君のためというナルキッソスは賽の河原
雲は少しずつ過ぎ去って行った。
月の明かりが見え始めた夜を、エリスは胸を弾ませながら、踊る様に歩く。先刻の自らの行ないへの些かの罪悪感と大いなる高揚感を、全身で抱きしめる様に表現していた。
「ポルックスの様な献身ではないけれど……」
エリスは眼を閉じ、祈る様なポーズで、独りごちる。彼女の芝居がかった動作は、永い永い時が動き出すかもしれないという期待の現れの様に思われた。
そしてエリスは、一人歩く少女を見付けた。自らの狼を羊の皮で覆い、少女に声を掛ける。
「今日は結局、雨降らないみたいですね」
えっ、と反応した少女の傘を持つ手に手を重ね、眼を合わせる。エリスの眼には怪しい光が宿っていた。
「ちょっとついて来てね」
暗示に掛かった少女はぼんやりとした様子で頷くと、直立不動でエリスの指示を待つ。エリスは少女の傘を取り上げると、その傘で森の方角を指しながら歩き出した。
「こっちだよ」
少女はエリスの声に反応し、よろよろと後に続いた。
森に取り残されたヤイトは木の根元に腰を下ろし、喉の渇きを紛らわすため、周囲の草花を無意識に毟っていた。最早頭の中はその欲求に支配されてしまい、それまでの悩みを気にすることも無くなっていた。一刻も早く、エリスの帰って来る事のみを望み、草花を毟る。
しばらくすると、エリスが傘を掲げながら戻って来た。ヤイトは、エリスの後をついて来た少女を確認し、目を見開いた。
「ミカちゃん?」
はじめ、意識無く歩いて来た様子のミカに驚いたヤイトだったが、次第に先程の欲求が蘇り、自らの感情に困惑した。
「知り合いだったの?こっちに来るにはちょうどいいかもね」
エリスは意味有り気な含み笑いを浮かべると、ヤイトに近付き、頭を撫でながら続けた。
「もう、やることは理解してるよね。見られながらの初めては恥ずかしいだろうから、私はその辺ぶらぶらしているね?」
そう言うとエリスはヤイトの頭に乗せていた手をゆっくりと頬に伝わせ、名残惜しそうに手を離し、大きく跳躍して消えた。それと同時に暗示が解け、ミカは我に返った。
「あれ、ここは?って、ヤイト君?」
驚くミカを余所に、ヤイトは怖ず怖ずと立ち上がる。自らの望んでいる事は分かっていた。だが、そんな事してはいけないと理性が働きかける。しかし、葛藤しながらミカを見つめたヤイトは、彼女の首筋から目を離せなかった。
「ヤイト君……?」
汗が浮いている白い首筋。その首筋がとても魅力的に見え、遂にヤイトは欲望に支配された。
一瞬のうちにミカに詰め寄ると、手首を掴み上げて逃がさない様にする。人外の身体能力と本能に従った行動はスムーズで、ミカは反応する間もなく、ただ尻餅をついた。
「やだっ!」
遅れて気付き抵抗を試みたミカだったが、ヤイトは既に首元に歯を当てていた。
がぶり。
強く齧ると、ヤイトの中を強い快感が駆け巡った。意識が覚醒して行き多幸感に包まれる感覚は一気にヤイトを虜にし、解放される様な気持ちを追い求め、ただただ首筋に吸い付く。
「あっ……」
ミカの方も強烈な快感に襲われ、されるがままになる。ヤイトは興奮が収まらず、無意識の内にミカの胸に手をやる。すると、ヤイトは意図せず指先を尖らせ、ミカの胸を引き裂いてしまった。
「えっ」
ヤイトは突然の事に驚き、我に返った。その瞬間に自らのやってしまった事に気付き、様々な感情が押し寄せる。
「えっ、僕は。えっ?」
目の前には、首と胸元から血を流しながら恍惚の表情を浮かべる同級生。それを自分がやってしまった。彼女がこのまま死んだらどうなるか。生き延びたとしても、この事実が他人に知られたらどうなるか。
「叱られる!折檻される!」
ヤイトは錯乱し、すべてを無かった事にしようと再び指を尖らせ、ミカを細かく切り刻んで、泣きじゃくった。
膝を突いて泣きながら、どうにもならない事を悟り、ヤイトはミカを積み上げ始めた。
子供に戻り、子供の頃に聴いた歌を唄いながらミカを石に見立て、一心不乱に回向の塔を建てる。ずるりずるりと血で滑り崩れる塔を、何度も何度も建て直す。ただただ、無心で建て直す。
しばらく繰り返していると、エリスが空からふわりと降り立った。
ヤイトは気付かず、ただただ無心で建て直す。