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第6話-12 代理救済プロトコル 3 - 処刑装置は語らない


 何度目かも覚えていない朝。

 迎賓館の自室で、エクソアはベッドに腰掛けてぼんやり外を眺めていました。

 私も、エクソアに合わせて物思いに耽っていました。


 エクソアは、確かに私の思いを受け取っているようでした。

 あるとき私が「私の声が聞こえるのなら、右の耳に触れて」と伝えると、エクソアは少し遅れて、髪をかき上げる仕草をして、右耳に触れたのです。


 エクソアは、私に語りかけることはありません。いつも私からエクソアに話しかけるのです。

 しかしエクソアが私の問いかけに無視することが多く、全て答えてくれるわけではありません。


 私の思っている通りに行動して欲しくてもそれは同じで、その通りに行動するとも限りません。仮に行動してくれたとしても、私の論旨から少しズレたような行動に収まってしまいます。


 ただ、その中でもエクソアが答えてくれたこと――


 "これからコウさんがどうなるか、知っていますか?"

 ――"いいえ"


 "もし、コウさんが死んでしまう未来があるなら、あなたは助けたいですか?"

 ――"はい"


 エクソアは、状況に応じた自然な身振りに扮して答えます。

 偶然、その答えと同じ仕草をしたようにも思えますし、ちゃんと答えたようにも見えます。

 私の質問もよくなかったかもしれません。当然の回答のように思えます。

 もし、何も知らない私が突然聞かれたのなら、エクソアと同じような答えを返すでしょう。


 ……とにかく。いくら自然な身振りを装っていても、答えに指定した行動を取る頻度が高い以上、私はエクソアは私の想いを、ひとまず聞いていると理解することにしました。


 エクソアがいつも同じ行動をすることも、これで腑に落ちます。

 これから起こりうる未来を、エクソアは知らない。私しか知らないのです。


 私が未来を変えたければ、どうにかしてエクソアに私の身体を動かしてもらわないといけないのです――たとえ禁を犯して、神使様から更なる罰を受けることになろうとも。


 "あなたにとって、私は何ですか?"

 "…………。"


 簡単な二択以外は、なかなか答えてくれません。

 私の身体が私の自由に動かせたなら、こんな不自由な思いはせずに済んだのに。


 誰もいない、静かな部屋。差し込む陽光にベッドの埃が反射する世界で。

 私は、思い切ってエクソアに尋ねてみることにしました。


 "もし私が、誰も幸せにならない最悪の未来を知っていて、それを避けようとするなら――あなたは協力してくれますか?"


 "このままでは、コウさんは離水試験で溺れて亡くなってしまいます"


 "…………。"


 "協力しないなら、それでいいのです。私はあなたと一緒に、この閉じた世界を永遠に繰り返すだけです。いいえ。そのうち私も何も言えなくなって、消えたも同然の存在になるでしょう。あなただけが、何も知らずにこの世界に取り残されるのです"


 "協力してくれるなら、踊るでもなんでもいいから答えてほしかった。それだけでした"


 "…………。"


 結局、エクソアは反応を示しませんでした。

 そもそもエクソアは神使ラーシャ様のお仲間なのです。神使様に命じられて、私の肉体を使って私を演じているだけなのです。私の話に反応する義理はそもそもないのかもしれません。

 とはいえ、身体を持たない、意識だけの存在では、どうにもこうにも変えることができません。


「んぅー……」


 どうにかできたら。と、私が思い悩んでいるのをよそに、エクソアは腰掛けていた立ち上がると、両手を伸ばして悠長に背伸びします。

 腰からパキリ、骨が鳴る音がします。


 エクソアは、両手を頭の上に乗せると、腰を左右に振り始めました。

 え、なにそれ。訳が分かりません。


「リン様、朝食の用意ができております」


 後ろの扉を開けて、私の世話をしてくださっているメルさんが入ってきました。


「あっ……」

「――いったい、どうされたのですか」


 腰を振りながら振り返る私。視界に、ジト目で睨むような、引いているようなメルさんがいました。

 どうされたのですか――ごめんなさい。私にも分かりません。


「起きたらちょっと腰に違和感があって」

「……とにかく、お食事は用意しましたから」


 メルさんがそう言って部屋を去ろうとする後を、エクソアがついて行きます。両手を頭に。腰を振りながら――あっ!?


"もういい、わかった、分かったから!!"


 エクソアに叫びます。エクソアは、協力してくれるなら踊れ、という私のぼやきに、この謎の動きで応えたのです。

 なんでしょう。もはや私の身体ではないとはいえ、弄ばれたような、バカにされたような、ものすごく屈辱的な思いでした。


 エクソアは元々、私の身体を乗っ取る前は、中央に穴の空いた、黒い縦長の楕円形をした不気味な神の使いであって、人間とはかけ離れた存在であることを思い出しました。



*



 結局、私が世界を変えることに協力するのか、しないのか、エクソアの珍妙な踊りの解釈には自信が持てませんでした。

 しかしひとまずは、エクソアもそう望んでいるとして、私はこの閉じた世界からどうやって道を切り開くか、考えることにしました。

 更なる神罰が下るかもしれない不安は、胸の中のわだかまりになってどうしても拭えません。

 けどどうせ一度は捨てた命です。こうして世界の様子を、五感で観測できているだけでも幸せなのでしょう。


 「あの夜」の直前、私がコウさんを刃物で傷をつけたときも、驚きと恐れの様子はありましたが、それでも私を受け入れようとしてくれました。

 「あの夜」のあと、私がエクソアに入れ替わって復活したときも、彼が私の傍にずっといて、それから今まで、彼は私のことをよく気にかけてくれました。


 それに、私の種族が、忌み嫌われているエルベシアだと、きっとみんな知っているはずです。それでも私が差別的に扱われたり、排斥されたりしないのは、私の知らないところで、コウさんが何かしてくれたからではないでしょうか。

 直接何かを知ったわけではないので、推測でしかないですけど。


 私は重い女でしょうか。

 こんな理由で、精魂尽き果てるまで、もう一度彼を守ろうと決意する私は、重い女でしょうか。

 彼と結ばれたいとか、そういう話ではないのです。ただ彼が生きて、幸せでさえいてくれたらいいのです。

 いえ、他のみんなだって大事です。けれども。


 ありきたりな言葉かもしれないですが、今は亡き家族が私に接してくれたのと同じような、温かさをコウさんから感じているのです。

 そうです。家族を守ることに理由なんて必要でしょうか。私のコウさんに対する距離感というのは、他人でありながら、まるで家族愛によく似たもののように思えました。

 もしかしたら、誰かとの友情や恋慕の感情を抱くことのなかった私にはそう錯覚するだけなのかもしれません。

 家族愛と名付けたこの感情が確からしいかの自信は、まだないのでした。


「コウ。お前、死ぬんじゃねぇぞ」


 再び戻ってきたあの日の桟橋の上。ガルさんがそう言って、コウさんに活を入れます。


 以前の世界、私が初めて他人――グレアさんに働きかけて――飛行艇が川で大破したとき、グレアさんはコウさんを救おうとしました。

 私が働きかけなければ、彼女はただコウさんに脱出を手助けされるだけだったと考えると、コウさんが亡くなる結末は変わらなくても、これは大きな変化です。


「ヤバいと思ったら、あんたなんかさっさと見捨てて脱出してやるわ」

「あー! グレアさんひどい! 私はなるぅ(コウ)を見捨てたりなんかしないのです!」

「そんなことをしたら、誰もグレアさんを助けようって思わなくなります!」


 コウさんを助ける一番の近道は、この離水試験で飛行艇に乗せないことです。


 それがそうもいかないのは、この飛行艇が、コウさんの持つ膨大な魔力を使って、力技で飛ばす乗り物だからでした。

 飛行艇の作りも、機械の扱い方も、彼が携わって作ったものと聞いていますので、私達の中で、一番勝手を知っているのも彼です。

 コウさんを飛行艇から降ろそうにも、これらの理由を崩さないことには始まらないのですが、あまりにも理由が強すぎて、私には変えられなさそうでした。


 同乗するグレアさんやクラリさんに働きかけても、グレアさんが彼の救出に失敗した結末を考えると、良い結果は期待できません。

 ガルさんやブロウルさんは、私と同じ地上組ですし、こちらも、まだ話しかける理由がありません。


 うーん……すると、私に残された方法は、飛行艇が離水に失敗して大破沈没した結末そのものを変えることです。

 そんなこと、私にできるのでしょうか?


 飛行艇が墜落したあと、政務院の人たちがやってきて、今回の事故で何があったのかを調べます。

 彼らは、恐らくあとで神都から正式な調査報告書を作るよう命じられるかもしれないから、情報が失われないうちに、証言や記録を残しておくのだ、言っていました。

 その、正式な報告書とやらを見れば、どうして事故が起きたのか分かるでしょうか?


 うーん、でも、そもそも調査報告書ができるのは、私が過去に戻されるずっと後でしょうし、そもそも飛行艇自体、異界の技術を使った世界初の乗り物です。

 お役人様に原因が分かるでしょうか。


 誰かに相談ができるなら、相談したい気分でした。

 エクソアとは、会話に壁があるのでなかなか相談できません。私から言葉や思いを伝える一方通行が主です。


 色々考え込んでいる間に、私ことエクソアはブロウルさんに捕まって、コウさんのあの夜のことを話していました。


「俺の勝手な想像だけどさ――心の奥底では、まだ「あの夜」が終わってないんじゃないかって思うんだよね」


 ごめんなさい。ブロウルさんの相手は、エクソアに任せます。

 私の意識は、過ぎた世界の離水試験での、飛行艇の動きを思い返すことにしました。

 水上を加速した飛行艇が、途中で水切り石のように川面を跳ねて、最後大きく跳ね上がって川に機首から突っ込んでしまう。


 ――その一部始終は、一体どこまでが想定通りで、どこからが想定外なのでしょう? どこかで切り替わっている、つまり変節点があるはずです。


 そうは言っても、どこまでが想定通りかなんて分かりません。

 想定外は、私が思うより前から始まっていたのか、あるいは機首が川に突っ込む直前までは想定内だったのか――


 "エクソアさん。私、コウさんと話がしたいです"


 ちょうどブロウルさんとの話が終わった直後を狙って語りかけてみます。

 エクソアは反応しません。うーん。困りました。

 ここにいる仲間の中で、飛行艇の離水試験で、理想的な動きの想定を一番よく知っているのは、コウさんだと思ったのです。


 "エクソアさん。お願いです。飛行艇が沈没して、コウさんが死んでしまう未来を回避したいのです"


 …………。


 "コウさんに、どう試験を進めるつもりなのか、尋ねたいのです"


 何度か語りかけると、ようやくエクソアの足が動きはじめます。

 その足が、桟橋と飛行艇を架けていた渡し板に乗ったとき、言葉にできない気持ちの高鳴りを覚えました。

 渡し板を歩いて一歩ずつ近づく飛行艇の入り口、未来を変えられるかもしれないのです。


 飛行艇に乗り込んだエクソアは、周囲を見渡してコウさんを探します。中は扉が開放されていて風通しは良かったですが、まだ機体に残った熱気を取り除ききれておらず、むわりとする空気が漂っていました。

 操縦席に人の気配がすることに気づいたエクソアは、コクピットに近づこうとして、何もないところで、足を引っかけて(つまず)きそうになります。


 ドタドタと、床板の上を足踏みをする不規則な音が響き、そのままふらふらとコウさんの座る操縦席にもたれかかりました。

 エクソアさん。そんな私のどんくさいところまで、真面目に再現しなくて良いのです。


「どうした?」

「……ごめんなさい」


 コウさんが座席から振り返って顔を覗かせます。エクソアは気まずそうな苦い笑顔を見せて取り繕います。


「ちょっとコウさんの様子が気になったので」


 コウさんは振り返ったまま私の顔をじっと見てきます。少しの沈黙の間があって、それから彼は鼻からため息を吐いて、前に向き直り、操縦席の背もたれに身体を預けます。ギシリと鳴る背もたれ。彼は操縦席前方の窓の景色を眺めているようでした。


「少しばかり落ち着く時間が欲しくてな……長い時間、多くの時間とお金と人を出して作ってもらったこの飛行艇を、ぶっつけ本番で飛ばさにゃならん」


 川の流れで小刻みに揺れる機内で、彼はぽつりと話し始めます。

 俺の代わりに飛行艇を飛ばして神都まで連れてってくれるのなら、割と借金してでもそいつを雇って押しつけたい気分だ、とコウさんは言います。


「飛行艇の点検もした、試験手順も予定航路も確認した。あとはここ(操縦席)に座って落ち着いてやるだけだが、何か一つ見落としや間違いがあるかもしれねぇって思うと、なかなか落ち着かねぇ」


「今回はクラリとグレアの命も預かるわけだ。何か致命的な手違いでもやらかしゃ、仲間もろとも人生終了――って思ったら、そこそこ逃げ出したくなる」


「…………。」


「なんか、妙だよなぁ……前の造船所の落雷火災で、燃えさかる船に急遽突撃して人救ったときゃ、急ごしらえの準備しかなかったが俺はあんま躊躇わなかった。今回はそれなりに準備されてる離水試験のほうが怖いってのは――」


 火事んときは、突っ込んだの俺だけだったな。それかもしれねぇ。

 コウさんは、今回の試験で何かあれば、グレアとクラリさんを巻き込んでしまうことを一番恐れているのかもしれない、俺だって命は惜しい、そう言います。


「まぁ、やるんだけどな」


 よくよく考えたら俺まだ十七歳だったわ、と自嘲的に笑う彼に、エクソアは何も言いませんでした。

 何かを考えているのか、私の言葉を待っているのか分かりません。

 桟橋で見ていた、飛行艇の翼の陰で涼む他の皆さんの牧歌的な空気と光景。私はその傍ら、飛行艇の中では、コウさんが死の恐怖を鮮明に自覚して、ここまで真剣に戦っていたとは想像もしていませんでした。



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