新鮮な傷の舐め合い
午後の体育の授業は、ヤイトの思っていたものよりは幾分か楽だった。陽の下の怠さは変わらずにあったが、ヤイトは想像以上に身体能力が向上していた。不審に思われぬように力をセーブすることに注力しなければならない程であった。
「お前、こんなに運動得意だったか?」
一息つくと、クラスメイトに話し掛けられる。やはり、色々と変わって来ているのだな、と、自分の変化を噛み締めたヤイトだったが、それと同時に、決意をあらたにした。
「それでも、僕は血を吸わない」
しかし、その決意は容易に叶うものではなかった。
体育が終わり、教室へ戻ると、ヤイトは強い欲望に襲われた。
血が欲しい。
教室に充満する制汗剤の陰にうっすらと漂う女子の匂いに、今までは感じたことのなかった興奮を覚え、その欲望は、一直線に吸血衝動へと結びついた。
その日の最後の授業であった数学は、女生徒の数を数えることに終始してしまった。その欲に勘付いていたエリスは、何も言わず、ただにやにやと薄笑いを浮かべていた。
授業が終わり、掃除当番の生徒以外はそれぞれ部活へ向かうか、帰路につく。ヤイトは帰宅部であるクラスメイト、ケイコが一人で居るのを見て、ひっそりと声を掛けた。
「ケイコさん、良かったら一緒に帰りませんか?」
普段のヤイトには、そのように女子を誘う度胸は無かった。だが、それよりも強い欲望と人より強くなった自分への気付かぬ自信が、ヤイトの行動をスムーズにさせる。すると、ケイコも二つ返事でそれに応えた。
ヤイトは人知れずほくそ笑み、ケイコの手を引いて、学校から離れた。
エリスは放課後も、クラスメイトの注目の的であった。
転校早々、席順から掃除当番になってしまったエリスに、他の当番が優しく語りかける。
「エリスちゃん、これは俺が持って行くから、そっちのほうをやってていいよ」
「こっちは私がやるから、エリスちゃんはもっと簡単なのを」
「もう、エリスちゃんは座って見てるだけで良いから!」
ありがとう、と答えながら、エリスは上品な仕草で簡単な掃除をこなしていく。
掃除が終わると数人に自分の所属する部活の見学に誘われたが、ヤイトが帰宅部だと知っていたエリスは、一緒に帰ろうと提案してくれた女子の誘いに乗った。
「エリスちゃんは、お家どの辺なの?」
一緒に帰る女子に、エリスは柔らかな物腰で応じる。
「私の家は、森の方だよ」
「私は電車に乗らなきゃだから、駅の近くまでだね」
駅に着くまで、たわいのない話に花を咲かせながら、たまにヤイトの話をする。
「エリスちゃん、ヤイト君を気に入ったの?」
「うん。とっても」
屈託の無い笑顔で言ったエリスに恋の香りを感じてテンションが上がった女子達とは、ちょうどそこでお別れとなった。
「また明日ね」
エリスはにこやかに別れると、人目に付かぬような場所へと移動した後、ヤイトの気配を辿って一気に跳躍した。
ヤイトの向かった先は、どうやら森であるようで、エリスにとっては帰路でもあり、都合が良かった。
エリスとヤイトが初めて出会った場所。そして、ヤイトが初めて血を吸った場所。そこに、ヤイトとケイコが居た。
「お早い翻意だね。今まで抑圧されていたんだから、こうなるとは思っていたけど」
口周りを血で汚したヤイトを茶化すように、エリスが言った。
ヤイトに連れ去られたケイコは、制服がはだけ、露になった白い肌の至る所が歯形と血で飾られた状態で倒れていた。顔は恍惚の表情を浮かべ、ぽかんと開いた口からは、涎と細くなった息が漏れている。
「僕は、最低な奴だ」
ことを終えて我に帰ったヤイトは、自らの行動を後悔しているようであった。
「もう人じゃないんだから、良いんだよ?」
エリスはヤイトを受け入れてやるかのようにヤイトの頭を抱いた。
「せっかくだから、私もいただこうかな」
そう言うとエリスはヤイトから離れ、ケイコの手首から血を吸う。ヤイトは血を吸っているエリスを後ろから強く抱きしめた。
エリスは自らのお腹の辺りに置かれたヤイトの手に指を絡めると、もう片方の手でケイコの派手に出血している箇所から血を拭い取り、自分の口の周りに塗りたくって、ヤイトの方へ顔を向ける。そしてヤイトは、それを綺麗に舐め取った。
それから、お互いにケイコの血を自分の体の一部へと塗り、それをお互いに舐め合うという行為に没頭し、ケイコはそのうち息を引き取った。
「私が本当のものをヤイトくんにあげるから。お互いが本当になったとき、私たちはもうきっと、ずっとひとりぼっちになることはないから」
数時間に及んだ血の舐め合いの後、エリスはそう言って、最後に永いキスをした。
「すっかり暗くなって、私たちの時間になったね」
ヤイト達は現場に残ったケイコの血を砂で隠し、ケイコの遺体を持って、森の奥にあるエリスの大きなお屋敷に来ていた。
「この家には、君一人で住んでいるの?」
シャワーを借り、血を落としてさっぱりした表情でヤイトが訊ねた。
「ううん、本来の持ち主一家が住んでいるけど、暗示で私の配下に置いてるの。今、この家のお母様が、ヤイトくんの制服の血を頑張って落としてくれているよ」
なるほど、と言って大きな寝椅子へ腰を下ろしたヤイトに近寄ったエリスは、ヤイトの膝を枕にして寝椅子へと寝転んだ。
「そうそう、今度血を吸う時は一緒に行こうね。あんまり身近の人で済ませちゃ駄目だよ。もう既に、二日で私たちのクラスから行方不明者が二人だもの」
エリスは青く大きな瞳で真っ直ぐにヤイトを見つめながら言った。ヤイトは、エリスの髪の毛で遊んでいる。
「ヤイトさんの制服、幾らかましになりましたよ」
落ち着いた声と共に、制服を持った綺麗な女性が現れた。
「ありがとうございます」
ヤイトはお礼を言って制服を受け取ると、直ぐに着替えた。
「遅くなると色々詮索されちゃうから、僕はそろそろ帰るよ」
「えー。夜はこれからなのに」
エリスは別れを惜しむように、寝そべりながらヤイトの制服の裾を掴んだ。
「これからは上手くアリバイ工作するよ」
その言葉を聞いたエリスは、お見送りの為に起き上がる。
「また明日、学校で」
ヤイトは開け放たれた両開きの掃き出し窓からバルコニーへ出ると、大きく跳んだ。
残されたエリスは寝台へと飛び込み、昨日今日のことを思い出して足をばたつかせた。
耽美なものを書こうと思ったのですが、難しい!