第4話-4 スパイラル・トレイン 1日目―緊急事態(中編)
落ち着こう、まずは落ち着いて考えよう。
こういう時は状況整理が重要だよな。うん。
まずは、麗香の状態をしっかりと確認して、対処はそれからだ。
麗香の呼吸を確認しようと試みるが、
何度確認しても息をしていないという残酷な結果しか出てこない。
呼吸停止状態といっていい。
呼吸と同時に確認するものといえば…………あー、アレだ、あの、その、そう、脈だ!
俺、慌て過ぎだ。
ちょっと深呼吸して心拍数を落とそう。
1、2、3――――――よぉし、そうだ……
落ち着け、慌てても冷静な判断はできないからな……
ましてや脈拍なんて神経を集中させないと分からんから、まず落ち着け……
……よしっ!
俺は麗香の首筋に手をそっと延ばす。
……うぉっ!
右足に何かが当たる感覚とともに音がっ……て、携帯かよ……はあ、焦るぜ。
誰だよ、こんな時に電話かけてくるやつ……ジョーか。
――ピッ
「もしもし?」
《コウ、遅いけどどうしたんだよ、さっきメールしたけど返信来ないしさ》
「あ……ああ、悪い、気がつかなかった。
――ていうか、今それどころじゃねえんだ!」
あっ、つい本音が……
《それどこじゃないって、どうしたんだ?》
「あ、それは……だな……」
やべえよ、それどころじゃないとか言うんじゃねえよ、この脳足りん野郎!
《なんかやばそうだけど、救援に行こうか?今どこにいる?自販機前か?》
「来なくていい!つーか来んな!!」
《そうか?ものすごく焦ってるようだけど》
「これは俺一人でしか対処できない問題だ、お前が来てもどうにもならない!」
《……何があったんだよ?ちょっと説明してみろ》
説明とか無理ィィィィィ――――!
……あ、閃いた!この手なら行ける!
ピンチな時に速攻で知恵を授けてくれた神様サンクス!
「――いいか、話すぞ。落ち着いて聞いてくれ」
《ああ。というかお前が落ち着け》
「実は俺は今、腹が痛くてな、トイレに行きたくてたまんねえんだ」
《……行ってこいよ》
「ああ、だから今トイレ前にいるんだ。
……だがな、一つ問題が」
《どうしたんだ?》
「俺がトイレに駆け込む直前にオッサンが先に入っちまって……
今もそのオッサンがトイレから出てこない」
《……汚い話、オッサン、気張ってんのか?》
「どうやらそうらしい。
俺も早く気張りてえ……」
《確かに、それなら俺が救援に行ったところで『……で?』ってなるだけだよな》
「そういうことだ、電話切るぞ!」
《最後に一つ》
「なんだ?簡潔に言えっ!」
《……幸運を》
ブツッ、ツー、ツー、ツー、ツー……
……ブハァー、危なかったけど何とか乗り切ったぜ……
話の整合性も取れたし、満点クリアだ。
さっと携帯を元のポケットにしまい、麗香の首筋を触る。
……脈なし。
瞳孔の開きは……はあ、開いてやがる。
普通はここで死亡と判定するんだろうが、相手はプログラムだ。
身体は死んでいるように見えても、
本体のプログラムが存在するうちは死んだことにはならない。
身体が死んでも、本体さえ残っていれば、
というか本体は物理的に存在してないわけだから破壊のしようがないが、
とにかく身体を失ってもまた新しく身体を作り出すことができる。
……ということは、これは本体に異常があったということか。
考えてみれば、怪しい人影っぽいのを見たような気はするが、
中には誰もいなかったわけで、ドアの前の通路で俺が見張っていたから、
第三者がこの個室に入ることはまず有り得ない。
いくら俺が携帯ゲームに夢中になっていたからといって、
狭い通路でドアを開ければ視界に入り、気がつく。
さて、状況は確認できた。
ここはステージ6のエラー修復に向かっている零雨を起こすべきだろう。
「零雨、出張中悪いが、起きてくれ。緊急事態だ」
…………。
「もしもーし、起きろ、お前の相棒がトラブってるぞ」
…………。
「呑気に寝てんじゃねえ!起きろ!」
そこまでしても起きない零雨に、
俺は――本当はこんなことはポリシーに反するからしたくないのだが、零雨をたたき起こすことにした。
零雨の頭をゲンコツで数回殴る。が、起きない。
……俺がここまでしてんのに起きてくれねえのかよ。
まあ、これで零雨が起きるようなら、ジョーも俺のところに来ないよな。
俺が零雨を殴ったせいで乱れた髪を直しながら辺りを見回す。
零雨が起きない以上、この問題は俺が何とかしなくてはならない。しかも迅速に。
何かいい方法はないか……
俺の家ならまだしも、道具が少ないこの状況だ。
ハードルはかなり高い。
零雨の荷物が目に入った。
そういえば、なんかやたらいろんな事態を想定した装備をして来たとか言ってたな。
こういう事態も想定してるのだろうか?いや、してないはずはない。
何か使えそうなものがないか、ちょっと失敬して探させてもらおう。
まずはこのベージュのショルダーバッグから捜索。
衣類、バスタオル(こいつらも風呂入るんだな)、家の鍵らしきもの……
それぐらいで、特に使えそうなものはなかった。
バスタオルには実は怪我を一瞬で回復させる特殊な機能が備わってるとか、
そういうビックリアイテムの可能性も否めないが、そんなことを考えていてはきりがない。
バスタオルはバスタオルとして考えよう。
今度はこの黒のキャリーバッグを調べてみよう。
このキャリーバッグを開けるためには、
どうやら四桁の暗証番号を正しく入力する必要があるようだ。
こういうのは体当たり戦法で、
一万通り全部の暗証番号を試してみるのがもっとも確実なのだろうが、
そんな時間はない。
零雨が設定した暗証番号を推測せねばならない。
俺はこの類の推測は大の苦手なんだよな……
俺の思考回路の中に零雨の思考回路が内包されているならまだしも、
何を考えているのかすら分からないと常日頃嘆いている相手の暗証番号だ。
ううむ……暗証番号なあ……
もし零雨がこういう事態を事前に想定していたならば、
暗証番号も俺が推測できそうなものになっているに違いない。
もし俺が零雨ならば、暗証番号はチカやジョー達には絶対に分からないものにする。
あらゆる事態を想定したものを持って行くとなると、
なかには開けてもらっては困るものも入っているだろう。
ということは、俺と零雨と麗香の三人だけしか知り得ない暗証番号の線が高い。
俺と零雨と麗香の三人だけが知っている共通の事項はそれほど多くはない。
世界の構造、彼女達の目的、本名……
一番暗証番号に適しているのは本名だろう。
s0-v1.7fもしくはs0-v3.0aのどちらかなんだが……
数字は三つしか入っていない。
アルファベットのどれかを数字に変換できればちょうど四桁になる。
ということは最後のアルファベットを数字に変えてやればいいわけだな。
確か、fは6を表すとかそういう意味合いだった。
0176
ベターなアレだけど、こいつで開くか?
開かなかったらその時はその時で考えればいい。
……カチャ。
拍子抜けだ、まったく。0176で大人しく開きやがったぜ。
俺って実はこういうの苦手とか言いつつ、潜在能力は備わってたりしてな。
……いかんいかん、自惚れる時間があるならとっとと麗香を助けろよ、俺。
こっちのバッグの中にはいろいろ怪しいものが沢山入っている。
メインはショルダーバッグで、サブがこのデカブツキャリーバッグってわけか。
大きさ的に逆だろというツッコミはともかく、使えそうなものを見つけた。
ノートパソコンだ。
システムというのは黒好きなのだろうか、
ススでもついたのかと勘違いしそうなほどに
真っ黒のノートパソコンがバッグの中に入っていた。
相手がプログラムならば、それを直すのもプログラムを介して、というわけだ。
ノートパソコンを広げてみると、やはりメーカーやブランド名はどこにもついていない。
パソコンの扱いはネット閲覧と軽い文章(零雨と麗香の観察日記)を作成するぐらいで、
正直操作に自信がないのだが、やるしかない。
電源ボタンを押すと、黒い画面に白文字が浮かんだ。
Input security code ―> ****
インプットセキュリティーコード……暗証番号を入力しろということだよな?
*が四つあるから四桁だ。
適当に0176と入力して、Enterボタンを押してみる。
すんなりとパスしちまったが、コレで良かったんだよな?
次に現れたのはログインのユーザーを選択する画面。
ここも黒画面に白文字だ。
PCが苦手な人には嬉しいカーソルが出現したので、
タッチパットで操作が出来るようになった。
で、ログインするユーザー名なのだが……なぜ俺の名前が選択肢にある?
*Login*
Adachi mitsuhide
0176
0301
他のユーザー名は数字になっている。
0176……零雨
0301……麗香
そういうことだろう。
一応俺の名前があるわけだし、そっちのユーザー名を使わせてもらうことにしよう。
俺のユーザー名をクリックすると、
英語での表示から一変、慣れ親しんだ日本語の表示に変わった。
最初から日本語にすれば良いのに、なぜわざわざ英語表示させるのか……疑問。
次に接続先を選べと言われた。
「ステージ0」と「接続しない」の二つが用意されていたから、
とりあえずステージ0の方を選択しておいた。
ハードウェアアクセラレータ起動中
起動率|■■■■■■■■■■|100%
ハードウェアアクセラレータ起動完了
プライマリシステム3.0aと同期中
同期失敗
セカンダリシステム1.7fと同期中
同期完了
接続の許可申請送信中...|
選択した途端、このようなよく分からんメッセージ的なものが現れた。
ハードウェアアクセラレータって何?
勝手に起動しちゃったけど大丈夫なものなのか?
同期失敗とか出てるしさ。
……ここに来てどこか間違えたのではないかと不安になってきた。
だいたい、これで麗香が助かるかどうかも分からない。
ここまで来て無駄なことやってましたとか、
チャンチャン♪で済むような話じゃないところもまた怖い。
そうこうしているうちに1.7f(多分零雨のこと)から接続の認証を得て、無事?に繋がった。
今度は何やら沢山の選択肢が出てきて、
どのボタンもよりどりみどりの押し放題的なことになったんだが、
どのボタンを押せば良い?
ヒントになるかどうかは分からないが、画面の左下に、何やら情報が流れている。
アクセス元:ステージ25
アクセス先:ステージ0
これを見て、俺は今やっていることの重大さを理解してしまった。
アクセスしてるのはステージ0。
ステージ0という管理領域の《異世界》に遠隔操作でアクセスしている。
今、ステージ25を含めて30ほどの異世界がこのステージ0によって管理されている。
つまり、俺が適当にポチポチとボタンを押しまくって、
変なボタンも知らず知らずのうちに押すとか、そういうことにもなりかねない。
ステージ0を破壊するようなことがあれば、
操縦の効かなくなったバイクのように、この世界全体が一斉に崩れ出すことになる。
もちろん、その影響は俺達にも降りかかってくる。
恐ろしいのは、どのような形で俺達に影響を与えてしまうのかが分からないことだ。
麗香を助けだそうにも、下手に動き回れば俺達、ひいては世界が危ない。
麗香救出作戦はここで俺のチキンさ故に暗礁に乗り上げてしまった。