第4話-END スパイラル・トレイン 最終日-夢と現実の区別
目が覚めるとすぐに、俺はベッドの上で寝ていることに気がついた。
「コウくん、おはよう」
上体を起こし、声の主を向く。
いつもの麗香だ。
部屋の窓のカーテンはいつの間にか開けられ、俺が待ちに待った朝日が差し込んできていた。
寝起きのスッキリ感も上々、こんな朝は久しぶりだな。
「コウくん、夜中ずっとうなされてたけど、悪い夢でも見たの?」
「あ、ああ、そうらしい」
夢……?
あの壮大なバグの創り出した世界に放り込まれたっつうのは夢だったのか。
進まない時計、飲み干しても湧いてくるお茶、スパイラル空間――
確かに夢だったような気がする。
夢ならこんなカオス状態の世界を擬似体験することは容易だ。
俺のイマジネーション力は極度の貧相っぷりだと思っていたんだが、
脳の無意識の領域のイマジネーション力はそこそこ残っているらしい。
……いや待てよ、夢だとしたら、なぜ俺の知らない単語が夢の中で出てきたのかが疑問だ。
「自動空気ブレーキ」なんつうマニアックな名前の装置を、凡人である俺が知ってるわけがない。
それとも、自動空気ブレーキというものすら、
夢の中の架空の装置で、そもそも存在しないものなのか?
カオスな状況の中で、自動空気ブレーキというリアルな存在だけが、
まるで白い布に黒いインクを垂らしたように俺の意識の中で際立っていた。
「なあ、“自動空気ブレーキ”って何か分かるか?」
こういうときは麗香に問うのが一番だ。
彼女なら何か知っているかもしれない。
「え、えっと、自動空気ブレーキ?」
「ああ、そういった名前の装置なんだが……」
「……私は、そ、そんな名前の装置は聞いたことがないわね」
そういう麗香の目が泳いでいる。
これは何か知っていると判断していいだろう。
「知ってるな?」
「だ、だから、そんな装置は知らないって!」
「顔に嘘と書いてある」
「……私は知らない」
「しらを切るつもりか?」
「私は知らない……」
「…………。」
いくら知っているだろうと言っても、麗香は知らないの一点張りで、
とうとう俺の方が折れて、質問を諦めた。
諦めたというより、途中でバカバカしく思えてきてやめたのだが。
まあそんな小さなことは俺にとってはどうでもいいことで、
とりあえず、今さっき俺が体験したものが夢なのか、はたまたリアルなのか、
それは俺には分からない。
とにかく、目が覚めたら朝だったという時点で、
俗に言う“夢オチだろ、それ”の烙印を押されるのは確定的だというのは
俺にも理解できるし、そうであってほしいと俺は思う。
何やらワケの分からんスパイラル空間とかいうミステリー空間に、
あれよあれよと不可抗力的な何かによって引きずり込まれ、
そこで気味の悪い青年と出会ってバトってうんたらかんたらなどという、
トンデモ話が事実だとすると、俺の精神衛生上この上なく悪い思い出になる。
それに加えて、俺は零雨と麗香との関係を考え直さなければならないだろう。
零雨と麗香の協力者になってからまだ一ヶ月ちょいしか経ってないが、
これだけ高密度に不思議&恐怖体験をしていると、この先が思いやられる。
正直、これからも起こるであろう試練というべきイベントの数々を無事クリアできるのかと聞かれれば、
俺はキツイと答えざるを得ないだろう。
俺の家の掃除にしろ、なぜか最後は社会のゴミ掃除とかいう名目でヤクザと殺し合いになったし、
音楽祭だって、俺が描いていた悠々自適な夏休み生活を見事にぶち壊してくれたし、
今回の不思議体験も、恐らく旅行に出ていなければ体験することはなかっただろう。
すべてがすべて、零雨と麗香が引き金になって俺に災難がふりかかってきているわけだ。今のところ。
結局のところ、俺の二人への協力はある種のボランティア活動であり、
奉公したからといって、土地なり銭なり名声なりがもらえる訳ではない。
貰えるのは今言ったような災難だけである。
言っとくが、俺はマゾではないから、そういう環境下に置かれて興奮するとか、まずない。
二人が入ってくることで多少、生活が変わるのは仕方ないと腹をくくっていたが、
まさかここまで変容するとは思いもしなかった。
出会った初めに「友達になってくれ」と二人から言われた時、俺は二人が入ってきたところで俺に特に害はないだろうと判断したが、今なら自信を持って言える。
“あれは人生最大の大誤算だった”と。
……話が脱線したな、元に戻そうか。
最終的に、
「この体験が事実なら、零雨と麗香との関係を見直す必要があると思うが、見直すのはいろいろ面倒だし、
今回の不思議体験は夢だった、ということにしておく方が楽だから、
そっちでいいんじゃね?」議案が、俺の脳内議会で満場一致で可決された。
よって、今からこの体験は夢だった、という扱いで進んで行こうと思う。
気がつけばかなりの長時間にわたって考え込んでいたようで、
若干元気過剰気味の朝の日差しが窓から差し込む車内で、麗香は不思議そうに俺を見つめていた。
電車は予定通りの時刻に到着し、俺達は流れ解散方式で次々と別れていった。
そして俺は美羽を引き連れ、五日ぶりに自宅のマンションの鍵を廻した。
カチャ。
いつもの渇いた音がノブから発せられ、開錠したことを俺に告げる。
「ただいまぁ――――っ!」
美羽が馬鹿元気な声を発しながら、一目散に家の中へと駆け込み乗車、
玄関でズテンと前倒しになってコケた。
「足元に気をつけろ、このドアホ」
俺もそのあとに続いて家の中に入る。
普段は気にならないんだが、やっぱ旅行から帰ってきたら、自分の家のニオイがする。
俺はリビングに入ると真っ先にテレビの前のソファに座って、テレビの電源をつけた。
これでようやく長い長い夏休みが終わるわけだ。
あと五日もすれば二学期が始まる。
ああ、そういや明日、美羽を空港に送り返すんだったな。
はぁ――また一人暮らし再開か。
うるさいのがいなくなって清々するぜ。
……と、虚勢を張ってはみたものの、
やはり手がかかる奴でも同じ釜の飯を食ってりゃ、多少なりとも別れに寂しさがついてくるもんで、一概に清々したとは言いづらいところである。
明日の美羽の出発の準備、クソだるいけどやらにゃならんな。
俺はせっかく座ったソファから腰を上げ、美羽の荷物の整理をすることにした。
自動空気ブレーキとは、空気圧で電車のブレーキを制御する装置のことです。
空気圧がかかると減速する仕組みのものもあるのですが、
その場合、空気管が破裂した場合はブレーキが利かなくなってしまいます。
そこで、自動空気ブレーキの登場です。
自動空気ブレーキは、空気圧が下がると減速するように設計されています。
空気管が破裂すると、空気が抜けますから、圧力が0になり、自動的に最大ブレーキがかかります。
嵩文零雨は、この装置の性質を利用して列車を停止させました。
電車に乗ったとき、床下からポンプのような音が聞こえたり、シューシューと音を立てるのは、電車が空気を利用している証拠です。