はい?」
私の発言をまったく理解できてなさそうなフリジアが、きょとんと首をかしげる。
「それはどういうことで……そういえばクリスティーナ様!」
移動する私の後ろをてこてこ歩いてついてくる不思議生物のフリジアは、いま抱いたはずの疑問を放り捨てて嬉しそうにあるものを取り出した。
「入学式に号外で配られたこの新聞、クリス様の写真が貼ってありましたわ! これはぜひとも持ち帰って部屋にかざ――」
「よし、よこせ。捨ててやる」
「――ああ!?」
取り上げてぐしゃぐしゃに丸めて、そこにあったゴミ箱に叩き込む。
「な、なぜこのようなことを!?」
「やかましい」
涙ぐむフリジアの未練をばっさり切り捨てる。何部配られたか知らないが、目についた限りはすべて処分してくれる。
ファンクラブとか、聞きたくもない。問題の象徴みたいなものなのだ。
いまの取り巻きは信用できない。私に害意を持っているとかいう話ではなく、私の思い通りにならないという意味で信用できそうもないのだ。
今日、確信した。あいつら、私の言うことを聞く気があんまりない。
その点フリジアは、なんにも考えないで唯々諾々と私の言うことを喜んで承る頭の悪さを持っている。思い通りに動かす手駒としては、ある意味で理想的だ。
つまり、私がしっかり管理すれば問題ないのだ。
「フリジア。私には運命から任された大いなる役目と、悪役令嬢としての意地がある。お前にそれを手伝わせてやる」
「おっしゃっていること、さっぱり理解できませんが、かしこまりましたわ!」
完全になんにもわかってないで、勢いにすべて任せている。
その曇りのない笑顔を見ていると、罪悪感に苛まれる前に不安が襲ってくる。とてつもなく大丈夫じゃない気もするが、私はなにか間違っていないだろうか。
まずは私のファンクラブとやらを、潰す。悪役としての矜持と威厳を取り戻すのだ。
なんにもわかっていなさそうなフリジアを引き連れ、私は一歩足を踏み出した。