第4話-9 スパイラル・トレイン 2日目-露天風呂にて
美羽も徐々に元気を取り戻し、夕食を食い終える頃には、すっかり元通りになった。
美羽をここまで元気にさせるまでのプロセスは、
俺達の涙ぐましい努力を抜きにしては語れない。
ジュースを買い与えてみたり、美羽の好きそうな遊びに誘ってみたり――
ああ、あと、チカがジョーの顔をわしづかみにし、
「変顔一号」と銘打って釣り目にしたり垂れ目にしたりしてたな。
普段は嫌がるジョーも、今回は嫌がらなかった。
こういうときにつくづく思うぜ、「ガキは面倒だ」と。
まあジョーの変顔一号も見れたし、まんざらでもないけどな。
みんな優しい奴で良かったな、美羽。
「それじゃあ俺達は先に浴場に行っとくからな」
夕食を食い終わってホテルの部屋に戻るとすぐ、
俺とジョーと匠先輩の三人は、着替えなどの道具一式を抱えて大浴場に向かった。
もちろん男湯だ。
よっぽどのバカじゃない限り青の暖簾と赤の暖簾を間違えることはない。
期待してたなら、残念だったな。
更衣室に人はおらず、
カポーンと開いた大浴場へのスライド式ドアの快い音も虚しく、
俺達三人組以外の姿はない。
こういう浴場に入ると、常日頃どのような入浴方法をとっているのか、
分かりやすい例を挙げれば、先に身体を洗ってから浴槽に浸かるのか、
それとも欧米式に浴槽に浸かるのが先か、といったような違いが分かるものだ。
だが、奇しくも足立家、牧田家、木下家の入浴方法は同一で、たいした違いは見受けられなかった。
昨夜、寝台列車の中でも入浴はできたんだが、
シャワーが六分しか出ない、
さらにお湯をひねるとしばらく水が出るとかいう超鬼畜仕様だった為に、
実際に温かいシャワーを浴びれたのはわずか二分だけで、
カラスの行水もいいところ、とんでもなくハードな入浴になった。
だからホテルのような「ジャンジャンお湯とか使っていいですよ」が
どれだけ有り難いことなのかが身に染みて分かる。
「はぁ~、やっぱ男は裸の付き合いを経験してこそ本当の仲間だよな」
三人揃って露天風呂の湯舟に浸かってると、匠先輩がトンデモナイ発言をしやがった。
「先輩、言っときますけど、俺、そういう趣味はないっすからね」
俺の当然の反応である。
やらないか、などといわれた日にはもう……
「『そういう趣味』?」
「……気がついてないならいいっす」
「…………あー、そういうことか。
大丈夫だ、俺は2Dの女性にしか興味はない。
立体に興味はない。ましてや野郎なんてもってのほかだ」
別の意味での問題発言をさらりと空気中に放出する匠先輩に、俺とジョーは思わずのけ反っちまった。
俺達に危害が加わらないだけマシか。
「……空がきれいっすね」
しばらく湯舟に浸かってじっとしていると、ぽつりとジョーが呟いた。
その顔は夜空に向けられている。
「ああ」
俺は空を見上げて答える。
「綺麗だろ?
街中じゃ空気が汚れててこんな鮮明には見えないからな」
「じゃあ、先輩がここを選んだ理由っつうのは……」
「その通りだ。
ここの周囲は草原に囲まれてる上、近くには街がない。
だからここは夜空がより綺麗に見える。
それに山の中のように虫が沸いてくることもあまりないし、
隠れた観光スポットってところだろう。
まあ、俺は今メガネが曇ってて良く見えないんだけどな、ハハハ」
匠先輩のかけているメガネは確かに湯気で白く曇っている。
それじゃまともに見えんだろうな。
「…………。」
「…………。」
「…………。」
それからしばしの静寂。
チョロチョロと流れる温泉(近くに活火山があるらしい。草原が広がってるのもそのせい)の
音だけが虚しく響いている。
目は夜空を堪能し、耳は詫び寂びの静寂を堪能し、鼻は硫黄のニオイを堪能する。
そんな中、ガラリとドアの開く音が竹の仕切りの向こう側――女湯のほうから聞こえてきた。
「はあ~、なんでうちの兄(匠)はこんな何にもないホテルなんかを予約したんだろ」
そんなチカの声を聞くと同時に俺とジョーは顔を見合わせる。
(ヤツが来たぞ)
ジョーは人差し指で竹の仕切りの向こう側を指差しながら、
そういうニュアンスでジェスチャーをする。
匠先輩はというと、女湯から自分に対する非難の声が上がっているにも関わらず、
そんなのお構いなしでゆったりと湯舟に浸かっている。
正直なところ、アホ面にしか見えんのだが、まさか……のぼせては、ないよな?
「何にもないから予約したんじゃないかな?」
男湯でそんな会話をしているのもつゆしらず、仕切りの向こうの麗香がチカに言う。
「アハハ、そうかもね。
匠さ、音楽とオタク趣味のことしか頭にないから。
頭の中、ほんっとにスッカラカンで何も考えてないからね、アイツは。
もしかしたら、何もないホテルと何もない頭がどっかで共鳴したのかもね」
「仕切りの向こう側に先輩がいたらマル聞こえよ?」
「いるわけないじゃん!
男が三人もいればバカ騒ぎするに決まってるし。
でも、何も聞こえてこないから、いないんだよ」
ひどい言われようですな、先輩。
俺達もだが。
匠先輩ははぁ、と小さく溜息をつくと、ばしゃりと手で顔に湯を掛ける。
「あれ……」
「うん?どうしたの麗香?」
「今、向こうでパシャンって音が……」
「…………何にも聞こえないよ。気のせいじゃないの?」
「気のせい……なのかな?」
「そうだよ、絶対!」
麗香は腑に落ちない口調だが、麗香が正解だ。
俺達は三人揃って趣味悪くも女湯での会話に聞き耳を立てているわけだからな。
「美羽ちゃん、」
チカが呼ぶ。
「美羽ちゃんもそこに立ってないで、早く入っておいで」
「うん……」
「どうしたの?」
「ここのおふろ、あつい」
「最初はみんなそうだって!
入ったら慣れるから、ほら、勇気出して、ね?」
「…………。」
「もう、じれったいなぁ……」
チカの声とともにバシャバシャという音が聞こえ、
その音源はどんどんドアの方へ移動していく。
美羽のやつ、迷惑ばっかりかけやがって……
こんなことになるなら旅行に行く前から、
自宅で熱い湯に慣れさせる訓練でもさせておけば良かったかもしれんな。
「ほら、入ろ?
……そうそう、最初は足先からね。
床、滑らないように気をつけて……そう。
…………ほら、入れた」
それからしばらく仕切りの向こうから聞こえてくる会話――主に俺達の悪口を、
ラジオを聞くように聞き流しながら湯舟に浸かっていたが、
とうとう匠先輩がゆっくりと立ち上がった。
「俺はそろそろ出るつもりだが、お前らはどうする?」
ひそひそと俺とジョーに話しかける匠先輩。
「そうっすね、悪口を聞くのも飽きたし、俺も出ます」
俺が答えると、ジョーもそろそろのぼせてきそうですから、と立ち上がった。
音を立てないよう、そっとドアを開け、大浴場を通り抜け、更衣室に戻る。
ホテルの浴衣を着て、
誰がお調子者の牧場のジョーだ! byジョー
誰が正論を盾に戦う悪党だ! by俺
誰が三次元ハニートラップに引っ掛かるか! by匠先輩
と、チカと麗香の会話にケチをつけつつ、
匠先輩、それに引っかからないのは男としてどうよと内心突っ込みながら
俺は七○三号室のドアノブをひねる。
が、開かない。
あいつら(女子)、律儀に鍵かけて行きやがったな……
諦め半分で俺がドアをノックする。
すると、ガチャ、とドアが開いた。
一瞬部屋を間違えたかとヒヤッとしたが、出てきた人物を見て安心した。
「なんだ、零雨か」
「……部屋番中」
「部屋に入れてくれるか?」
テンプレな頷き方で了解の意図を俺達に伝えると、ドアを大きく開く。
俺達三人は部屋の中に入る。
「何で零雨はチカ達と一緒に風呂に入らないんだ?」
ジョーが不思議そうに尋ねる。
「……“彼女”が嫌がったから」
「ああ、美羽ちゃん、まだ零雨のこと怖がってるのか……」
「……彼女が帰ってきたら……入る」
寝台列車に乗っている時、美羽は零雨のことを「怖い人」と言っていた。
その「怖い人」にあのような怒られ方をされたのだから、
しばらくの間はこんな状態だろう。
匠先輩が身につけている腕時計を見て零雨に言う。
「そうは言ってもだ、チカと麗香は大分話し込んでる様子だったから、
なかなか出てこないと思うぞ。
部屋番は俺が引き受けるから、もう行って来い」
匠先輩は零雨の背中を叩いた。
しばらく考えるそぶりを見せていた零雨だったが、
思い付いたように荷物を持って部屋を出て行った。
「なんか、嵩文って独特の雰囲気があるな~」
三人になった部屋の中で匠先輩が言った。
「なんか、いつも集団の中にいるはずなのに、彼女だけ一人、みたいな。
寂しいとか悲しいとか思わないんだろうか」
「慣れたんじゃないんすか、そういう環境に置かれるのに」
俺はそう答える。そう答えるしかない。
「俺がそんな状況に置かれるならごめんだ」
「でも、零雨は今の方が幸せみたいっすよ。
零雨と麗香が俺達のグループに入ってきたのは、
麗香が転校してきた日だったんすけど、そんとき麗香が言ってました。
“私と零雨はずっと二人きりだった、だから友達の作り方を知らない”と」
「じゃあ、嵩文と神子上は一緒に転校してきたのか」
「ややこしいんすけど、零雨が転校してきた翌日に麗香が転校してきて、
その次の日に俺達のグループに入ってきたので。
でも、話からするとそうじゃないっすか?
『零雨と麗香は幼なじみか何かでずっと一緒で、
他人とコミュニケーションがなかなか取れずに友達が作れなかった』と考えれば。
零雨の喋り方もいつもあんな調子だし、正直おかしくないと思うんですがね」
あー……やっぱり敬語は馴れん。
しかも俺が立てている仮説が、真っ赤な嘘であるというからやってられん。
「そうかもな……」
そしてその嘘に納得する匠先輩。
「……お前ら、嵩文には優しくしてやれよ」
そして先輩はテレビのリモコンを手に取ると、
備え付けのテレビ(ブラウン管)の電源を入れた。
「あ、それと言い忘れてたが、女子どもが戻ってきたら、部屋を出るからな」
「え?どうしてっすか?」
「サプライズ・タイムだ。
まあつっても、天体観測なんだがな」
一見何も考えていないような先輩だが、結構色々細かいところまで計画を立てているらしい。