第3話-25 音楽祭と妹 本番
と、いうのもつかの間、さてこれからリハーサルやるぞって時に現れたのは玉城先生。
「あなたたち、もうすぐ出番がまわってくるから、出るならもう準備しておきなさいよ」
先生はわざわざ俺達にそれを伝えに来たのだ。
本当、面倒見の良い先生だ。
「え!?もう順番がまわってきたのですかぁ!?」
チカが声を張り上げた。
「あなたたちの前の順番の子達が今ステージに上がったところだから、
そろそろ準備しておくべきじゃない?って思って呼びに来たんだけど。
ほら、楽器も自前みたいだから、
ステージの楽器と取り替えるのにも時間がいるから、
前のグループが終わってから行くのは時間がかかりすぎるでしょう?
見たところ、ステージに出るみたいだし」
玉城先生はちゃんと呼びに来たからね?といって
くるりと背を向けてステージの方へ歩いていく。
「……楽器、運ぼっか」
麗香がそういってギターと電子ピアノを持つ。
「そうだな、零雨、麗香、本番でのぶっつけ勝負になる。頑張れよ」
「うん」「……最善を尽くす」
四人で運んだ楽器はいつもより軽いような気がした。
多分気のせいだろう。
仮設のステージの裏に楽器を置くと、そこにいた玉城先生が聞いてきた。
「やっぱり四人でやるの?」
「まあそうっすね、代わりやってくれる人も出てこなかったし……仕方ないっす」
「そう、残念ねぇ……でも期待してるから」
玉城先生がそういったちょうどその時、俺の携帯電話が鳴った。
……ピッ
「はいもしもし?」
《ああ、俺だ》
「お、ジョーじゃねえか!」
俺の言葉にチカと麗香は俺を向く。
《もう発表は終わった……んだろ?》
やはりジョーは音楽祭の発表のことを気にしていたようだ。
声のトーンが暗い。
「いやまだだ。もうすぐ俺達の番がまわってくる」
《ホントか!?》
「何どうした?」
《いや、今から全力で行けば順番に間に合うかもしれないと思ってな》
「お前の親父さんは大丈夫なのか?」
《じゃなきゃお前に電話なんかしてねえって》
「そうか、良かったな」
《親父が死んだら笑い事じゃ済まないしな》
「ああ。
で、病院からここまでどれぐらいかかる?」
《タクシーで大体十分ぐらい》
「超微妙だな、こっちはいつ順番がまわってきてもおかしくねえ」
「おいお前ら、順番回ってきたぞ!
ステージの楽器取り替えるから手伝え!」
話の途中、ひょっこり現れた担任は言い放った。
「ジョー、残念ながら今から出番らしい」
《…………担任の声、聞こえたよ》
ついで受話器の向こうから落胆のため息が聞こえてきた。
「……切るぞ」
《分かった》
時間とは実に残酷である。
あと十分、たったあと十分でジョーが揃うというのに、時間は嘲笑ってそれを赦さない。
麗香は担任と協力しながら学校の楽器をステージから下ろし、
零雨はチカと協力して匠先輩の楽器をステージに載せている。
俺も何か手伝わねえと。
零雨や麗香に時間の進行速度を遅くしてくれなどとは到底言えない状況だ。
ジョーには気の毒だがここは俺達だけでやらせてもらうしかない。
「お前ら、いっちょ頑張ってこい」
ステージの準備が終わり、
担任の古典的激励を受け、舞台の定位置に立つ俺の手にはギター。
舞台の下に広がるオーディエンスの顔が嫌な程はっきりと見える。
見渡す限りの人、人、人。
俺と同じクラスのやつの顔、学校見学に来たと思われる中学生とその一家、
近所に棲息していると思われる時間と体力に裕福なご老人……などなど。
やっぱここに出なきゃ良かったと後悔するも、
ここに出るのはアンフェアな必然があってからで、
やはり逃げられない通過儀礼的なイベントだということを再認識する。
ま、ステージに立ってまでグツグツと文句鍋を掻き回すわけにもいかねえ。
潔くやりますか。
今までのバンドが盛り上げてきたせいで観客のテンションはMAX。
なんか演奏始まる前からノリノリで踊ってる奴、というか集団がいるし。
ここで盆踊りをするのはお門違いだと思うが…………
よく見たら盆踊りではなさそうだ。
まだ何もやってねえのにクルクルとターンしたり手拍子とったり、
ピースサインしたりと狂気の沙汰という言葉がふさわしい行動だ。
いやあそれにしても、舞台に立つと意外と一人一人の動きがよく分かるもんだ。
授業中に先生がみんなと違うことをしている生徒を素早く発見する理由はこれだな。
みんなが準備できたところで、麗香がマイクを持った。
「えっと、演奏する前にみなさんに一つ言っておかなきゃいけないことがあります」
麗香が言うと、ざわめいていた観客の声がトーンダウン。
「私達は本来五人で演奏する予定でした。
今朝、そのメンバーの一人のご家族が交通事故に遭い、
ここに来ることが難しくなってしまいました。
幸い、その方は瀕死の状態から回復傾向にあるそうです。
ですが、そのメンバーはまだ病院にいて、ここにはいません」
なんだよ、俺とジョーの通話を盗み聞きしてたのかよ。
「ですから、私達四人で、五人分のパートをやります。
出来るだけ頑張りますので聞いてください」
麗香がそういうと、気分がハイの連中が叫んだ。
「ガンバレェェェェェッ!」
いや、要らないからそういうの。
一曲目。
一曲目は俺が希望した例の洋楽だ。
俺が歌わなきゃならんわけだが、その辺のレッスンも匠先輩から受けている。
俺は舞台の最前部に立つ。
嘆いていても仕方がないが、こんなはずじゃなかった……
とにかく、この曲は最初にドラムから始まる曲だ。
零雨、頼むぞ。
演奏開始の合図は、本来ならジョーがするはずだったのだが、
本人がいない以上、俺がやるしかない。
俺は後ろを振り向いて零雨と目を合わせる。
いくぞ……3、2、1
俺が手を大きく振ってカウント中、零雨は早速スーパーボールを射出する。
激しいドラムとシンバルの音が響くと同時にうお~と唸る聴衆。
続いて麗香のギターと零雨の本業である電子ピアノが入る。
演奏中、俺は歌いながらも一体感を感じていた。
ドラムも音は少し違えど、まるでジョーが叩いているような感じがする。
零雨、お前は何も言わなかったが、
演奏中にもちゃんと他のパートの音も聞いていたんだな。
チカは零雨の隣でピアノ型シンセサイザを目まぐるしく扱っている、はずだ。
はずだというのは俺が舞台の最前線にいるからで、
チカがしっかり演奏しているというのは、チカのパートの音が聞こえるから分かる。
曲がクライマックスに突入しても、ドラムの音は寸分違わず正確に鳴り続けている。
ドラムを叩くのに使われ終わったスーパーボールが舞台の至る所に
跳びはね、転がり、舞台から観客の方へと飛んで行く。
一曲目が終わると、やたら歓声が聞こえてきた。
零雨に対する歓声だ。
悔やまれるのは零雨がそれを聞いても何も思わない点にあるが、
それはあまり関係はなかった。
そして二曲目、チカ希望の曲だったんだが、それもそのような感じで終わった。
そして三曲目にうつろうとしたその時だった。
麗香があれ見て、と遠くを指差して言った。
よくよく見てみると、一人の人間がこっちに走って来ているようにも見える。
見覚えのある走り方、あの動きは……ジョーじゃねえか!
ジョーは回り込んでステージに息を切らしながら駆け上がると、
おっす、と力なさ気に手を挙げた。
「ハァ……途中からでも……ハァ、行った方が……
……俺のせいで、ハァハァ……」
「おいおい、ジョー、ちょっと落ち着け、な?」
観客は突然の乱入者にどよめきを響かせる。
すると、麗香がマイクを持った。
「今飛び込んできた彼が、足りなかったメンバーです。
えーっと……ちょっと今から楽器を動かさなくちゃいけないので、少し時間を下さい」
麗香はそういって、麗香の足元にあるペダル式ドラムを持ち上げようとする。
「おい、一人じゃ無理だろうが」
俺が手を貸し、二人掛かりで持ち上げる。
本当は麗香一人でも十分いける重量(もちろん凡人には無理)なのだが、
一人で持たせて観客に違和感を与えることは避けなければならなかった。
「コウくん、ありがとう」
「……ちょっとコウ、
このスーパーボールが散乱している状況が俺にはうまく理解が出来ないんだけど……」
「なぜこうなったのかは後で事を追って順に説明する。
今は演奏だ。観客待ってる」
ドラムを置き終え、ステージの裏からチカがバチを持ってステージに上がる。
「ジョー、あんたが来なくたってあたしらでなんとかやっていけてたんだからね?」
「全力ダッシュで来た俺に言う言葉かよ、それ」
「……親父さん、助かって良かったね」
チカはそう突き放したかのように言うと、ジョーの胸にバチを押し付けた。
「……サンキュー」
俺達は本来の位置に立った。
チカの家で練習したのと全く同じメンバー構成、フルセットだ。
「お待たせしました、それでは三曲目に行きたいと思います」
三曲目、これはジョーが希望していた曲だ。
ジョーはバチを慣れた手つきで、いや、匠先輩に調教されたとおりにこなす。
零雨の技巧的演奏の品質は高かったが、やはり本物のバチを持った人間には敵わない。
バチとスーパーボールじゃ音色が違うんだから仕方あるまい。
そしてやってきた最終曲、“A Beauty Sunset”。
もちろん作詞・作曲は麗香だ。
A Beauty Sunset、
麗香がインスパイアされたものそのまんまっちゃそのまんまなんだが、
俺と違ってなんかセンスを感じる。
俺ならどう付けるかって?
俺ならそうだな……俺なら…………作曲者じゃねえから無理だ。うん。
作曲すること自体がセンスの要る作業だし、曲名っつったら、
そのセンスの集大成を一言で表す言葉だ。
理論的に考えてセンスのない人間が、
センスのキマった曲名を思い付くことなどまずありえない。
どうでもいい話だが、練習中、この曲を呼ぶときはみんなABSって呼んでた。
ABSって、クルマの非常制動時にタイヤがロックして
操縦が効かなくならないよう制御する装置の略称であり、
あるプラスチック樹脂の材質の略称でもあるんだよな。
本当にどうでもいい話だろ?
さて、この最終曲は担当メンバーが大きく変わる。
ヴォーカルは麗香とチカ、ドラムが零雨、電子ピアノがジョー、シンセサイザが俺だ。
俺は空を見上げる。
夏の暑い空気は未だに衰えず、今夜もまた熱帯夜になるだろう。
俺達の背後には沈んで行く最中の太陽がある。
確か図書館の近くで見た夕日は今と同じぐらいの時間帯だった。
つまりは麗香がインスパイアされた夕焼けが偶然にも一面に広がっているわけだ。
最初にギターの切なげな音が鳴る。
実際、こうやって外で演奏すると、
メロディーは鮮やかな夕焼けの中に溶け込み、全身の五感で一つの景色を眺めているようだった。
頬を撫でるようにソフトに流れる空気まで再現してある気がするほどだ。
メロディーを聴かせて空気の流れまで脳内補完させるとは、
やっぱ麗香の作曲センスはジーニアス。
例のフェードインが始まり、本格的に演奏が始まる。
麗香のやつ、シンセサイザをバリバリ使いやがるから俺の負担がでけえんだよ。
演奏中、見覚えのある人が観客の中に混じっているのを見つけた。
あれは―――匠先輩じゃねえか!
匠先輩は俺の妹の美羽を肩車している。何であの二人がいるんだよ。
匠先輩はバイトで忙しかったんじゃねえのか?
美羽はチカの家で待機のはずじゃなかったのか?
美羽は手で匠先輩の頭を押さえ付けて上半身のバランスをとりながら、
俺達の演奏を聞いている。
美羽は俺と目が合うと、大きく手を振って何かを叫びだした。
何を言っているのかはこっちの演奏の音量が馬鹿デカイから聞き取れんが、
ニコニコしながら手をブンブン振り回しているところをみると、
どうせ「お兄ちゃーん!」とか、「美羽はここだよー!」とか、
そういう無価値な絶叫だということが容易に推測できる。
そんなことを思いながらなぜ俺はシンセサイザを使いこなせるのかというと、
それはもちろん、体が覚え(させられ)ているからで、
他のパートの音を聞きながらシンセの前に立てば、流れ作業的に勝手に動く。
まあ、一番苦労したのはこの曲だったし。
美羽から目を離し、観客の方を見渡せば、みな一様に口を閉じて黙って聞いている。
オイオイ、全校集会で先生の注意を聞かず、
なかなかおしゃべりが止めない連中が、生徒の分際の俺達の演奏で黙るって、逆じゃね?
それだけ俺達の演奏を真剣に聞いてくれているわけだから、
それはそれで嬉しいことではあるのだが、
俺としては隣とだべりながら軽く聞き流す程度の気持ちで聞いてほしかった。
――っとっと、危ねえ、危うく弾き間違えるところだった。
いくら流れ作業的に演奏が出来るといっても、
あまり演奏から意識を遠ざけ過ぎると、
手を止めてしまったり弾き間違えちまう。
これは誰でも一度は体験したことがあると思う。
反省して、ちょっと演奏に意識を戻した方が良さそうだ。
弾き間違えたら後でチカに何されるか分かったもんじゃないし。
そして、演奏は終わった。