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悩み事があった。
ミシュリーが入学してきたからには、私もこれまで通りに生活するというわけにもいかない。
私は悪役令嬢である。ヒロインであるミシュリーとは対となる存在だ。
二年間の学園生活において、私はそれはもう型破りで好き勝手に生活してきた。それは私という人格が悪役に足るものだと周知させるには十分すぎるだろう。
そうしてミシュリーが入学したいま、悪役令嬢としての本領を発揮しなければいけないのだが、問題はその方法だ。
あの物語でのクリスティーナは、間接的な嫌がらせを多くおこなっていた。
悪意のある噂を流し、貴族らしく人を使って嫌がらせをする。
直接手を下すのは要所要所だけだ。私が指示したということが重要なのであって、誰がやるかというのはさほどこだわるところではない。
私もそのミシュリーに対しての嫌がらせををしなければいけない。そうしてミシュリーが虐げられる逆境を乗り越えてこそ、ミシュリーは幸福と栄光を手にするのだから。
だがその嫌がらせに使う人材が不足している。
なにせ新入生は入学したばかりだ。私は、いまのところ一年生の知り合いはいない。まずは手始めにミシュリーを一年生の間で孤立させていかないといけないのだから、このまま何もしないというわけにはいかない。天才の私にしたって準備というものは必要だ。
それをどう解決しようか頭を悩ませつつも身支度を終え、朝食を食べて宿舎の部屋から一歩足を踏み出したその瞬間だ。
「ごきげんよう、クリスティーナ様!」
部屋からから出た途端に、豪奢な縦ロールが迎えてきた。
「……」
もう一度繰り返すが、私には断じて一年生の知り合いはいない。
学園の制服姿でにこやかに笑いかけている人物は私の知り合いでもなければ派閥に所属しているものでもない。私の取り巻きはもうちょっと頭のよさそうな同学年でそろえている。
というわけで、さらっと無視をする。
「あ、あら? ご、ごきげんようですの、クリスティーナ様。フリジアです。フリジア・イスタルですわ!」
寮の三階から二階に下り、一階へと向かう私についてくるのは、言うまでもなくフリジアだ。相手にするとつけあがりそうなので、無言を貫く。
大丈夫だ。寮を出ればいつもの取り巻きが出迎えに待っているはずだ。それと合流すれば、さすがのこいつも離れて……いくか? まずい。平気な顔でそのまま付いてきそうで怖い。
「クリスティーナ様……どうして黙り込んでらっしゃるのでしょうか。はっ。もしや、なにか憂いていらっしゃっていますの?」
無駄に察しが良い。
推測の過程自体は完全に間違っているのに、結果だけは合っている。本当に無駄としか言いようがない残念さだ。その洞察力はもっと何か違うことに活用してほしい。
とりあえず、やるべきことは殿下の進捗具合を見て考えよう。現実逃避気味に、さっきの問題に思考を巡らす。そうだった。昨日、殿下はちゃんとミシュリーを慰めて距離を縮めただろうか。それができているかできていないのかを見極めなければいけない。
現実で他人を使って攻略を進めるというのは思った以上に面倒だ。実際に何が起こったのか、自分の目で確認できないこともある。だがそれでも情報収集を怠ってはいけない。私はなんとしてもミシュリーに幸福を送らなければならないのだ。
「クリスティーナ様。なにかお悩みごとがあるなら、このフリジアめにご相談を。わたくしでは力不足かもしれませんが、なにかしらの助けになりますわ。少なくとも、あのミシュリーよりは……!」
まずい。もう一階に降り立ってあとは出口に向かうだけなのに、フリジアが離れる気配がまるでない。このまま放っておくと、このアホ娘が私の取り巻きの一員として認識されてしまう。
それはいけない。私の名誉に関わる大問題だ。
「フリジア」
「なんでしょうか、クリスティーナ様!」
声をかけると、露骨に喜んだ。しっぽがあれば振っていそうだ。いや、一本にまとめられや巨大な縦ロールが揺れるさまは、よく懐いた犬の喜びかたそっくりである。
なぜここまでなつかれているのだろうか。あまりも率直な喜びように、今更ながら疑問が湧いた。私はフリジアと顔を合わせた記憶はない。
それなのに、どうしてここまで憧れを抱かれているのだろうか。
「ぜひ、なんなりとお申し付けください。妹のミシュリーではなく、このわたくしに!」
そしてなぜこの娘は、ミシュリーに対して並々ならぬ敵愾心を燃やしているのだろうか。
「……もし私がお前になにか頼み事をしたらどうする?」
ミシュリーへ嫌がらせを敢行する手段として、フリジアを使うかどうか。はっきりいって、フリジアはとても都合がいいのだ。私の前に現れたタイミングも、ミシュリーに対して敵愾心に近いものを抱いている心も、そして無条件に私の言うことを受け入れそうなその憧憬も。
まさしく、運命的といっても過言ではない。
私のそんな疑問と迷いを見抜いたわけではないだろう。それでもフリジアは真面目な顔になる。
「それがなんであれ、全力で協力いたしますわ」
「そうか」
どうしよう。表面上は鷹揚にうなづきつつも、私の中でますますフリジアに頼もうかどうか迷いが膨れ上がった。
その迷いには、いつかは悪事として露見し裁かれることになる行いに巻き込む罪悪感もある。
ただそれ以上に、なぜかはわからないが、フリジアを使うと失敗する気がするのだ。フリジアが、運命がよこした手駒だと考えれば、使わない手はない。手はないのだが……こいつは、そんなにおとなしいたまだろうか。
やはり、フリジアを使うかどうかは殿下の進捗次第ということにしよう。
「とりあえず、フリジア」
まだ巻き込むと決まったわけではない。無関係な現状、私との関与を最低限なものとするべく追い払わなければいけないので、フリジアに言うべきことを伝える。
「先に教室に行って同学年と仲良くしていろ」
「え、なぜ……いえ、かしこまりましたわ!」
フリジアの反応に息を吐く。限りなく直球に近い拒絶の言葉は伝わったようだ。
どうにか追いはらえそうだと安心できたのはつかの間だった。
「考えてみれば、わたくしの同学年といえば、まだ学園内の派閥を知らない者も多いですわね。わたくしに、一年生クリスティーナ様派閥の音頭を取れということですのね! ミシュリーではなく、このわたくしに!」
「え? いや、誰がそこまで言った? 私は普通に……」
「遠慮はなさらないで下さいませ! そこまで読み取ってこそ、クリスティーナ様の妹分ですわ! ではいってまいります。成果の報告、お楽しみにしていてくださいまし!」
言うやいなや、引き止める間もなくあっという間に寮を飛び出ていく。
ぽかんとその背中が消え去るまで突っ立っていると、私とフリジアのやりとりを遠目で見ていたのか、出口から取り巻きの二人が近づいてくる。
「クリス様。あれ、誰っすか? 一年生っぽいすけど、クリス様の熱心なファンかなんかっすかね。髪型からして、どっかの貴族の子っすよね。ロナ様はご存知っすか?」
「髪型は関係ないでしょうに……。あれは、確かイスタル家のご息女です。もう少しおとなしい方だったように記憶してますけど……そうですよね、クリスティーナ様」
「あれは知らない子だ。放っておけ」
怪訝そうな取り巻きに、きっぱりと断りを入れたが、いろいろ手遅れかもしれないという予感は、うすうすあった。