第3話-12 音楽祭と妹 図書館の外で見た夕日
「ここが中央図書館、か」
麗香は入口の前で立ち止まり、呟いた。
俺の右隣には美羽、左隣には零雨がいる。
「ねえコウくん」
「何だ?」
俺は額の汗を茶色のハンカチで拭きながら答えた。
別に青じゃなくたっていいだろ?
「探しているの、見つかるかな?」
「分からん、あったとしてもそれを見つけ切れるかどうかだ」
この図書館には数十万冊もの書籍が並んでいるらしい。
ネットの紹介文にさらりと書いてあった。
「そんなところでボーッと突っ立ってないで、暑いからとっとと中に入ろうぜ」
先に歩き出して図書館の中に入っていった零雨と美羽をよそに、
建物を見上げたままの麗香の背中を、俺はポンと叩いた。
水分一つ含まれていない、サラサラした感触がした。
コイツ、汗かかねえんだよな……俺は汗で背中が大変なことになってるっつーのに。
なんかうらやましい。
「あ、待って!」
後ろから小走りで追い掛けてきた麗香は俺を追い越し、
閉じかけている自動ドアに突っ込んで行く。
心の中の俺がマイクを持ってアナウンスしている。
《はい駆け込み乗車は危険です、おやめください!》と。
「あうっ!」
……フッ、バカだ、自動ドアに挟まってやがる。
一度プレスした自動ドアも、麗香に反応してドアが開いた。
「何で私がいるのにドア閉まっちゃうの?」
「お前が突っ込んで行くからに決まってるだろ」
さて、喜劇のようなワンシーンが展開されたのもつかの間、
俺と麗香は二人の後を追って中に入った。
俺の脳内辞書の「図書館」の欄には、
《使い回されてボロッボロの本ばかりを収めた建物であり、
特に利用価値は見出だせない施設》
というイメージがあったのだが、どうやらそれはただの思い込みだったようだ。
新品の本棚が整然と並び、
最新の書籍も随時追加している旨の宣伝ポスターが貼られている。
さらに、破れたりバラバラに分解してしまった本も、
別室で専門の人が修繕しているそうだ。
本の修理屋がいるとは、これには驚いたぜ。
俺の家にも糊がダメになってバラバラになりかけの本が一冊あるんだが、
そういうのは修理してくれるのだろうか?
それにしてもいろんな創意工夫をして、利用者確保のために頑張っているな。
だが平日の昼ということもあってか、人は少ない。
「お兄ちゃん、こっちこっち!」
俺を呼んだ美羽は、入口横のベンチに座っている零雨に抱かれていた。
「零雨、お前が美羽を抱いてるなんて珍しいな」
「……珍しい?」
「いや、お前がそういう性格っつーか、なんつーか―――「……仕様?」」
俺は零雨を気遣って《仕様》以外の言葉を探していたが、
当の本人からさらっと言葉が出てしまった。
「直接的に言えばそうなんだが、
もう少しオブラートに言えば……そう、
お前のイメージと今の行動とが何か合わない、ミスマッチだと思ってな」
「……それは良くないこと?」
「全然、むしろそういう一面があったほうが、意外性があって俺は好きだね」
零雨は二、三回まばたきした後に言った。
「……私はあなたに対しての恋愛感情は、
……現在発生していないが、……それでいいなら」
「今の『好き』を、そう解釈されてしまうと困るんだが……」
「プッ、コウくん発情期?」
俺の横で麗香は口を手で隠して笑った。
「ちげーよ」
それからその仕草はどこで覚えた、麗香?
からかうことは俺がさっき麗香をからかったことを学習したのだろうが、
この仕草はどこで覚えたのかは見当がつかない。
ま、二十四時間麗香を監視しているわけじゃないし、
俺と一緒じゃないときにドラマでも見て覚えたのだろう。
「好きにはな、《Like》と《Love》の二通りがあるんだよ。
《Like》は《〜が好き》の好き、
《Love》は《〜を愛している》の方の好きだ。
俺が言ったのは前者の意味だ、下手に勘違いしてくれるな」
「分かってるって、少なくとも私は」「……学習した」
両者それぞれの反応。
一方の美羽はというと、初めて来た図書館に気分がハイになっているらしく、
足をブラブラさせながら辺りをしきりに見回している。
美羽の足が零雨の華奢な足、特にすねにビシバシと打撃攻撃を繰り出しているのだが、
零雨は一向に気にする様子を見せない。
「ほら美羽、足をぶらつかせるな、零雨の足に当たってるだろ」
「はーい」
「返事だけはいい奴だな、たまには俺に褒められるようなことをしろってんだ」
「まあまあ、それはともかく、そろそろ本探し始めようよ」
「はいよ」
零雨は美羽を解放して立ち上がり、美羽は麗香の横についた。
「気に入られたな、麗香」
麗香は眉を寄せた。
「う、うん、それはうれしいことなんだけど……」
「邪魔だよな」
俺は美羽を麗香から引きはがし、暇になるであろう零雨にその世話を頼んだ。
「どうだ、世話できるか?」
「……恐らく可能、しかし……今までにこのような……ことをしたことはない」
「まあ、機転利かせて頑張ってくれ」
「……成功に向けて……努力する」
「ああ、それとだ、館内は携帯電話は使えねえから、
電源を切るか、マナーモードにしておけ。
そして館内では極力使うな」
「……分かった」
俺と麗香は作曲資料探しに、
零雨と美羽は子供用の本が置かれているコーナーにと、二つに別れた。
「ふ〜ん、こんな風に並べてあるんだ〜」
俺の隣を歩く麗香は、物珍しそうに辺りを見回す。
「そんなに図書館の本の配列が珍しいのか?」
ここの図書館の配列方法は他のそれと変わらない。
内容ごとに本が分類され、同じ系統の本を集めて歴史なら歴史、
科学なら科学、小説なら小説、とひとかたまりになっている。
「うん、同じ系統の本を一カ所に並べておくなんて、私考えもつかなかった」
「じゃあお前らの持ってる世界に関するいろいろなデータは、
バラバラになって存在してるのか?」
「バラバラ。このステージ25だって、
今は大体……七八億ぐらいの断片になってアドレス空間にあるのよ」
「木っ端微塵だな……
それだと断片同士のデータの連携とか、ランダムアクセスっつーの?
とにかくあっちこっち参照しなきゃならんのじゃないか?」
「そうだけど、シュミレートのコンピュータのデータの転送速度も速いし、
計算の処理能力もまだまだ余裕があるから特に問題はないよ」
我ながら難しい話に突っ込んでしまったようだ。
今の話は半分聞き流しておこう。
「音楽に関する資料はこの辺りじゃねえのか?」
俺はそういって足を止めた。
音楽関係のコーナーだと、本棚の横の側板に貼ってある。
麗香は本棚の前に立つと、
まず一番端の本「音楽についての198の知識」なる本を手にとった。
パラパラとページをめくって本を戻し、その隣の本を手にとってパラパラ。
また本を戻して次の本をパラパラ…………
「麗香、お前片っ端から全部探していくつもりか?」
麗香はめくるのをやめ、振り向いて俺を見た。
「ううん、探していくんじゃない、『読んでいく』の」
「無理だろ、全部の本を読破するには相当な時間がかかる」
「もう私五冊読んだよ」
どうやらパラパラとページをめくっていたのは、
読みたい所を探していたのではなく、読んでいたらしい。
読書速度速すぎだろ…………
「そんな速度で内容はきちんと覚えられるのか?」
「当たり前じゃない」
当たり前じゃないからこうやって聞いてんだろーが。
「まあいい、俺は図書館ん中ぶらぶらしてるから、終わったら呼んでくれ」
「分かった」
さてと、自由になった俺だが、これから何をしようか?
美羽の世話を零雨に押し付けてきたわけだし、
様子を見に行ってもいいんだが、零雨がいるから大丈夫だろう。
……いや、ちらっとでも様子を見に行った方がいいかもしれん。
たまに零雨はとんでもないことしでかすからな。
子供用の本が陳列されているエリアに入ると、静かだった。
子供専用のイスと机が用意されているコーナーを覗き込むと、
イスに座った零雨に抱かれて寝息を立てている美羽の姿があった。
零雨の近くには二、三冊の本がきっちり積んである。
呼んでいる途中で寝てしまったのか。
零雨に気がつかれないうちにここをそっと離れ、
本当の意味で暇になった俺は、
面白そうだと思った適当な小説を数冊手にとり、適当な席を見つけて座った。
用意されている会議用の長机にとってきた本を読む一冊を残して置き、表紙をめくった。
俺の隣では同い年ぐらいの女子高生が勉強をほっぽりだし、恋愛小説を読んでいる。
お盛んなようで。
イマドキの高校生の興味あることといえば、趣味と恋愛と大学ぐらいさ。
おっと、俺も高校生だというのに、なに年寄り目線で語ってんだ…………
俺は大学は実力でいけるようなところでいいと思ってるし、
恋愛なんぞ俺には縁の薄い話だと思ってるし、
まあ興味あることといえば趣味ぐらいなもんで。
別にそれでもまあまあ楽しい生活が送れてるから何とも思わないが、
お付き合いの一つや二つは卒業するまでにしてみたいものだ。
「あ………え?」
俺が小説の世界に介入して間もない頃、隣の女子高生が小さく声をあげた。
何が起きたのかちらりと横を見ると、
慌てた様子で本を閉じ、勉強道具を広げている最中だった。
本に熱中しすぎて時間でも忘れたのだろう。
慌てている横顔を視界の端で見ていたから鮮明には見えなかったが、
どこかで見たことのあるような顔の気がした。
「なんだ、誰かと思えばお前か」
「もう、今勉強してるの分からないの?ちょっとだまっててよ」
…………チカだった。
「今慌てて勉強道具広げたんだろ?」
「ち、違うし!アタシはさっきからずっと勉強してたっての!」
「ふ〜ん、あっそ」
「去年みたいに夏休み終了直前に宿題したって、
ロクなことにならなかったからねー、だから今年はこうやって宿題やってんの」
「そんなことをするのは最初のうちで、結局最後には……」
「な、ら、な、い!」
「そういってる割には、読書に勤しんでたようだが」
「…………ちょっとぐらいいいじゃない」
「そのちょっとが事故の元だぜ?」
「アタシはあんたと違うから……シッシッ」
チカに手であっちにいけとあしらわれた俺は、再び読書を始めた。
しばらくカリカリとシャーペンの走る音が聞こえてきたが、はたりとやんだ。
「ねえ、あんたは今日は何の用事でここに来たの?」
「麗香の曲作りのヒント探しに付き合ってんだよ」
「じゃあ麗香も来てるの?」
「ああ、零雨と美羽もオマケでここにいるぜ?」
「あんたってさー、いっつも零雨とか麗香とかと一緒に行動してるよねー
やっぱり美人さんは好き?」
「さあ?」
「自分のことでしょ?それすらも分からないの?
あ、そっか、自分では気がついてないふりしてるんだー」
こっちにゃお前らに言えない深〜い事情があるんだよ。
「ねえ、コウってさ、どんな子がタイプ?」
「ここは図書館だろ?黙って勉強してろ」
「これ聞いたら勉強に戻るからさ、教えてよ」
「……消去法的な観点からいけば、
まずお前のような性格ブスは論外だな」
「それをアタシに言う?普通」
「タイプを教えろっていったのは何処の誰だよ」
「それにしても酷くない?」
「何だよ、不満か?」
「あったりまえよ!
自分のこと性格ブスだなんて言われたら誰だって傷つくのが分からないの!?」
「黙れ。
兄にイスぶん投げた分際でほざくな。
そんな女が性格ブスじゃなかったら、世の中終わってる」
「うう、ひどい……」
「お前なあ、見てくれはそこそこなんだが、性格が足引っ張ってるぞ。
も少しおしとやかな性格だったら、今頃カレシの一人や二人はいるはずなんだがな」
「いやいや、二人はダメでしょ。
大体、あんたも性格ブスじゃない、イヤミとか皮肉ばっかり言ってさ」
「さ、読書、読書っと……」
「……ほら逃げた」
俺も確かに性格ブスかもしれんが、チカほどじゃないっての。
ただのめんどくさがりなだけだ。
約二時間後、麗香が零雨と美羽を引き連れて俺の所に戻ってきた。
「コウくん、終ったよ」
「ほう、どうだ、いい資料は見つかったか?」
「うん、奥の方にCDの試聴室もあっていろいろと便利だったよ」
「そりゃよかったな」
俺は読んでいた本を閉じ、隣をちらりと見るが、そこには誰も座っていない。
チカは一時間ほど前にここを出ていったのだ。
「どうだ?曲は作れそうか?」
俺が麗香に聞くと何かいいたげに口をもごもごさせている。
「コウくん、あのね、」
「ん、何だ?」
「コウくんの家にあるCD、一式全部貸してほしいの……」
「全部まるまるって、百枚以上あるぞ?
そんな大量に借りて、何するんだよ?」
「作曲の参考になるかなって……」
「いいぜ、貸してやるよ」
「お兄ちゃん、のどかわいた〜」
口に白いよだれのあとをつけた美羽が言った。
「美羽はお手洗い行って顔洗って来い、そうしたら何か買ってやるよ。
零雨、よろしく」
「……?」
零雨は首を傾げた。
「だから、美羽の世話をしてやれってことだ」
「……洗顔の世話?」
「そうだ。野郎は女子トイレには入れんからな」
零雨は首肯すると、美羽の手を握ってトイレに向かった。
その間、俺は自販機で美羽と俺の分のスポーツドリンクを買って待機。
トイレから帰ってきた美羽は俺の手にある目当てのものを見つけると、
すぐにそれを欲した。
何度考えたって、チビの世話は面倒なだけで、何の得もねえ。
自分の子なら可愛いのだろうが、年の離れた妹だからな……
図書館を出ると辺り一面、夕焼けに染まっていた。
「わ〜、見て!夕日が綺麗!」
麗香は夕陽に染まって黄金色に輝く髪を、
海から吹く磯風にたなびかせながら、海に沈んでいく夕陽を指差した。
もし麗香が普通の人間なら、俺はもう完全に惚れてるね。
今でも若干惚れてる面もあるが、
あまりそういう関係にはならないほうが、精神的に後々楽だ。
ここから海岸までは歩いてもせいぜい三分。
帰る前に、ちょっと夕陽が沈んでいくのを見ていくことに。
夏の湿った独特の香りを持つ磯風が、顔に当たる。
あと一時間もすれば風向きは百八十度変わって陸風になる。
海岸に沿って木の板の遊歩道が整備され、
塩害防止のために設置されたステンレスの柵からの日光の反射が眩しい。
「夕陽が海に沈んでいくところなんて初めて見た」
「なんだ麗香、ずっと管理してきて、一度も見たことがないのか」
美羽がいる手前、うかつなことは言えない。
麗香は頷いた。
「だって、(ステージ)0以外の場所にきたのは今回が初めてだから」
「そうだったな。零雨は見たことはあるのか?」
「……ない」
俺が上を見上げると、横一文字の虹が空にかかり、
後ろを振り返れば、薄く紫がかった鮮やかな藍色の空が迫ってきている。
虹って意外なところに見つかるもんだな……
いつもこんな空をしている中、学校から帰ることがよくあるのだが、
今までずっとこんな美しい景色が身近にあるとは思いもしなかった。
会社帰り、学校帰りのやつらは、
携帯電話の画面ばかり見てないで一旦立ち止まって空を見てみるといい。
俺的にはスゲエ癒される景色だ。
はぁ〜こりゃため息も出るってもんよ。
麗香は零雨から例のカメラを借りて、夕陽を撮影していた。
「こんなのもう二度と見れないかもしれないから、
写真に残しておこうと思って――――」
俺の視線に気がついた麗香はそういった。
「普段は情報の塊にしか見えないから、こんな風に視覚的に見ることはなくて…… こんなに綺麗な景色があるなんて知らなかった……」
「感傷に浸ってるな」
俺もだが。
「ねえ、カメラもってるのに、何で《きねんさつえい》しないの?」
「記念撮影?」
「えー、麗香お姉ちゃん、きねんさつえい知らないのー?
みんなでいっしょに《しゃしん》に写って、思い出をのこすんだよ」
「へえ、カメラってそんな使い方もあるのね」
「大低はそういう使い方をするもんだ。
おとといだって、お前写真撮られまくってたじゃねえか」
「あれって、そういう意味だったの?」
「それ以外にどんな使い方があるんだよ?」
「しゃしん、とろうよ!」
「………そうね、撮っちゃおっか」
それを聞くと、零雨は麗香からカメラを取り上げ、
少し離れたところにカメラを置いた。
「……撮影まで……残り十八秒」
「なんだ零雨、記念撮影という使い方知ってたのか?」
「……図書館で読んだ書籍の中に……このような
使い方をする……記述を……偶然発見した。
……残り七秒」
……はいはい。
写真を撮られるのはあまり好きではないが、まあいいだろう。
俺達はカメラの前に横一列に並んだ。
夕陽をバックに撮影だ。
「ところで零雨、逆光だが大丈夫か?」
「……大丈夫」
「ハイ、チーズ!」
数秒後、カシャ、という音が数回聞こえ、撮影は終わった。
「あっけなく終わっちゃったね」
麗香はしみじみと言った。
「だいだい撮影っつーのこんなもんなんだよ」
零雨はカメラを取りに行き、きちんと撮れたかどうかの確認をしていた。
「零雨ちゃん、ちゃんと撮れた?」
「……問題ない」
零雨は俺に今撮影した画像の確認を求めた。
カメラについている液晶ディスプレーを見る限り、完璧だった。
「なかなか上手いじゃねえか」
「……ありがとう」
「さ、写真も撮ったことだし、そろそろ帰ろうか」
俺がそういうと、麗香が困った顔をした。
「もうちょっと、ここで夕陽を見ていたい……」
「珍しいな、お前がそんなこと言うとは」
結局、俺達がここを離れたのは日が完全に水平線の下に隠れてからで、
ライトアップされた街の中を歩くことになった。
ま、この辺りを仕切ってた
例のやくざ集団も消えて治安が良くなったわけだし、
それにつれてチンピラも消えたし、
別に何の問題もなかったから良かったが。